昨日試しに塗ったアンティ-ク調も塗り直し・・・・正直どつぼな1日だった・・・
最近比喩に良く出て来るア-チストなんかの一貫したものの続き・・・
何でも同じだが、例えば音楽、作家、スポ-ツ・・・すべて極めた人達がつまづいた時に
必ず己のやって来た事を振り返り、そのままで良いのか?それとも変化させるべきか?
そしてそれすらも気が付かず・・・状況が悪くなってから気が付いたりする・・・・
会社の倒産みたいなものも、それに気が付かなかったり、無理を押し通したり、
その上、気持ち所かお金まで借りて突っ走った結果である。だからこそ闇雲に突っ走る、
そんな事は出来ない。がしかし、恋愛のように失敗して是正をするような姿勢も無い。
つまり是正は同じ相手にするもので、違う相手に是正なんぞしていたら、自分らしさまで
見失う・・・。だからこそ悩む。同じカルチャ-の仕事・・・同じ相手である事。
完全に以前の自分を捨てるべきである。ならば大事なのはまずは取り組む姿勢。
昔と今の違い・・・同じ貧乏だとしても生命保険の切り崩しがある以上、今の方が
状況は良いと考えるのが正しいはず。ならば時間もお金も掛けるべき。ここはすぐに
答えは出る。そこですでに3枚目のサンプル作りとなり、労力もお金も前回よりも
しっかり向き合っている。そこで出た答えが無難な花でバラになり、いつものように
慣れている、切る、彫ると言った下地・・・・特に何ら変化らしきものも無く・・・
いつもなら広がり過ぎてしまうデザインも1つにして・・・
デザインも大きくタッチを変える事無く・・・と書くと・・えっ?普通と取られそうだが
この下地自体、前回はやらなかったし、もっと言えばこれ自体が俺の下地らしい・・・
そもそもこの辺が掘り下げ所だろう・・・。例えば音楽なんかで昔と違う歌い方や
アレンジで変化を持たせたのだろうが、ファンは昔のままを好んだりする・・・
ここは以前売れた人の場合なのだから、俺は確たるものは無い。しかしながら、
このスタイルの下地は明らかに俺らしいもので、きっと今後も使い続けるだろう。
だからここは曲げない方が良い。ならば曲げるのは・・・後は普通で良いはず・・・
余り余計な事をせず。つまり通が好む下地では無く、なるべくシンプルに・・・
となれば、バラで黒・・・となるだろう・・・何故なら黒目地をすれば、仕上がりが
ステンドガラス風味になるから・・・。常連なら想像付くだろうが・・・
案の定、キウイから連絡が入り、タピオカは黒が・・・と言ってたらしい。がしかし、
キウイは・・・ん・・・私はどうしても黒い下地は苦手だ・・・と言う。
ん・・・だよな・・・そもそも黒が苦手だ・・・ってだけで嫌がられてしまっては
元もこもない。一番ガッカリなのは、ただ黒が嫌い・・ではモザイクまでたどり着かない
俺が見栄えが黒が良いと言った所で、連続教室のように何度かお会いする事になったり
ホ-ムペ-ジで作品を確認してくれるだとか、目の前でタイルを切るとか、
何らかの信用を得て・・・ならば影響力も発揮出来るかも知れ無いが、ほぼ何の信用も
無い状況では、単なる好みで決められる恐れがある・・・。
ならば・・・とこうして何種類も・・・と色はなりがち。
明らかに何もかも度外視しての製作である・・・結局、失敗した時にあぁして置けば・・
と後悔する位なら、やり切った方が諦めも付く。勿論完全な後向きな訳じゃなく、
前向きに考えた上での結果。もっと言えば黒が嫌な人へのブラウン、そんなの一緒じゃん
・・・と言う人に全く違う緑、そして今後の変化として練習の意味の2枚。
この練習は残っても仕方無い2枚として、作り直ししたとしても全部で10人限定で、
2枚は予備と考えて・・・と12枚作る事にした。ここも果てしなくいつものように
作らず・・・と徹底的にいつもと違う事をした。
こうして出来る事をする・・・と決めて、以前と比べて・・・以前と・・・と
やって行くのを、かぐやは聴いていて・・・向き合い疲れしているのも判っていた。
しかも私も何かを・・・とやりたい・・・と思っているのも判っていた。
ただそれでも大事なのは、今は俺に手を貸すのでは無く、口を挟む事のみ・・・
それは何故か?も考えさせるのも、かぐやへのなぞ賭け。すると何もかも自分で決めて
何もやらせてくれない・・・と言い出す・・・。
何とも愚か。大事な事が何であるのか?全然判っていない。見守るとは?・・・
相談には乗って、口は出しても、決定権は本人に・・・としなければ、
責任を持たせる事が出来ない。これが大事。あくまで失敗したのは俺なのだから。
ただ見守る辛さも大人の俺には判る・・・子供では無いのだから。
そもそも見守るって言うのは、得てして自分の思い通りにはならない。
ただ大事なのはお互いの思い。こうすれば成功する・・・とは限らないものを、
