ランシモ

ランニングからツチノコカメラや時事まで興味あるすべて

東京マラソンの応援記、19km地点(森下)、39km地点(大門)

2017-02-27 17:43:08 | ランニング・大会

東京マラソンには南蛮連合から20人余りが参加しました。

外人が多いので当選する確率が高いのです。

Eiichiro Kamikawa
Harrisson Uk
Mike Hegarty
Henry Kelly (from England)
Marie Gras
Derek Leong
Padraig MacColgain
Katsu Kinoshita
Satohi Numasawa
Carol Cunningham (from China)
Yuuka Yonemura
Russ Stamm (from New York)
Eric Guinard (from Osaka)
Rika Homma
Mary Eckstein (from Hong Kong)
Hemant Tilekar
Yoshie Niitsuma
Celine Bouny

第一回大会には50人ほどが参加できましたが、回を重ねるごとに複数回走られるかたがいて、遠慮してメンバーもエントリーしなくなりました。

でも、大きな大会なので南蛮連合のメンバーも大挙して応援に駆けつけました。

私は仕事場から駆けつけて、仕事に戻るので毎年チームとは別行動です。

ゼッケン1番が優勝したキプサング。

ペースメーカが多くて、超高速レースになり、2時間3分台の驚くべき記録が生まれました。

周りはケニヤ勢でしょう。

ペースメーカーも主役たちも、すべてケニヤ勢かなーーー。

真ん中がキプサング。

足の長いことー、走るための機能美とでもいいましょうか。

無駄肉がありません!

わぉー「猫ひろし」さんじゃありませんか!

トップが過ぎ日本人の集団が過ぎ、しばらく経つと小さめなナイスガイが走ってきました。

観客は大喜びで一番声援が大きかったぞ〜〜〜。

タイムは2時間30分43秒!

オリンピック選手だものなー。

元、、、いや現役のお笑いタレントですが、しかも年齢を考えると、、、驚異でしょう!

見物していて気がついたのが、今年は各国から各国用のペースメーカーを用意した気がします。

ペースメーカーのウエアーが違ったのです。

国ごとかスポンサーのメーカーごとなのか、、、。

 

20人の仲間を3万5千人の大集団から探すのは、、、実に大変で5人/20人ぐらいしか見つけられなかった。

特に、3時間、4時間のペースメーカー(金色の風船をつけている)の周りには500人ぐらいの集団ができていて、人と人が重なって判別不可能です。

さすがに大きな大会だーーー。

上位で走っている南蛮連合メンバーはなんとか捉えられましたが、それでも出場者の名簿をみると、だいぶ見のがしている。

上の彼女はベストコンディションじゃなかったようですが3時間20分で走りきりました。本命の大会は名古屋だそうです。

彼女は自己ベスト(PB)を出しました。

いつも南蛮連合のインターバルでも元気でA組みを引っ張っています。

フルマラソンを3時間1分ともうサブスリーみたいです。

南蛮連合のトップは先に行っているようで、彼もサブスリーでしょう。

この辺りのランナーのウエアーはランシャツが多い。

早く走る人はランシャツ&ランパンです。

たぶん、このナンバナーは若くて走り始めて間もないのかもしれない。

いやはや、東京マラソンは大きな立派な大会になりました。


私は東京マラソンが始まる前から、宇佐美(1960年代の東京オリンピック代表)さんのお手伝いで、都内でフルマラソンをやるにはと、あちこちボランティアをやっていました。

東京マラソンの立ち上がりからボランティアを5年間ぐらいやって、今はもっぱら新宿マラソンの方に会社ぐるみで手伝っています。

東京マラソンより新宿マラソンの方が、文字通り地元ででしょーーー。

東京マラソンは全国的&世界的な大会でボランティアは殺到しますが、新宿マラソンは知名度もないしコアーな大会なのでボランティアが全く足りません。それで爺婆まで駆り出されて沿道整理しています。そんな状況を見たら、ランナーとしては放っておくわけにはいきません!

東京マラソンの懇親会もありました。 http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/3281cb1b4e9727ac78f956db3e7e59b3

第一回東京マラソンは手探り状態で始めましたから。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

台湾鉄路千公里、読書

2017-02-25 19:54:24 | 本と雑誌

宮脇俊三著、

昭和60年に初版本であるので、今から35年ほど前の台湾鉄道情勢です。

まだ台湾新幹線ができる前で、東海岸の鉄路が完成していなくて、台湾一周が途切れていました。

たった35年ほど前なのに、台湾には中国人に編入される以前から住んでいた、元の民族の風習や生活様式が見られたと言います。

なんでも、、、台湾政府が原住民(と言っていいのか)に「山から下りてきて平地に住みなさい」とか呼びかけていたとは、、、日本の江戸時代みたいな話が聞こえていました。

日本だと蝦夷地のアイヌや南方海洋民族に当たるのかなーーー。

私が高校生、大学生のころには、東北の飯豊山地や朝日連峰の山岳地帯には、縄文式のような掘っ立て小屋があったのを、私の記憶にはあります。えぇーーーと思ったものです。

台湾は基本的に日本人には親しみを感じているが、それ以上にやさしい(意地悪でない)国民なのだろう。

台湾は九州程度の広さで、3000m級の山がそれこそ無数にあるので、平地が少なく鉄道路線も西側の開けたところだけにあった。

東側の太平洋側は、この当時では一部開通していなくて、一周路線まではできていなかった。

しかも、急峻な東路線は日本の狭軌路線よりもさらに狭い、黒部渓谷のトロッコ列車を大きくしたような鉄道だった。その名残は阿里山鉄道に残っているそうで、私もその列車に乗って富士山より高い阿里山に登ってみたい。今年の正月に台湾に訪れたが、残念ながらそこまで行けなかった。台南観光が精いっぱいだったから。

