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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

みどり教室

2011-04-28 22:30:28 | モザイク教室
俺、かぐや、いよいよ3枚目完成したのはみどり。来月末には鎌倉に送らなければ
ならないから、そうなると来月中旬には完成したい・・・

一応決定では無いが、かぐやが目地をしにやって来る予定となった・・・・
そんな事からも催促となるが、参加者にはこのゴ-ルデンウイ-クに頑張って欲しい。

その様子を見てかぐやの日程を決める事からもよろしくね。

ではみどり作品の総評。葉っぱの葉脈の中心のズレは気になるも葉っぱ問題無し。
花も問題無し。しいて言えば、中心の丸から伸びている花とのつなぎ目になる緑の茎が

ラインとして直線ぽいのは気になるが、他は全く問題無し。総合的には良いんじゃない。
良くかぐやと俺の作品を観て作った・・・って感じられるね。

盗み切った・・・お見事。一人でここまで出来れば上出来です。

さてそれでは自分の作品は・・・


こちらも終わりを迎えようとしている。そうねぇ・・・次回完成で良いんじゃないかな。
目地について・・・の話も出た事だし、やはり完成が近いのは間違いない。

そしてチラッと新しい作品の構想なんかも持っていたのね。
中々やるのね。 一応参考になるような話はして置いたので何かの役に立てば・・・と。

まっ焦らずしっかりまとめると良いのね・・・・構想。


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さくら教室

2011-04-28 07:19:46 | モザイク教室
張り終わった。何か非常に調子が悪そうだったが、ここの所の2回は完全に気迫のみって
感じだった。ただそれも悪くない。気が張っているって言うのは、外部から何らかの

圧力なんかが掛かっているような状態をはね返そうとしている・・・プレッシャ-・・・
こんな時に起こるもの。

そしてそんなものが掛かるって言うのは、気の弱い人が追い込まれるような時や、
実力者が更なる高みを望まれている時などに起こる状況下にある。逆も真なり。

更に掘り下げれば、その圧力と言うのはその状況下から逃げない以上、高みを目指すしか
方法は無いと言う事。そして更に、その圧力の大部分は側にいたのにその人の成長を

感じ取る事の出来ない老婆心か、その人を見た目で判断してしまった素人のいずれか。

そして更にその圧力を掛けられている者は両者のいずれも持っている・・・だから、
本来、言われている内容についても応援される以上、理解出来なければならず、

だからこそ叱咤激励に耐えて花を咲かす事の出来る、ごくわずかな絶滅種となる・・・
そもそも花が咲かないと判らない人の方が多い訳で・・・

これは花が咲く・・・と観つけられるのは専門家や目利き、スカウト・・・投資家、
そう言った通常よりも一歩先を歩く人のみに備わった特殊能力。

だからこそ、花を咲かすまでに時間が掛かると、激励よりも叱咤の割合いが多くなる。
まだ叱咤されている状況なら構われているのだから、日常の叱咤の中にも

たまに水も貰える事もあるだろうし、外からの雨も偶然振ることもある。がしかし、
温室育ちでは管理の下で生きているので、ビニ-ルハウスの中には雨は振らない・・・・

こんな比喩からもさくらの場合、温室に育っているのならビニ-ルハウスに穴を開ければ
雨は入るし、時には塞が無いとならない・・・そんな役目かも知れない・・・

俺が出来る事はさくらに接する事。良い事も悪い事も同じように・・・・そしてその中で
さくらの活路を見出す事が先人の役なのだけれど、頑固だからそう簡単では無い・・・

まずビニ-ルハウス内である事の確認から。しかしそれはそこにあるべきなのか?
そうでないのか?の前の何処に今いるのか?の確認。

しかし中々その一番簡単な今何処にいる?これがそもそも間違っている人が多い・・・

まず事実の確認をする。老婆心を言う大抵の人はこの時点で怒ったりするね・・・
事実を認められない・・・これでは先には進めない。良くある封建的で立ち止まるタイプ

そうに決まっている・・・仕方無い・・・今までそうして来た・・・なんてね・・・

まずそこをクリア-出来れば、正義の押し付けでは無く、相手の出来そうな事を探す。
何しろ経験値が無いのだから、軽い経験値で慣れる・・・って事で萎縮しないように

出来るように・・・と繰り返す。出来ないのは経験値の無さと精神的な萎縮による、
失敗するに決まっている・・・と言う思い込み。まずはここの排除。

教える側としては、自分が成功者ならこうするべき・・・こうしろっ・・・・と
押し付けるような上目線で聞く、聞かないは自由・・・むしろ聞かないのなら去れ。

こんな態度でも良いのであろうが、実力と言うより経験値のみの指導者となると、
自分の経験値の範囲でこうして来たんだけれど・・・いかがなもんか?となり、

教えられる側としてはきちんと選択しないとそれはそれは窮屈なもんだ。
そもそもどんな指導者が好きか?となるのだから・・・選択権があると言うのは。

昔のように選択権が無ければ、他を知る事も無かったし道徳の時間は先生の質問に
みんなで声高らかに1つの決まった答えのみを言えば良かったものね・・・

しかも学校も先生も選択権なんてそうそう無かったもんね・・・

さくらのように俺のような生き物に出会った事が無ければ、それはそれは慣れるまで
大変だったろうが、それはお互い様なのね。

しかも人は進化もするし退化もする。そこを見抜けないと先人にはなれないし、
仮に見抜けなくても、見抜けてないよ・・・と言われるくらいの関係で埋めれば良い。

関係は築くものでこれが正しいって言うものは無いのだから。しかしそれにも
築こうとする姿勢が無かったり、築き方が間違っていると基礎の無いものになる・・・

人の関係も建築のように基礎は大事。ならば修繕もあるはず。ならば・・・
さくらのように宮大工を雇わないとならない特殊な施工で出来た建物もある・・・

俺に出来るかな・・・あはははは。何しろ努力だけは惜しまない。いつものように。



んで、こんな感じ。



しかもその指導者が親だとそれは両者共に結果が伴わないと窮屈な関係にもなる。




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