見守る方が正しい前提で押し付けようとする。それが老婆心。ただこの老婆心も
幼いものとのやり取りや同じ道に進むような時は、それもありだろうが、
いずれにせよ、愚かなのは最後は素直な気持ちでお互いが向き合わないと、
意固地になり、自分の意見が通らない事に不満を抱く事・・・そしてそれにより
相手も意固地になり、老婆心の側は勝手にしろっ・・・とまるで失敗を望むような
発言だったり、こう言う者に限って、結果に左右され、ほら見た事か・・・と
言わんばかり・・・こんな事もある。しかし老婆心。心配している1つの例。
良くある話だ。それはそれで1つの考え方で否定はしないが、これはクリエ-タ-を
育てるやり方では無いのも事実。つまり先人が成功者であるから故の老婆心。
つまり伝承みたいなもの。それはすべてが教えられたもので、自分で考える・・・
それが1つも無い。そして伝承するのなら、そんなものは一切いらない。受け継げば良い
、がしかし、もし自分で切り開いて行くクリエ-タ-を育てるのなら、
こうして来た・・・それを見せ続けるしか無い。感じる事がすべてだから。
生み出す力を育てなければならないのだから。誰も教えてはくれないのだから。
クリエ-タ-は生み出す力。どうやってきっかけを作るか?とか、どう切り抜けるのか?とか
そう言う事を教えて行く・・・となるのだけれど、教えると言うより見せ続ける。
教えるのは技術であって、生み出し方は教えられるものでは無い・・・本人の問題。
かぐやには、それを見せ続ける事が1つ。そして更にいかに口を挟むか?
その口の挟み方なのだ・・・影響力・・・思い留まらせる・・・その間になる・・・
相手に取って・・・。こんな事が出来るようになれば心に残る事になる。
今、現状の結果が老婆心と一致しなくても、特に問題は無い。
そもそも老婆心とは?高い位置からやるもの・・・である。その責任を負ってでも
って覚悟が必要でもある。当然それにより離れて行く事もあるのだから。
ただそれも超越すると離れない前提で、本気で切り掛かって来る。流石にかぐや相手では
こちらも多少本気を出さないと、こっちも切られる事にもなる。
何せずっと本気で育てているのだから、こちらの手の内はある程度ばれている。
この位、切り掛かっても・・・と来るのだが、本人に自分の力が理解出来ていれば、
加減も出来るだろうが、自覚が無いに等しい奴なのだ。何せ娘が母が上から目線で
済みません・・・katsuさん・・・と言う位なのだから、間違い無いだろう・・あははは
そんな力の持ち主が言う老婆心は確かに正解らしきものはある。・・・らしきにしたのも
理由があって、あくまで成功なんてのは付いて来るものなのだから。
では1つの例として、こうやって以前と比較して製作のkatsuは向き合って是正している。
がしかし、宣伝側としてのkatsuは?と言うと、広告に載せる写真等も以前は、
撮りました・・・であって、かぐやの意とは格段の違いで、それも今回は是正すべきと
言う。全くその通りである。それを判っていないはずは無い・・・何しろすべてを是正
なのだから・・・。しかも老婆心と一致。益々そうであろう。がしかし、見解の相違。
私が撮るから作品を送れと言う・・・確かにそれが正しいだろう・・・がしかし、
それはお金がある奴の行為。もうすでに労力もお金も使っている。その郵送代等も
出してまでやるべきか?となる。がしかし、かぐやは自分が出す前提で言っている。
ばかちん。それでは駄目なのだ。俺の出来る範囲でやって行かないと・・・。
例えば前回の撮影では・・・と振り返り、何とかかぐやの知恵を屈指して俺でも
別の人にでも頼み、自分を伝える練習にすべき。遠くから・・・自分を。
必ずクリエ-タ-は1人ではやれなくなる。みんなを動かす人にならなくなる。
それには以心伝心が出来る人が必要になる。楽譜渡して演奏して貰うのなら、誰でも
一緒。そうでは無くて、同じバンドならここはこれか?って楽譜に書いて無い事が、
良くも悪くも出来る人が個性。そんな事をする為にも、人の気持ちを汲んでモノを言う。
今回の場合なら、貧乏の俺にお金を出すから郵送させるのでは無い。
口は出すがお金も出さない。それでは理不尽と考えるのなら、同じ痛みを味わえる人を
探すんだな・・・そしてよろしくお願いします・・・とゆだねる。
それが前回よりも少しでも上回れば、是正はちょっぴりした事になる。
それには頼む人にいかに伝えられるか?となる。こんな事も上に立つ者になる練習。
近くにいないもどかしさも判る。力になれないもどかしさも伝わる。それによって
苛立っているのも判る。悩んでいるものの側にいるのは辛いのも判る。
けれどだからこそ、携わった時間が後になって楽しい思い出となる。何故ならいつも
本気でやっていたのなら、それが無くなれば楽になる。しかし本当に無くなったら?