今では、台湾一周を日本と同じ規格の狭軌鉄道でグルッと回れます。

台北、高雄間は幹線で自強号(特急)、蕎光(急行)、対号特快車(準急)、快車(快速)、普通列車に分かれている。

西側の本線は日本のJRの路線よりも揺れは少ないと書いてあった。おそらく、鉄道の整備は日本のほうがはるかに手が入っていると思われるが、地震などで路線の狂いが少ないのだと思う。それは、ヨーロッパの鉄道に乗ってみれば歴然です。EUの高速鉄道は昔から新幹線よりも快適な乗り心地だった。路盤が安定しているのだろう。

台湾には地震が日本と同じようにあるから、線路がよいのは別の理由があるのかもしれない。自競号の快適さと、駅を通過するときのスピードに驚いたそうです。近年、鉄道が整備されてきたからだろう。

面白いのが、特急にしても急行、準急にしても指定席があり、アナログ作業で区間区間の切符を発売していて、どうやってダブルブッキング無しで発券しているかわからなかったそうです。正確なアナログ方式があるのでしょうね。

昔々、ロシアがソビエトと言っていた時代に、欧州に行くときしばしばアエロフロート(ロシア航空)で行きましたが、あそこはダブルブッキングの名手だったからなーーー。席は早い者勝ちみたいだった。

台湾のたった35年前の鉄道事情の話ですが、読んでいて日本の昭和40年代のころの感じです。蒸気機関車がようやくなくなったころの感じかな。

私の生まれが新宿で、深夜に夜汽車の汽笛を聞きながら布団に入ったものです。新宿で蒸気機関車の音が聞こえなくなったのは、、、おそらく1970年ごろだったのではないか。オリンピックの後じゃないですか~~~。でも一般路線を走るのではなく、たぶん蒸気機関車が解体されるために最後の運行だったのだと思います。

北海道には最後まで蒸気機機関車があった。函館から札幌へ行くときに乗った特急が蒸気機関車の2重連だった。かっこよかった!

今の超デラックス列車よりも、当時の特急は輝いていたーーー!

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

親友の会社が30周年

2017-02-24 20:17:51 | 日記・エッセイ・コラム

20代の丁稚奉公からの友人の会社が30周年を迎えた。

企業寿命は23、5年と言われていますが、一方で10年を切っていると言う話もよく聞きます。

10年で10%ぐらいしか残らないとも聞いたことがあります。

友人の会社の30年祝賀パーティーに呼ばれた。

そういえば私の会社は株式会社に法人化してからだと35年は経っている。

個人経営から規模を拡大してからは27年程度だと思う。

それにしても、何度も荒波に揉まれていつ沈没してもおかしくないような経営だったーーー。

業界の古くからの会社も半分以上がなくなっている。

よくもったものです。

なんだろうーーー突き進む突進力とでも言うのだろうか、それだけじゃなく各々が感じていた確信が正しかったのだろう。

有名なシェフを呼んでケータリングです。

会場内にブースが4箇所あったから、相当費用がかかっているぞ。

会場が自前だからできるのであって、借りていたら無理そうだ。

友人のお二人とも手堅い商売じゃなく、けっこう攻撃的な手の広げ方です。

私はただひたすらに、手堅く手堅くやってきただけです。

だから会社規模に大きな差があります。

話を聞いていたら私の会社の10倍の経費がかかっているようだった。

すなわち10倍の売り上げということだなーーー。

良い友人を手本にしています。 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

環七まで往復で10kmランニング

2017-02-21 15:59:26 | ランニング

仕事が暇だったのでランニングに出ました。


新宿から神田川に沿って環七まで往復です。

予定では単純に往復だったが、環七からの帰路は三角形の2辺を走る格好になった。


最初、神田川に沿って中野長者橋まで行きました。

そこから川沿いの道がなくなるので、通りの名前を知らないが(たぶん富士見通りとでも)中野富士見町まで。

中野富士見町は丸ノ内線の盲腸みたいな駅があります。

盲腸路線の終点は方南町です。

丸の内線の本線は青梅街道に沿って新宿から荻窪に向かっています。

確かに方南町は他の電車路線がないので、丸ノ内線がなかったら陸の孤島になるなー。

中野富士見町を過ぎたら、神田川は善福寺川を右手に分岐します。

今日は神田川じゃなく善福寺川に沿って環七まで行きました。

神田川はさらに行くと環八を超え井之頭公園に出ます。

そこまで往復すると20kmになります。

善福寺川はさらに行くと善福寺池で終わります。

井之頭公園の井之頭池も善福寺池も武蔵野台地の伏流水がポッと地表に出てきたところです。

妙正寺川も同じで武蔵野台地の伏流水が妙正寺で地表に出てきて川になったもの。

善福寺川も妙正寺川も最後は神田川に合流します。

神田川は都内西の水を集めて流れています。

 

ランニングは環七に出てから北上して、妙法寺から右手に折れて妙法寺参道商店街に沿って帰路についた。

知らない住宅地をこちょこちょ走って蚕糸の森公園に出た。

高円寺の近くで、わりかし近所ですが初めてだった。

青梅街道を渡り桃園川の暗渠を東に向かった。

桃園川緑道というが、ただの暗渠で緑道と呼ぶにはちょい殺風景だ。

山手通りを過ぎると、やはりこの小さな川も神田川に合流します。

会社まではあと少しだ。

 

