今日はキウイ教室。同じようなパーツの繰り返しって感じだった所から、ようやく女の人に入ったんだけれど、正直今までの難しさや大変さは中々伝わらない。何しろ、大きさの果てしなさは誰もが判っても、単調な作業みたいな事って、辛抱強い人で無いと、
飽きてしまうし、ついつい上手くなると、手を抜いたりしてしまう事もあったりするが、まぁキウイはいつもキウイ。
だからもう、同じパーツの繰り返しの部分に関しては、特に問題は無く終わって行くと思われるのね。
そんな中、この大作の中の唯一の色んな形が入って来る部分・・・・女の人。こんなに大きい作品でここだけは他と違う・・・。

くるぶしがあるよね・・・とか、ふくらはぎは太くならないように・・・・鉛筆の内側と外側どっちが良いかな?もはや指導はこんな細かいやり取りで、うっかりすると、それは一体コンマ何ミリの話?ってようなやり取りになる・・・。
ただ数ミリの話では無くて、くるぶしに見えるにはどの位?、ふくらはぎの部分はどの位だと太く見える?これだと太い?って感じで、
切っては確認みたいになる。そりゃ進まないものでね・・・・しかも、こんな事が出来るのは、それがその通りに切れるから。
いかに上手いか良く判るのね。言葉にしたその通りにして行くのだから。口にするから、伝えようとしている事を読み取り、こんな感じ?こんな感じ?のやり取りで見つけて行くもので、こうしたらこう見える・・・と迷い無く決まるのなら、相談相手はいらない。
要するに、こんな風にしたいんだけれど、これ見える?と自分があって、そう見えない時に、何処がどう見えないか?を是正して行く。何故言葉のようにならないか?ってね。だから表現がそもそも間違っているようだと、どっぷり深みにはまる・・・。
つまりその表現した言葉が違っている事に気が付けば、あぁそれならこっちじゃない?なんて簡単な事も、もはや探すと言うよりも、
面倒だから辞める・・・・に向かって行ったり、もうそれで良いや・・・・って話になる。
そもそも、それすらも終わったって感じにも思える・・・・確かに、キウイに会った事のある人なら、時々とんちんかんな話をするなぁ・・・って感じもするだろうけれど、表現力は豊かでその場にいない話なのに、そこにいる感じにもなる。
例えばノアさんのフラメンコの作品は女の人がメインで、大木のように迫力があって、グッと押し迫る臨場感があったりするとして、
逆にキウイの作品は、メインがメインに見えないくらい、小さくて、そんな小さい部分では景色に潰されそうになっても、
仕方無い感じだが、逆にもしそれでも存在感が出せたとしたら?小さく迫力って言うのが出る感じがするのね・・・。
更にかぐやとなると、そこに花や建物・・・・もはや何がメインとか関係ない感じ・・・・。
いずれにせよ、上手くなると複雑な事をやろうとするのね・・・・正直、見守る方も大変なのね・・・。
まっ、スカートにでも入って来ると、いくらか緊張感も薄れるんだろうけれど・・・・。そんな後は追加の下地作り。

気が付くと、クライマックスシリーズなんかやってたんだね・・・・全く野球に関係なしで1年が終わってしまった・・・って感じ
・・・って訳で、ラジオを付けて野球を聴きながら・・・・何だかこれはこれで新鮮なのね。
何か昔こんな事やってたな・・・・野球聴きながらなんて・・・・すっかり忘れてた・・・・。
飽きてしまうし、ついつい上手くなると、手を抜いたりしてしまう事もあったりするが、まぁキウイはいつもキウイ。
だからもう、同じパーツの繰り返しの部分に関しては、特に問題は無く終わって行くと思われるのね。
そんな中、この大作の中の唯一の色んな形が入って来る部分・・・・女の人。こんなに大きい作品でここだけは他と違う・・・。

くるぶしがあるよね・・・とか、ふくらはぎは太くならないように・・・・鉛筆の内側と外側どっちが良いかな?もはや指導はこんな細かいやり取りで、うっかりすると、それは一体コンマ何ミリの話?ってようなやり取りになる・・・。
ただ数ミリの話では無くて、くるぶしに見えるにはどの位?、ふくらはぎの部分はどの位だと太く見える?これだと太い?って感じで、
切っては確認みたいになる。そりゃ進まないものでね・・・・しかも、こんな事が出来るのは、それがその通りに切れるから。
いかに上手いか良く判るのね。言葉にしたその通りにして行くのだから。口にするから、伝えようとしている事を読み取り、こんな感じ?こんな感じ?のやり取りで見つけて行くもので、こうしたらこう見える・・・と迷い無く決まるのなら、相談相手はいらない。
要するに、こんな風にしたいんだけれど、これ見える?と自分があって、そう見えない時に、何処がどう見えないか?を是正して行く。何故言葉のようにならないか?ってね。だから表現がそもそも間違っているようだと、どっぷり深みにはまる・・・。
つまりその表現した言葉が違っている事に気が付けば、あぁそれならこっちじゃない?なんて簡単な事も、もはや探すと言うよりも、
面倒だから辞める・・・・に向かって行ったり、もうそれで良いや・・・・って話になる。
そもそも、それすらも終わったって感じにも思える・・・・確かに、キウイに会った事のある人なら、時々とんちんかんな話をするなぁ・・・って感じもするだろうけれど、表現力は豊かでその場にいない話なのに、そこにいる感じにもなる。
例えばノアさんのフラメンコの作品は女の人がメインで、大木のように迫力があって、グッと押し迫る臨場感があったりするとして、
逆にキウイの作品は、メインがメインに見えないくらい、小さくて、そんな小さい部分では景色に潰されそうになっても、
仕方無い感じだが、逆にもしそれでも存在感が出せたとしたら?小さく迫力って言うのが出る感じがするのね・・・。
更にかぐやとなると、そこに花や建物・・・・もはや何がメインとか関係ない感じ・・・・。
いずれにせよ、上手くなると複雑な事をやろうとするのね・・・・正直、見守る方も大変なのね・・・。
まっ、スカートにでも入って来ると、いくらか緊張感も薄れるんだろうけれど・・・・。そんな後は追加の下地作り。

気が付くと、クライマックスシリーズなんかやってたんだね・・・・全く野球に関係なしで1年が終わってしまった・・・って感じ
・・・って訳で、ラジオを付けて野球を聴きながら・・・・何だかこれはこれで新鮮なのね。
何か昔こんな事やってたな・・・・野球聴きながらなんて・・・・すっかり忘れてた・・・・。