日本語は音読み、訓読みと同じ文字で2つの意味がある。楽なのか?楽しいのか?
それはその時に本人が気付くだろう・・・。
苦しい時間帯は楽しむなんて事は中々出来ない・・・がしかし、通り過ぎればすべてが
思い出となる。大事なのは諦めずに投げ出さずに向き合って、過去を振り返っても
まぁあんなもんだろっ・・・と言える事が出来ればそれで良い。
タイル屋の時は、ゴミのような生き方しかしていなかったから、そんな事は出来なかった
がしかし、モザイクに変わってからは何1つ後悔は無い。すべてが全力だから。
余力なんぞ無し。宵越しの金なんて・・・とかっこよくタンカでも切りたいとこだが、
そんなかっこよさも持ち合わせをしていないので、泥臭くやって行くつもりである。
奴もそろそろ気が付いている頃だろう・・・・奴も・・・・。
そうそう使ってしまったユニディの下地も明日完成するが・・・・今年中の作品の完成は
どうやら無理になって来た・・・・
最近比喩に良く出て来るア-チストなんかの一貫したものの続き・・・
何でも同じだが、例えば音楽、作家、スポ-ツ・・・すべて極めた人達がつまづいた時に
必ず己のやって来た事を振り返り、そのままで良いのか?それとも変化させるべきか?
そしてそれすらも気が付かず・・・状況が悪くなってから気が付いたりする・・・・
会社の倒産みたいなものも、それに気が付かなかったり、無理を押し通したり、
その上、気持ち所かお金まで借りて突っ走った結果である。だからこそ闇雲に突っ走る、
そんな事は出来ない。がしかし、恋愛のように失敗して是正をするような姿勢も無い。
つまり是正は同じ相手にするもので、違う相手に是正なんぞしていたら、自分らしさまで
見失う・・・。だからこそ悩む。同じカルチャ-の仕事・・・同じ相手である事。
完全に以前の自分を捨てるべきである。ならば大事なのはまずは取り組む姿勢。
昔と今の違い・・・同じ貧乏だとしても生命保険の切り崩しがある以上、今の方が
状況は良いと考えるのが正しいはず。ならば時間もお金も掛けるべき。ここはすぐに
答えは出る。そこですでに3枚目のサンプル作りとなり、労力もお金も前回よりも
しっかり向き合っている。そこで出た答えが無難な花でバラになり、いつものように
慣れている、切る、彫ると言った下地・・・・特に何ら変化らしきものも無く・・・
いつもなら広がり過ぎてしまうデザインも1つにして・・・
デザインも大きくタッチを変える事無く・・・と書くと・・えっ?普通と取られそうだが
この下地自体、前回はやらなかったし、もっと言えばこれ自体が俺の下地らしい・・・
そもそもこの辺が掘り下げ所だろう・・・。例えば音楽なんかで昔と違う歌い方や
アレンジで変化を持たせたのだろうが、ファンは昔のままを好んだりする・・・
ここは以前売れた人の場合なのだから、俺は確たるものは無い。しかしながら、
このスタイルの下地は明らかに俺らしいもので、きっと今後も使い続けるだろう。
だからここは曲げない方が良い。ならば曲げるのは・・・後は普通で良いはず・・・
余り余計な事をせず。つまり通が好む下地では無く、なるべくシンプルに・・・
となれば、バラで黒・・・となるだろう・・・何故なら黒目地をすれば、仕上がりが
ステンドガラス風味になるから・・・。常連なら想像付くだろうが・・・
案の定、キウイから連絡が入り、タピオカは黒が・・・と言ってたらしい。がしかし、
キウイは・・・ん・・・私はどうしても黒い下地は苦手だ・・・と言う。
ん・・・だよな・・・そもそも黒が苦手だ・・・ってだけで嫌がられてしまっては