今日は晴れていたが風が強くて体が温まらなかった。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

男の料理教室、八宝菜&肉まん

2017-02-19 15:12:34 | 食・レシピ

渋谷区の千駄ヶ谷社協会館で開催されている、男の料理教室に行ってきました。

毎月行く予定ですが、仕事の関係で土曜日も忙しく行けませんでした。

教室に入ってエプロンをつけていると、会館の職員が先日はありがとうございました、、、と挨拶に来た。

なんだーと思ったら、先週、千駄ヶ谷社協館祭りがあって、この男の料理教室のメンバーが、腕を振るってお食事を作って提供したそうだ。

そう言えば、昨年から頼まれていたが、すっかり忘れていた。

なんでも、牛丼、トン汁、お稲荷さんなどを250食ぐらいずつ作って大評判だったそうです。

地元のお祭りには議員さんもいらして、若い渋谷区区長(長谷部さん)までこられて挨拶されたそうです。

肝心な時に行かなかったのは、、、腕の見せ所だったのになー残念!

今日の献立は、、、

八宝菜と肉まん。

どちらも中華料理ですねー。

御年90歳でも元気ですーーー。

八宝菜は見よう見まねで作れそうだが、肉まんは想像できない。

生地を作って具を詰めるだけだろうが、さっぱり見当がつきません。

八宝菜は上記お野菜などを切っておけば調理はあっという間にできますので、もっぱら肉まん作りに取り掛かります。

小麦粉の薄力粉と強力粉を用意して、ここが大事なのだが、正確に計測してボールに入れます。

ベーキングパウダーやドライイーストも正確に測ります。

ごま油や醤油、ぬるま湯を入れてコネコネします。

あまり手の熱が伝わらないようにコネました。

丸い塊にしたら一次発酵です。

20分ぐらいじっと温めておいておくと、表面が膨張してつるつるになります。

それから、計測して6等分に正確に切り分けます。

多いだの少ないだの外野はうるさい。

切り分けた肉まんの生地は麺棒で伸ばしていきます。

丸くなった生地を、まず掌で押しつぶして丸い板状にします。

端から麺棒で薄くのばしていきます。

ここがポイントで、端から延ばしていき真ん中はちょっとぐらい厚くてもいい。

具も正確に等分します。

多かったり少なかったりしたら、クレームになりますからねー。

丸くのばした生地を左手で持ち、具を真ん中に置き生地を閉じていきます。

生地の回りに水をちょちょっとつけると止まりがよくなります。

餃子のように指でひだひだを作るのもよし、肉まんのようにとんがらせてもよしーーー。

こんなにはきれいにできません、ふつうはねー

手前は先生が作った肉まんで、上の二つは生徒さんの作品。

実にみっともない形だ。

センスなどひとかけらもないような肉まんだなーーー!

ぐちゃぐちゃじゃないか。

でもでも、25分間蒸し上げるとーーー

ジャンー

大きくなりました。

側につやつや感があります。

口は閉じていないけど、、、お味は素晴らしかったーーー。

大阪の551に絶対に負けない肉まんの出来上がりです!

肉まんを蒸している時間に八宝菜を炒めます。

大きいな鍋でやったほうが、最初お野菜が多いので安全です。

白菜は小さめのを、まるひとつ使いました。

最後にとろみをつけて出来上がり。


男の(いいかげんな)料理教室

千駄ヶ谷社協館で毎月土曜日に開催しています。

18:00から20:00ぐらいです。

主催:代々木健康友の会 03-5411-9589

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

代々木公園の河津桜はピークかな

2017-02-18 11:33:34 | 日記・エッセイ・コラム

たまの休日なので代々木公園ランニングでした。

南蛮連合の仲間は土曜日の午前中は青山通りの御所でヒルリピートしていますが、代々木公園の河津桜が見たかったのでパス。

じゃーん

満開ですねーーー。

メジロさんも来ていました。

代々木公園はドックランでお犬さんも多かったけど、ランナーが多かった。

それも、東京マラソンを1週間後に控えているので、本番さながらにスピードを上げている方が多かった。最後の追いきりなんでしょう。

ここの河津桜は1週間前から1週間後まで2週間ぐらい桜見物できます。

花が落下しても地面がピンクになってきれいですよーーー。

最近はランニングというよりジョギングです。

走るとちょっと汗ばみますが、大汗はかきません。

何やらコースわきに水が置いてありました。

給水の練習です!

土曜日や日曜日の午前中はいろんな市民チームから大学生、高校生部活連中が走り回っています。

東京マラソンが1週間後なので、本番さながら以上のスピードで走っていた。

以前、、、セカンドウインドウの嶋原さんが世界大会に出る前の追いきり練習に出くわして、その迫力にびっくりしたことがあります。

国内の大会では何度も優勝していた方で、女性実業団は大学生男子以上の走力がありました。

練習すると女性でも、、、こんなに速くなるんだとびっくりしたものです。

代々木公園のお隣に織田フィールドという400mトラックがありますが、当時、資生堂の選手寮が近くにあったので、弘山さんが大学生を置き去りにするくらいのペースで走り回っているのを、よく見かけました。

代々木公園で大外のダートを走っていると、私は足元を注意しながら走っていたら、目に足が4本見えるなりあっという間におい抜かれたら、弘山さんの足と、、、加納さんの足だった。女性でも鍛えるとバリバリ筋肉足になるものだと感心しました。

私が一番練習していたころは、資生堂の女性選手に負けないようなスピードで走っていた。女性に負けるものかとライバル心を持っていた。男子実業団ははるかに遠い存在でしょーせめて女子実業団に追いつきたかった。

