三日坊主のトレーニング日誌

右膝の半月板手術から早3年。右膝は普通です。
トレーニングは室内でのローラー台とダンベルトレが中心です。

全国高校駅伝大会応援記(その2)

2017-12-29 22:08:25 | 日記

全国高校駅伝大会応援記、その2です。

男子の競技は西京極陸上競技場から一般道に出る交差点で1区の選手が走ってくるのを待ちました。

NHKの放送車、ここから全国に実況が中継されます。

選手の先導をする白バイ隊の皆さん、武者んよかです。
HONDAのエンブレムと京都府警のロゴが白いボディーに映えています。

先頭を走って来たのは中京高校の選手です。

その後ろの選手たち(2番目が井川選手)

全選手が都大路に出て行きました。

 九州学院の1区は、2年生の井川君です。国体5000mで3位(日本人選手2位)に入っています。その時のタイムが14分0秒98でした。
日本人2位は佐久長聖高校の中谷君です。彼のタイムが14分0秒39です。1区の10kmは5000mの記録を2倍して、1分ほどのタイムを加えたぐらいになります。
その通りに、井川君は力走し、中谷君と1秒差で2区の今村君にタスキを渡しました。井川君の強い意思が現れた走りでした。

 1区の選手が競技場を出てしまってからすぐに西京極駅へ向かいました。向かったのは京都駅。そこから京都市営地下鉄に乗り、京都御苑まで移動しました。
そこは、2区から3区の中継点があるところです。私は、ラスト1kmに近いところで応援していました。
 1位は佐久長聖、2位は九州学院の今村君です。1区との差は15秒ほどでした。しっかりと2位をキープして1位の選手を追っていました。

 2区の選手が通過した後は、4区から5区の中継地点も、京都御苑南側にあるので、4区の選手が来るのを待つことにしました。

 
 第4中継所付近をウロウロしていると5区の選手コールが行われていました。


 私は、第4中継所から4,50mほど東に移動した所にある交差点で4区の選手が走ってくるのを待ちました。
 予定通過時間が近づくと、移動規制のためのロープや、三角コーンを警察官や陸協役員が設置をされていました。
 それ以外にも、信号機のコントロール、車両の誘導、応戦者の移動規制を担われていました。


 
 私もずいぶん前に中体連駅伝大会の役員として競技場から一般道に選手が出ていく時に、応援者の走路内への侵入や移動を止めていただく役員をした経験があり、
陸上役員の方々の気の張り様はよくわかります。その役割を果たすことはどのような大会でも同じ気持ちで臨まれるのでしょうが、全国大会の役員としてはいつも以上の気持ちでおられたと思います。
 
 さて、4区の選手が行き過ぎるのを見ながら、次は7区の後半あたりが見ることできる所まで移動をしました。

 トップは倉敷高校でした。


 3位は九州大会1位の大分東明高校です。この区間2位の佐久長聖高校の写真を取り損ねています。


九州学院4区の佐藤選手は区間記録5位の力走で4位で5区の選手にタスキを渡しました。


 京都市営地下鉄を使い移動し、五条通りのどこかに到着しました。地下から地上に出て、選手が走ってくる道路に来たのですが、
応援者がほとんどいません。同じ地下鉄で移動した別の団体さんの会話が聞こえ、すでにアンカーはそこを走り去ったことを知りました。
 フィニッシュまで2,3㎞ほとの地点なので、ゴールには間に合わないので、京都駅に引き返すことにしました。
 これで、私の全国高校駅伝大会の応援記は終了です。

 熊本代表の九州学院は全体で9位でした。今年は5人の1,2年生が走っているので、来年全国大会に出場したならば、まだ良い結果が
出ると思います。ただ、優勝した佐久長聖高校も1,2年生が4人残るので、来年も優勝候補になると思います。
 私が勤務している中学校から卒業した陸上部の生徒たちは各高校で駅伝全校大会目指して、日々努力していると思います。
 その生徒が走ることがあるなら、来年も応援に行きたいと思います。が、高速バスについては少し考えます。
 55歳の身体にはちょいと無理があるようなので。

 次は「京都ぶらり一人旅」は心だ。 
 (ここでお囃子)