元もこもない。一番ガッカリなのは、ただ黒が嫌い・・ではモザイクまでたどり着かない
俺が見栄えが黒が良いと言った所で、連続教室のように何度かお会いする事になったり
ホ-ムペ-ジで作品を確認してくれるだとか、目の前でタイルを切るとか、
何らかの信用を得て・・・ならば影響力も発揮出来るかも知れ無いが、ほぼ何の信用も
無い状況では、単なる好みで決められる恐れがある・・・。
ならば・・・とこうして何種類も・・・と色はなりがち。
明らかに何もかも度外視しての製作である・・・結局、失敗した時にあぁして置けば・・
と後悔する位なら、やり切った方が諦めも付く。勿論完全な後向きな訳じゃなく、
前向きに考えた上での結果。もっと言えば黒が嫌な人へのブラウン、そんなの一緒じゃん
・・・と言う人に全く違う緑、そして今後の変化として練習の意味の2枚。
この練習は残っても仕方無い2枚として、作り直ししたとしても全部で10人限定で、
2枚は予備と考えて・・・と12枚作る事にした。ここも果てしなくいつものように
作らず・・・と徹底的にいつもと違う事をした。
こうして出来る事をする・・・と決めて、以前と比べて・・・以前と・・・と
やって行くのを、かぐやは聴いていて・・・向き合い疲れしているのも判っていた。
しかも私も何かを・・・とやりたい・・・と思っているのも判っていた。
ただそれでも大事なのは、今は俺に手を貸すのでは無く、口を挟む事のみ・・・
それは何故か?も考えさせるのも、かぐやへのなぞ賭け。すると何もかも自分で決めて
何もやらせてくれない・・・と言い出す・・・。
何とも愚か。大事な事が何であるのか?全然判っていない。見守るとは?・・・
相談には乗って、口は出しても、決定権は本人に・・・としなければ、
責任を持たせる事が出来ない。これが大事。あくまで失敗したのは俺なのだから。
ただ見守る辛さも大人の俺には判る・・・子供では無いのだから。
そもそも見守るって言うのは、得てして自分の思い通りにはならない。
ただ大事なのはお互いの思い。こうすれば成功する・・・とは限らないものを、
見守る方が正しい前提で押し付けようとする。それが老婆心。ただこの老婆心も
幼いものとのやり取りや同じ道に進むような時は、それもありだろうが、
いずれにせよ、愚かなのは最後は素直な気持ちでお互いが向き合わないと、
意固地になり、自分の意見が通らない事に不満を抱く事・・・そしてそれにより
相手も意固地になり、老婆心の側は勝手にしろっ・・・とまるで失敗を望むような
発言だったり、こう言う者に限って、結果に左右され、ほら見た事か・・・と
言わんばかり・・・こんな事もある。しかし老婆心。心配している1つの例。
良くある話だ。それはそれで1つの考え方で否定はしないが、これはクリエ-タ-を
育てるやり方では無いのも事実。つまり先人が成功者であるから故の老婆心。
つまり伝承みたいなもの。それはすべてが教えられたもので、自分で考える・・・
それが1つも無い。そして伝承するのなら、そんなものは一切いらない。受け継げば良い
、がしかし、もし自分で切り開いて行くクリエ-タ-を育てるのなら、
こうして来た・・・それを見せ続けるしか無い。感じる事がすべてだから。
生み出す力を育てなければならないのだから。誰も教えてはくれないのだから。
クリエ-タ-は生み出す力。どうやってきっかけを作るか?とか、どう切り抜けるのか?とか
そう言う事を教えて行く・・・となるのだけれど、教えると言うより見せ続ける。
教えるのは技術であって、生み出し方は教えられるものでは無い・・・本人の問題。
かぐやには、それを見せ続ける事が1つ。そして更にいかに口を挟むか?