それで、市民大会にはたいてい男女実業団の選手が数名づつ招待選手で走りますが、男子招待選手は大学生をぶっちぎってトップを走っているけど、女子の3番手あたりが私の目標だった。私も歳の割に頑張っていたものだ。

代々木公園の原宿門近くのミモザはこれからがいいですよー。

3月、4月の花なのに2月の中頃で花が咲いている。

温暖化なんでしょうねー。

これからが見頃ですねー。

2016年2月18日 河津桜にはメジロがよく似合う

http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/db3149fbbe34d9be56cd4f359981b475

2016年2月17日 河津桜と紅白梅

http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/f84540cacd3311d601dd27dc80e7df00

2016年2月14日 代々木公園で河津桜の花見

http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/3367da111541ad693e09df14cb084e12

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

新宿畑の大根

2017-02-17 10:49:50 | 畑仕事

秋に種まきした大根がすくすく育っています。

玄関の土なので、畑のような良い土じゃないし、土の中はどうなっているかわからないが、大根葉は立派に茂っている。

大根が地上に出てきました。

畑のような土地だったら土の中にまっすぐ長〜い大根ができるけど、、、ここは新宿の庭なので石やら混じって土が固くて、きっと形の悪い大根ができているだろう。

大根葉は新鮮で美味しいですよーキット。

大根がもっこり首を出しています。

後ろのお地蔵様は5体あって、ゴミ置場にしているところなので、ご近所の方に叱られることがあります。

なんて、罰当たりなことをしているんだ、ちゃんと供養しなさいーーーとね。

昔々、この先に石屋さんがあって引っ越されるときに、私が5体のお地蔵さんを廃品業者のトラックの荷台から助けだしました。

だから、これらのお地蔵さんの命の恩人は私ということに。

近所の神社にお祓いを頼んだら3万円といわれた。

結局数十年持ってきたままです。

罰が当たらないから、良かったのかも。

いずれ、まわりを綺麗にしようと思う。

お賽銭箱でも置こうかな〜〜〜。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ランニングで桜新町のパン屋さん、ブロートハイム

2017-02-12 19:22:44 | グルメ

休日はゆっくりしたいでしょーーー。

10:00に小田急線に乗って多摩川を超えて登戸でおりランニング開始。

ほんのビッチョ二子玉川まで6km川沿いに走って、それから瀬田の交差点を過ぎ、東急田園都市線の用賀、桜新町まで3kmランニング。

合計で9kmだった。

パン屋さんのブロートハイムは超繁盛店だった。

写真を撮る前にかじってしまった!

パン生地がおいしいですね。

チーズ&ソーセイジ

ちょっとピリ辛なソーセイジにチーズがカリッと焼けていました。

フランスパンのパン生地でよく合います。

ミニ・フランスパンにカマンベールを挟んだもの。

ブロードハイムのパン生地は塩分が適切で、どこぞの有名店のようにガツンとしたお味じゃない。塩分控えめなのか、、、後味が悪くない。

閑散とした住宅地にあるが、このお店めがけてベンツがずらーり止まっていた。

このお店に何回か訪れましたが、私も車で行くことが多かった。

今回のように走っていったのは初めてです。

パンランですね。

昨年だったか、この先から新宿までランニングで戻ってきたが、夏だったのもあるが結構疲れた記憶がある。30kmを切るくらいだったが、、、。

お店は一軒家で、店内は売り場は狭くてお客さんでぎっしり。

ひっきりなしにご近所かパンを求めて殺到しています。

お店の奥の調理場は広かった。

連れの人は外で待っていたほうがベター。

子供ちゃんを店内にいれたら迷惑がかかりそう。

1987年にオープンしたというから30年の歴史がある。

名店ですね!

の会社も、、、もうじき30周年!

ベッカライ・ブロードハイム

食べログ https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131707/13001529/

二子玉川から用賀、桜新町の東急沿線は地名の語ろうがよいので人気です。

田園都市線や、自由が丘、田園調布、緑が丘など女性がうっとりするようなネーミングですよーーー。

京王線の調布より、東急線のように田園を頭につけて田園調布というと、なんだか目の前の緑豊かな郊外が目に浮かびますからね。中央線の荻窪、大久保、阿佐ヶ谷、三鷹などだったら味もそっけもない大きなくぼ地や谷や、武蔵野の原っぱのイメージでしょ。東急電鉄はそれでうまいことをやった。

街自体は、、、荻窪や中野、吉祥寺のほうがはるかに大きくて面白いけど、、、。

この沿線ではあの手この手で街の景観や、いわれを作ってうまいことやっている。

多摩川の土手の上はランナーが多かった。

東京にはランニングのメッカがいくつもあります。

皇居、御所、代々木公園、駒沢公園、光が丘公園、荒川の土手、多摩川の土手、ほかにもいっぱいありそうです。

東京は人口が多いしランナーも極めて多い。

小田急線の登戸から走り出してすぐのところ。

私のファーストカメラです。スマホは便利だが写りがやっぱりコンパクトデジカメのほうが良いので、ランニングにはこれを持ち出します。ニコンの30m防水カメラです。山を走る(トレイルランニング)などでも、手が滑って落としても大抵はダイジョーブ。外装はラバーなんです。

多摩川の河川敷は野球場やゴルフ場、テニス場、家庭菜園などに利用されています。

風が強いと土手なので走るのに大変ですが、距離を一気に稼ぐには良いコースです。

登戸から二子玉川方向に向かっているので下流方向です。

反対に後ろに走っていくと、調布や府中、さらに行くと八王子のほうまで足を延ばせます。6kmから40kmまでいろいろコース取りができます。売店が少ないので脱水には注意ですね。トイレはスポーツ施設には必ず置いてあるのでそれが利用できます。河川敷の施設は都(国?)のものなので無料で使えたと思います。

