昭和生まれの老翁の面白話。第29話「祖母」
祖母 祖母は大津市膳所(ぜぜ)地区では膳所小町と呼ばれるほど品の良い美人でした。祖父は細身で背が高く、病院の薬剤師をしていました。八字ひげを蓄え、病院の職員の記念写真では後ろの一段高い所に立つ人より顔が高くあり、美男でした。残念ながら小生は矮躯で美男美女のDNAはカケラもつながっていないのが残念です。
祖父は大正時代でしたが日本赤十字社滋賀支部病院の薬剤師と共に大津市丸の内町で薬局を経営していました。以後、公務と薬局の併営はいけないとのことで病院を止めました。薬局の経営は美人の叔母の人気ではやりましたが暗転、祖父が肺結核にかかってしまいました。店主が肺病にかかるような店では薬は買わないと客足が遠のきました。その後祖父は肺結核で死亡。貧困家庭に転落。子供、3男2女の内、次女と三男が相次いで肺結核で失いました。祖父の死後。祖母は薬局の免許がないので薬店を開業しました。未亡人で美貌、社交的な祖母には沢山の男友達ができ、好意の援助を受けたそうです。思想家の杉浦重剛(すぎうらじゅうごう)(思想家、明治、大正時代の国粋主義教育者。昭和天皇、秩父宮親王、高松宮親王に帝王学を進講する。小生は写真を持っている)。京都北野にあった精神病院の院長、大金持ちの中小企業の社長などです。祖母は事のほか小生を愛してくれ、祖母が遊びに行く時はどこに行くにも連れて行ってくれました。特に国鉄塚本駅近くにあった記憶する大衆劇場にドサ周りの劇団が来ると見に行きました。演劇のほか綱渡りのようなサーカスまがいのこともやっていました。祖母は我が母とはうまくいきませんでしたが事のほか小生を可愛がってくれました。
今週の一花 ネメシア
ネメシア ‘チョコバナナ’
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