その口の挟み方なのだ・・・影響力・・・思い留まらせる・・・その間になる・・・
相手に取って・・・。こんな事が出来るようになれば心に残る事になる。
今、現状の結果が老婆心と一致しなくても、特に問題は無い。
そもそも老婆心とは?高い位置からやるもの・・・である。その責任を負ってでも
って覚悟が必要でもある。当然それにより離れて行く事もあるのだから。
ただそれも超越すると離れない前提で、本気で切り掛かって来る。流石にかぐや相手では
こちらも多少本気を出さないと、こっちも切られる事にもなる。
何せずっと本気で育てているのだから、こちらの手の内はある程度ばれている。
この位、切り掛かっても・・・と来るのだが、本人に自分の力が理解出来ていれば、
加減も出来るだろうが、自覚が無いに等しい奴なのだ。何せ娘が母が上から目線で
済みません・・・katsuさん・・・と言う位なのだから、間違い無いだろう・・あははは
そんな力の持ち主が言う老婆心は確かに正解らしきものはある。・・・らしきにしたのも
理由があって、あくまで成功なんてのは付いて来るものなのだから。
では1つの例として、こうやって以前と比較して製作のkatsuは向き合って是正している。
がしかし、宣伝側としてのkatsuは?と言うと、広告に載せる写真等も以前は、
撮りました・・・であって、かぐやの意とは格段の違いで、それも今回は是正すべきと
言う。全くその通りである。それを判っていないはずは無い・・・何しろすべてを是正
なのだから・・・。しかも老婆心と一致。益々そうであろう。がしかし、見解の相違。
私が撮るから作品を送れと言う・・・確かにそれが正しいだろう・・・がしかし、
それはお金がある奴の行為。もうすでに労力もお金も使っている。その郵送代等も
出してまでやるべきか?となる。がしかし、かぐやは自分が出す前提で言っている。
ばかちん。それでは駄目なのだ。俺の出来る範囲でやって行かないと・・・。
例えば前回の撮影では・・・と振り返り、何とかかぐやの知恵を屈指して俺でも
別の人にでも頼み、自分を伝える練習にすべき。遠くから・・・自分を。
必ずクリエ-タ-は1人ではやれなくなる。みんなを動かす人にならなくなる。
それには以心伝心が出来る人が必要になる。楽譜渡して演奏して貰うのなら、誰でも
一緒。そうでは無くて、同じバンドならここはこれか?って楽譜に書いて無い事が、
良くも悪くも出来る人が個性。そんな事をする為にも、人の気持ちを汲んでモノを言う。
今回の場合なら、貧乏の俺にお金を出すから郵送させるのでは無い。
口は出すがお金も出さない。それでは理不尽と考えるのなら、同じ痛みを味わえる人を
探すんだな・・・そしてよろしくお願いします・・・とゆだねる。
それが前回よりも少しでも上回れば、是正はちょっぴりした事になる。
それには頼む人にいかに伝えられるか?となる。こんな事も上に立つ者になる練習。
近くにいないもどかしさも判る。力になれないもどかしさも伝わる。それによって
苛立っているのも判る。悩んでいるものの側にいるのは辛いのも判る。
けれどだからこそ、携わった時間が後になって楽しい思い出となる。何故ならいつも
本気でやっていたのなら、それが無くなれば楽になる。しかし本当に無くなったら?
日本語は音読み、訓読みと同じ文字で2つの意味がある。楽なのか?楽しいのか?
それはその時に本人が気付くだろう・・・。
苦しい時間帯は楽しむなんて事は中々出来ない・・・がしかし、通り過ぎればすべてが
思い出となる。大事なのは諦めずに投げ出さずに向き合って、過去を振り返っても
まぁあんなもんだろっ・・・と言える事が出来ればそれで良い。
タイル屋の時は、ゴミのような生き方しかしていなかったから、そんな事は出来なかった
がしかし、モザイクに変わってからは何1つ後悔は無い。すべてが全力だから。
余力なんぞ無し。宵越しの金なんて・・・とかっこよくタンカでも切りたいとこだが、
そんなかっこよさも持ち合わせをしていないので、泥臭くやって行くつもりである。
奴もそろそろ気が付いている頃だろう・・・・奴も・・・・。
そうそう使ってしまったユニディの下地も明日完成するが・・・・今年中の作品の完成は
どうやら無理になって来た・・・・