今日はパンランで9km、昨日は立川の昭和記念公園で8kmのランニングでした。

充実した休暇になった。 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

札幌の人気喫茶、アトリエ・モリヒコ

2017-02-11 00:18:00 | グルメ

札幌で一番人気な喫茶店だそうです。

本店は円山公園にありますが、私が訪れたのは市内にある支店。

本店は古民家を改造したもので、アトリエ・モリヒロはビルの天井を抜いて広々としたアトリエ風にしてあった。

美味しいコーヒーを飲んで本でもゆっくり読みたくなるような店内です。

ただのトーストもフォークとナイフがついてくると、うーんリッチになった気分。

カフェオレにホワイトチョコがかかっていました。

芸が細かいでしょ。

かき混ぜるとアツアツのコーヒーにチョコが解けていき、なおさらマイルドになります。

こんなの、女の子が好きだからなー。

結構な値段だったと思います。

お客さんもほとんど全員が女性ですよ~~~。

男は早い、うまい、安い、居酒屋でくだをまいているのかなーーー。

ずいぶん健康度に差が出そうです。

お酒は気分転換にいいしストレス発散にいいと思われているけど、心のストレスを体のストレスに変換しているだけだと思う。私の兄がお医者さんで健康なんやらという政府機関の理事長をやっていて、お酒は一滴でも体には負担になると言っていた。お酒も世の中にあるものだから、たしなんで飲むのは楽しいけど、体には100%いいことはないと言っていた。

それで、、、男はストレス発散したと思って、しかし体のほうにストレスを移動しただけで、しかも無頼漢を装って暴食暴飲で早死にするのだろう。

ダブルですよ~~~。

知人は40代で発症して、、、50代からお亡くなりになるかたがちらほらいらした。

やっぱり、ほどほどが何でもよろしいようで、、、。

なんだろうと思ってよく見たら、電信というか電報というのか、昔の通信機じゃないですか。

 

アトリエ・モリヒコ

北海道札幌市中央区南十条西12-4-182ASビル

011-231-4883

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

シトロエン・DS21パラス

2017-02-07 20:42:14 | 

街で見かけた懐かしいシトロエンDS21パラス。

60年代は私が中学生、高校生のころで、車がやたらとまぶしかった時代でした。

車がこそが豊かな社会の象徴みたいだった。

アメリカ映画やアメリカのテレビ番組のビバリーヒルズ白書などでは、高校生が大きなアメ車を運転して、ティーンの白人女子高生とドライブ、、、。

なんて豊かな国があるのだろうと、羨望のまなざしだった。

日本がいくら戦後の驚異的な発展していたと言っても、豊かさのスケールも内容も桁違いだった。

そんな中で、フランスからシトロエンDSが出てきたとき、宇宙船が自動車になったのじゃないか言うくらいの衝撃!

当時の日本車は観音開きのクラウンや箱型のダットサン、日野自動車が作っていた小型のルノー、プリンスだってダットサンよりチョイ大きいぐらいでデザインは箱型のまま。日本の道路には三輪自動車が走り回っていたんですぞー。

あの三丁目の夕日そのものの世界だった。

もっと時代がたって、大学生のころに伊豆大島にキャンプ旅行に出かけた時、元町の急坂の上のほうから、オート三輪車がごろごろ転がってきて、最後にちゃんと起き上がって走っていったのには大笑いだった。運転手の若者はドアーの上に手をかけていたので、転がるたびに手が車体と道路に挟まれて痛そうにしていた。三輪車はバイクみたいで軽量で下り坂に弱いということをまざまざと目の前で知ったのだ。

でも、けがも大してしないで走り去ったのには、、、何というか感激的だった。

そんな漫画のようなブザマに比べると、、、このシトロエンは異次元の車!

今でもきれいにしていますねー。

メンテナンスは大変だろう。

どんな方が乗られているのかなー。

クラウンやセドリックと比べるまでもなく、斬新なデザインとメカニックです。

当時の日本は名神高速道路ぐらいしかなくて、100kmで巡行できる国産車はわずかしかなかったのではー。

そうそう、新幹線がまだ部分開通だけで、試験区間に私の爺様が老人会の方々と招待されて乗りに行っていた。その自慢話をよく聞かされたものです。速いんだぞーがたごと走るんじゃなくコップの水もこぼれないくらいだーなんて自慢していた。

私が初めて手にしたのは三菱・コルト・1000Fです。

コルト1000Fはじわーとアクセルを踏んでいたら100kmは出ただろうが、そのスピードからブレーキは効かなかった。

50km以下で走っている時と、80kmで走っている時ではブレーキの効きが全く違い、高速からじゃブレーキをかけてもスカーと空走するだけだった。

いやーーー怖い怖い車だった!

