1960年代は「政治の季節」でした。70年安保以降「しらけ世代」が生まれましたが、まだ若者が政治を語るのは当たり前だったと思います。「ノンポリ」という言葉が生まれたのは、それだけ政治についてあーだこーだと常に問題意識を持って語っていた若者が大半だったからこそでしょう。しかし1980年代、日本の経済成長とともに若者カルチャーが変容し、楽しくてノリが良いことが最優先されるようになり、重い政治の話は徐々に敬遠され始めました。これは自分自身が若者として通ってきた道でもあるのでよくわかります。
2000年代に入ると政治を表立って語ることすらタブー視されるほどにまで政治離れは進みました。政治の話なんかしたら「空気が読めない」「ヤバイ奴」認定されて友達付き合いをしてもらえなくなり、SNSではそっとブロックされたりフォローを外されたりします。そして今や芸能人がツイッターで政権批判をしただけで大騒ぎになるところまで事態は進んでしまいました。
政治を語っていいのは専門家だけ、詳しい人間だけ。素人は黙って自分の本業だけしていろ、というのでは民主主義の根本が崩壊してしまいます。誰もが政治に参加できるように血と汗を流して権利を獲得してきた先人たちの労苦を無にするものです。政治家は神様ではありません。何も言わなくても全ての人のことを見ていて幸せをもたらしてくれるわけではないのです。苦しんでいる人は声を上げなければのたれ死にです。
いまコロナ禍でまた政治に多くの人が関心を持つようになりました。ツイッターで自分の意見を発言できるようになりました。その声が集まって検察庁改正法の採決を延期にし、10万円の給付を決めさせたのです。芸能人であろうが、学生であろうが、誰だって声を上げる権利があります。政治は生活に直結します。政治に関心をもつことは自分の人生に関心をもつことです。それがコロナによって実感されるようになりました。コロナが「政治の季節」を連れてきています。これが一過性で終わるかどうかはコロナ同様にわかりませんが。