車は普通、4輪ドラムブレーキで、タイヤチューブ付きのバイヤスタイヤが標準だったのです。

三菱コルトは今の軽自動車よりも室内が狭かった。

小さい車に5人乗って仲間とあちこちドライブに行ったものです。

伊豆、日光、上高地、御岳山、富士山、八ヶ岳、九十九里、房総半島、三浦半島、鎌倉と、学生生活は何をしていたんだろうーてくらい仲間と遊びまわっていた。

そんなこんなで、シトロエンなどは三菱コルト(私が買ったのは展示車で安かった)の10倍以上の金額だったのじゃないかー。

まだまだ日本車はアメ車にもヨーロッパ車にも、まったくかなわなかった。

それが、70年代に入るとブルーバードとスカイラインという、日本車の水準をびっくりするくらい引き上げた車種が出てきた。

トヨタのコロナやマークⅡができたのもこのころですが、商業的にはトヨタのほうが売れたけど、こと車の造りや設計は日産のほうが先進的だった。

技術の日産、販売の豊田なんて言われていた、今じゃ豊田は世界のトヨタですからねー

驚いたことに、この車はインジェクションなんだなー。

でも、この当時のインジェクションの出来の悪さは私はよく知っている。

気難しかっただろうなー、このシトロエンDS21パラスは、、、。

ドアミラーはカッコよかった。

当時の日本車はフェンダーミラーだったから。

どちらが安全かと言えばフェンダーミラーなのだろうが、、、大した差じゃない。

全長4800mmを超える大きな車ですが、ラダーフレームで外装はパネルをパタパタつけているだけで、1200kgほどしかないそうです。

むろん、安全性など考慮されていない時代なので、たぶんぶつかったらペシャンコになり危険じゃないかーーー。

シトロエンに限らず、ワーゲンのカブトムシもペシャンコになると言われて、ゴルフにバトンタッチしたもの。アメ車だって鉄板が厚くて丈夫かもしれないが、走る棺桶と言われていた時代だった。

古き良き時代の車内の雰囲気があります。

ビバリーヒルズの高校生が仲間と乗り回していたら、、、さぞかしかっこよかっただろう。

甘酸っぱい思いでがいっぱいできそうだー。

車が最高に輝いていた時代の宇宙船シトロエンですよ~~~。

そうそう、このシトロエン・DS21の前に、そっくりの車がフランスにありました。パナールCDという800ccでクラウンほどのボディー(アルミ製)を引っ張っていた車です。大昔のトヨタのパプリカやトヨタスポーツ800と同じ形式の水平対向2気筒エンジンで、空力学的に優れた巨大なボディーを走らせていた。意外にスピードは160kmぐらい出たと記憶しています。たぶん、シトロエン・DSはそのオマージュなんだと思いますよー。パナールはシトロエンに吸収合併されていますから。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

畑の手入れ、今季最後のお仕事です

2017-02-05 20:27:13 | 畑仕事

1月中にすべての作物を収穫して、2月の頭の4日に、来季への畑の手入れで肥料まきしました。

小平畑(吉野農園)の契約は3月の18日から翌年1月末です。

最後のお仕事が、今年一年借りた畑の手入れです。

1区画は3m×10mの30㎡です。

そのスペースを二毛作で農産物が収穫でき、だいたい数家族分のトレトレ野菜がゲットできます。

私が借りていた区画は手前から2列目で右から2つ目です。

こちらを向いてちょっとしゃがんでいるのが私。

汚れてもいいようなウインドブレーカーを着て、長靴で土をならしています。

赤い袖が私です。

新宿から天候が良いのに長靴姿で、西武線に乗って通農していました。

ランニングで3時間かけて新宿から行くときもあり、自転車だと1時間ぐらいかな、車だと自転車と同じく1時間です。

来季用の畑の手入れは、まず根瘤病対策の石灰を少量まいて、肥料を2種類まき、たい肥を2岱をまきました。

その後、吉野さんが大きな耕運機で土を天地反して、1ヶ月何もしないで休ませます。

たい肥をなじませるのでしょう。

農業は土作りで決まっちゃいますよーーー。

はい

吉野さんの出番どすえー。

私の区画が来期に変更になりました。

毎週の土曜日の集団作業日に行けないので、自由人(かって気ままな)が集まった区画に転向になった。

もしかして、農業はチームプレーだから、今の班から村八分になったのか~~~。

当番の月もさぼっていたから、、、。

こりゃ大変だ、、、来季はもうちょっと頻繁にスタッフを派遣するようにしよう。

今まで、あまり良い生徒さんじゃなかったからなーーー。

来季だってわからんもの。

吉野校長先生の農業学校のまきーーー。

終わり!

「写真は吉野農園交流サイトから拝借」

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

プルクルは朝8:00から開いていた

2017-01-31 17:18:21 | グルメ

早朝ランニングで代々木公園を2周。

今日の公園は結構冷えていた。

とことこインコースを1周、アウトコースを1周して戻る。

もしかして、代々木駅前のパン屋さんプルクルがやっているかと思い遠回り。

やっていました!

さっそく、バゲット1本とナッツタルトを2個いただいてきた。

タルトは今日のスタッフへのお土産です。

タルトが2つなのは今日は会社が暇なので2人しかいません。

日本のパン屋さんの朝は遅すぎ!!!

フランス、パリ市内はえらく早くからパン屋さんだけは開いています。

ヨーロッパ時間は日本より2時間ぐらい進んだ感じで、早朝の街で明かりがぽつんと灯っているのがパン屋さんだった。

パリのソルボンヌ大学の学生寮にいたとき、早朝真っ暗な中を走りにでたものです。

パリの街は真っ暗だったけどパン屋さんだけ明かりが灯っていて、何となく嬉しかった。

7時でも日本の4時、5時といった感じかな。

それに、フランスのパン屋さんは、それこそどこでも超がつくほど美味しかった。

私が若い時にフランスで感激したこと、そのいちです!

プルクルがえらいのは、朝8:00から営業していることです。おフランスにしては遅い時間ですが、日本のパン屋さんにしては早いオープン。店員さんに聞いた所、早番は4時起きで5時にはパン生地の仕込みをしていると言っていた。代々木には文明軒という老舗があったが(一昨年廃業)、そのこの親父さんは朝2:00起きで作り出していた。文明軒のオープンは朝5:30だったから、東京で一番早くオープンするパン屋さんだったんじゃないかな。

美味しそうなタルトでしょ。

ナッツのオンパレード。

残念ながら私はこれを食べたことがない。

バゲットは私の昼食になりました。

1人で1本は食べれない!

代々木駅前に森があります プルクル

http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/5d9dff69a2d0aa03426c41359c9c6adc

代々木ニュース・プルクル

http://studioon.cocolog-nifty.com/yoyo/2014/08/post-385c.html

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

高級ソフトクリーム屋さん、LAITER

2017-01-29 19:36:11 | グルメ

スタッフ5人と千駄ヶ谷のソフトクリーム屋さんLAITERに突入!

まさに、この日は突入の言葉がぴったりだった。

この日は新宿シティーハーフマラソンのボランティアをやったので、スタッフに褒美に高級ソフトをおごったのだ。

日曜日なので千駄ヶ谷の商店街などひとっこ一人いないようなところを、LAITERの前まで来ると、仰天!

お店から行列が外にあふれているじゃない~~~。

誰もいない町内で、ここだけ人がいっぱいだ。

思えば、今日のボランティアは朝の7:30から15:00まで立ちんぼで、いくらスタッフジャンパーを借りたとはいえ、足元からジンジン冷えてきて大変だった。南蛮連合の仲間も走っていて応援できたし、ご近所のお目付け役さんも走っていて応援できたし、、、。ボランティア・リーダーの御年80近くになろうとする方のヒマラヤ登頂のお話を聞けたし、含蓄ある人生経験談まで聞けたので、若いスタッフには良い勉強になったと思う。

曰く、「若い時にいろいろ種をまいておけ。仕事上の付き合いだけじゃなく多趣味でいろ。歳をとってもつながりが残り広がっていくぞー」

80歳でボランティアリーダーをやって、かくしゃくと歩き回ってすごい方でしたー。

我々もボランティアを長時間やって、体は冷えていてソフトクリームを喰おうなんて、ハートが熱かったのかな、、、。

新しくできて人気ある面白いお店は、、、向学になると思いスタッフを連れてきました。

並んでオーダーして実際にソフトクリームを手にするまで30分はかかったのでは。

右上から右回りに

あずき:  480円

ミッシュランショコラ:  680円

ラムレーズン:  680円

ミルク:  400円

アフォガード(コヒー):  600円

と普通のソフトクリームに比べると倍の値段です。

これがアフォガートです。

店内は座席が少ないし、行列で待ち人で満員だし、6人もいる余地もありませんでした。

ボランティアのお疲れさん会だったが、やっぱり真冬のソフトクリーム(量が多い)で体が冷え切ったのは間違いない。

2016年10月27日 ソフトクリーム屋さんLAITERへ、2度目です

http://studioon.cocolog-nifty.com/yoyo/2016/10/l-6501.html

2016年1月29日 新宿シティハーフマラソンのボランティアをやたー

http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/41d5b9e93e15ab4c9de57968f8e3b8f2


LAITER

東京都渋谷区千駄ヶ谷1−22−7

03−6455−5262

http://laitier.net

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

赤坂の迎賓館に潜入した

2017-01-28 18:10:49 | 日記・エッセイ・コラム

遅い出勤だったので、午前中に走りに出ました。

毎週土曜日の9:00頃から、南蛮連合の有志がヒルリピートという坂道トレーニングを、赤坂の迎賓館の周りでやっている。

皇居にしても迎賓館にしても上り下が多いのだ。

私がついた時には、南蛮連合の練習は終わっていて、一言二言話して別れて周回路に戻った。

四谷の迎賓館正門を通りかかると、門が開いていて受付があるじゃありませんかー。

予約なしで入れると聞いて、早速お邪魔虫になった。

無料見学できるのは広大なお庭だけで、建物本館は西門から入って見学料が1000円だった。

迎賓館の門の前もゆったりした広場と通りになっています。

中へ続く道と広場は石畳になっている。

暖かい日だった。

明日は1月だというのに20℃近くになるという。

たぶん、このベンチは普段の日にはないのではないか。

右手にコーヒーサービスの車があって、観客の皆さんは日向ぼっこでコーヒーをゆったり飲んでいらっしゃっていた。

私はランニングの途中だったので、セカセカ、ワチワチ歩いていた。

さすがに暖かな日とはいえ、ランナーは薄着なもので、、、。

正面の門からよく見える側です。

北になります。

北側の四谷門から入ってお庭見物していたら、フェンスの向こう側にも人が見えたので、、、『あちらにも入れるのですか』と守衛さんに聞いたら「有料ですが」と。

ジャーン

私のランニングは、健康のためと社会見学の便利ツールとしてあるので、早速ウエストポーチからお金を出しました。

1000円など安いものです。

ここ御所と迎賓館の周りを走り出して30年にはならないだろうが、それなりの年月ランニングで回っていたが、こんなチャンスは今までなかったものだもの。

あいにく、迎賓館の館内は撮影禁止だったので写真はありません。

通りからこの中庭が見えません。

こんな立派な噴水があるとは知らなかった。

ホワイトハウスみたいな立派な建造物です。

迎賓館の観覧日はネットなどで公表していたようです。

だいたい年配者が多い。

若い人や観光客は皆無のようです。

特筆すべきはこの噴水の水のきれいなこと、、、よく掃除が行き届いていました。

そりゃ国家の晴れ舞台の迎賓館ですから、水などケチらないということでしょう。

お庭見学と建造物のインテリア見学の出口はこちらの正門です。

パンフレットから拝借しました。

札幌小樽の古い倉庫街や、日本郵船のビルに比べたら、さすがに国のものなので、しかも実際に使われているので豪華で、きれいに整備されていました。 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

台北、青田七六から永康街でお食事

2017-01-27 13:35:47 | 旅行記

台北の夜の散策でした。

台北の大きな公園の大安森林公園近くに宿をとったので、日が暮れてから散歩しました。

青田七六という日本統治時代に大学教授がすんだ家屋を保存してリノベーションしていました。

その1画の街を青田街と呼んでいて、台北の超高級住宅地になっています。

そこから少し行ったところが、若者にも人気の永康街があります。

そこには、かって昭和町と呼ばれた街があって、今では昭和市場の名前として残っています。

昭和市場は骨董屋さんが集まっています。

なんだか、この近辺には日本の昭和が大事にされて残っているようです。

残念ながら夜遅くてお食事もできなかったので中には入れなかった。

有料だしねーーー。

そして、青田七六さんの家屋の周りが、青田街という地名になっていて、超がつくような高級住宅地です。

台北の方たちは日本統治時代の青田さんをリスペクトしてくれているんですね!

門は入れますが家屋の中は遠慮しました。

青田街に入る手前の大安森林公園の通りで見つけた、、、犬糞つかみビニール袋。

野犬も多いけど野良ネコもタプ~リ徘徊している。

犬糞ビニール袋は日本だと飼い主が持参して散歩しているが、台北では町角にフリーで置いてある。

犬のマークの下に箱があって、トイレットペーパーのようにビニール袋が引き出せる。

こんなもの、街角にいっぱいあったら恥ずかしくないか???

飼い犬だったら、ご主人様がしつけるのが当然だと思うが、、、。

青田街のマンションには、ほとんど青田の名が付いています。

日本でいえば億ションですね。

昭和町という名の骨董品市場。

台湾には日本統治時代の家屋、地名、遺構が数多く大事にされていました。

ありがたいことです。

路地裏は日本にそっくりですが、ヤタラメタラ原付スクーターが多い。

日本も1980年代には原付が今の10倍あったというけど、台湾はそれどころじゃない。

日本が原付バイクが最多だった時に比べても、それの10倍くらいじゃないかなーーー。

中国的というか、東南アジア的というか、、、。

青田街のはずれは永康街のはずれでもあり、骨董品なのかわからないお店がちらほら。

特にお腹がすいていたわけじゃないけど、こんなところを散策してお店に入らないのは、、、失礼でしょ。

小隱私廚:永康街42之5號

ちょっと和風のお店を発見!

座っているオーナーらしき人は台湾人だが、てまえの2人は日本人だぞーーー。

このお店で働いているようだし、なんだろか?

じゃーん

入ってしまった。

中華といえば中華風だし、たぶんあちらの方が見たら和風なんでしょうねー。

でも、あとから調べたら特に和風にしているわけじゃないそうだ。

オーナーシェフは世界各国を渡り歩き、その地の料理を覚えてきたと言います。

基本は中華料理で和食というか焼魚のような和風もあります。

すぐ50m離れてたところには大隱酒食: 台北市永康街65号を経営しています。

それで、ウエイターさんがお皿に料理を載せて外に飛び出していくんだーーー。

なんだろうと思っていた。

他店に料理を届けているのかなーと思ったり、路地裏に座っているひとにピザ屋さんみたいにデリバリーしているのかと考えていた。

まずは台湾ビールですな~~~。

いつみても、美しいふぉるむですねーーー。

じゃーん

どう見ても台南たーみんのごはん版みたい。

タイ料理ではガッパオか。

肉そぼろご飯ですね。

味付けが中華風なのでハヤシライスじゃない。

日本は考えてみるとトマトを煮込んだお味も大好きみたいだ。

空心菜は日本でもポピュラーでしょう。

空心菜を畑で栽培したことがあるが、丈夫な作物で、取っても取ってもジャンジャン茎と葉が伸びてきます。

コスパのよい作物です!

エビを湯葉でくるんで揚げたもの。

この料理は時間がかかった。

台北市永康街は東京でいえば、下北沢か吉祥寺、もしくは代官山といったところか。

地下鉄の信義路に向かうと、一軒家のお店からビルの商店街になります。

街路灯が少ないのか東京より暗めですが、お店の前はこうこうと明い。

饅頭のお店に大行列ができていた。

日本と同じだなー。

安くておいしいお店に行列はつきものです。

それで、、、お店でお客をさばくのが、年季が入ったおばちゃんです。

信義路に近いところに、懐かしい名前が、、、度小月(元祖台南たーみん)じゃないですか。

台南の本店はバラックみたいな作りだったが、台北のお店は高級店の化けているぞーーー。

場所柄なんでしょーね。

調理コーナーが通りに面していて、わざわざ見せています。

料理人を見せるのは、米国で日本人が始めた紅花のパフォーマンス料理スタイルですね。厨房を見せるのは日本の寿司屋さんの発想ですから~~~。

台北市内は地下鉄が縦横に走っていて、悠遊カードがあればすごく楽ちんです。

ホテルはたいてい駅近くにあるので、そのカードは必需品です。

帰国する時も返却しないで、持って行ったほうがいいと思う。

また台湾に行くときにチャージしたら使えるでしょー。

 

台南の旧市街の安平路  http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/824afefed9d6deb4cb4c6c517720293a

 

台湾新幹線で台南に行く http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/ce98ba4d368c8919b895656daa0ce693

 

台湾入国ホテルに着く http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/85c456bba403c1125aac628d7d316387

台北の初ランステ森林跑站を発見 http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/6f5bf2fd87ae5eea6e36688eb2234611

迪化街で黒落花生をゲット http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/0b665ca44b479990adb948f06f31ad43

コメント
この記事をはてなブックマークに追加