はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

傘寿の祝い

2009-08-23 17:37:08 | はがき随筆
 若年退職後、還暦を親子親類14人で祝った。次は米寿会をと予定したが傘寿会に変更。古きよき時代、正月やお盆に親類が親交を深め情報交換などでにぎわった。戦後も遠く、昨今はさまざまな事情で小規模な集いとなり、親類同士の親交さえ薄らいでいる。このような欠点を補う意味もあり、相互の親交の輪を広げるため、早いに越したことはないと傘寿会を企画した。幸い招待者の84%、21人が参集し盛会となり所期の目的を果たした感で安心した。運営や出演目など婿が企画推進し、孫一同も積極的に協力した。孫たち切望の米寿会の実現に応えたい。
  薩摩川内市 下市良幸(80) 2009/8/20 毎日新聞鹿児島版掲載

36年ぶりの手紙

2009-08-23 17:34:11 | はがき随筆
 妻からの正式な手紙だった。36回目の結婚記念日に病室へ届いた。I週間後に手術を控えた私への励ましで貫かれている。
 結婚後、妻は2人の子供を育てながら自律神経失調症を煩い長いこと更年期障害にも悩まされた。その折々に私がどれ程の支えになったか心もとない。
 その妻が文面で「あなたの命は、あなただけのものではありません。どうぞ希望を持って下さい」と訴える。日常は風のような夫婦の存在でありながら、こんなにも私の心が揺らぐのはなぜだろう。文末には「二人で、人生最大のピンチを乗り越えていきましょう」とあった。
  伊佐市 山室恒人(62) 2009/8/19 毎日新聞鹿児島版掲載

大きな穴

2009-08-23 17:14:33 | はがき随筆
 サルスベリのせん定中に脚立が倒れ、左肩を痛めた。自分の手には負えないので、庭木の処分を業者に依頼した。
 下見の結果、移植が可能と思われる木々は地区の方の好意で柳山へ植えることが決定。翌日早朝からクレーンで次々と4㌧ダンプに積まれ運ばれた。南西の庭木跡に大きな穴がいくつも……。その夜は寂しくて眠れなかった。
 11月には桜、梅、ツバキなど十余本が移植される。その後に夫の三回忌がくる。愛した庭木と楽しんでほしい。小雨にけぶる、紅ぼけのようなネムの花が、心の穴を慰めてくれる。
  薩摩川内市 上野昭子(80) 2009/8/18 毎日新聞鹿児島版掲載

冗談が大事に

2009-08-23 17:00:14 | はがき随筆
 甑島に住んでいた時のことである。今は亡き父とイカ釣りに出掛け、十数杯釣り上げた。
 帰宅すると、懇意にしている駐在さんも呼んでI杯やろうかということになった。「もしもし、家が大変なことになっていて、すぐ来てくれませんか」と冗談のつもりで電話をした。
 数分後、制服にピストルを携帯して駐在さんが駆けつけてきた。その形相に驚いて、事の次第を話すも機嫌が悪い。そこにイカの刺し身が出てくると「うまかイカじゃ。こげんな冗談は何度あってもよか」と言ってくれたが、何げない冗談が大事になるということを思い知った。
  鹿児島市 川端清一郎(62)2009/8/16 毎日新聞鹿児島版掲載

「平和」ノート

2009-08-15 20:19:05 | 女の気持ち/男の気持ち
 「平和」と背表紙のついたスクラップ帳を整理している。記事の切り抜きも随分たまった。知られざる平和運動家、街の語り部……その□から語られる「平和」という言葉をすんなり受け取ることができる人々の体験談やエピソ-ド、そして彼らの訃報で構成している。
 整理しながら思い出したことがある。麻生、小泉という2人の政治家だ。前者は核兵器廃絶をめぐるテレビの討論会の折、被爆者の男性が戦時中の軍国主義について語ると「兵隊さんは国を守り、大切な家族を救うために戦ったのであって、あなたのために戦ったのではない」と言い放った。後者も広島・長崎の平和団体から意見を聴くことは少なかったと思う。その人が最近ロシアへ行き、核兵器廃絶を訴えていた。いずれも齢80前後の方々の体験を正しく理解できていないと思う。
 もうすぐ選挙カーが騒々しく名前や政党、公約を叫んで走り始め、「平和」はまた置き去りにされる。
 私のように「平和」という言葉をうかつに□にすると、せせら笑いをされるか浮世離れしたアホと言われるのが落ちだ。しかしスクラップ帳の中の皆様は余分な金銭も持たず、少し余裕が持てたと感じられても使う余命が限られている。すでに鬼籍に入られた方も多い。
 「平和」のスクラップ帳を整理するたび、私は冊子の中の皆様に語りかけている。
  山□県宇部市 大石 文女・55歳
2009/8/15 の気持ち掲載



梅仕事

2009-08-15 19:49:42 | はがき随筆
 今年の梅仕事がまだ終わっていない。この雨模様のお天気のせいだ。そう「梅雨明け十日」とか「土用干し」とか聞かされ長年それをやってきたのに。
 それというのは、赤い紫蘇と交互に漬かっている梅を日に干すこと。真っ赤に染まった梅を一粒一粒バラに広げ、裏表を返し、よく乾いたらびんに詰めること。三日三晩、土用のかんかん照りは梅干しの仕上げにはなくてはならない天候なのに。
 ヤレヤレ、こんなお天気が続くと、梅仕事の仕上げはいつになるやら?
梅干して母の姿のありありと
 去年の駄句である。
  姶良町 高橋たま(74) 2009/8/15 毎日新聞鹿児島版掲載
画像はにやきぶさん

愛娘

2009-08-15 19:34:37 | はがき随筆
 天からの贈り物の愛娘。夫と私にでき愛され天真らんまんに育ったひかりは満5歳。まだ縫いぐるみを空高く放り投げ愉快に遊ぶシーズー犬。しかしこの春、すっかり心根の優しい大人に成長していた。
 5月、私は夫の留守中、茶の聞で倒れた。いなやひかりはおえつともとれる声をあげ、私の顔中をひたすらなめ続けた。激痛のために頭と指1本さえ動かせない私の側を片時も離れず、私を励ましたのだった。
 2時間後、帰宅した夫に駆け寄り、お母さんが大変だよと悲痛な目で訴えたそうだ。愛娘よ、我が家に光をありがとう。
  鹿屋市 田中京子(58) 2009/8/14 毎日新聞鹿児島版掲載

孫の高校総体

2009-08-15 19:29:12 | はがき随筆
 「また勇真のことを書くの」「そうだよ。今度まではどうしても書きたい。そして、これまでの彼の努力をたたえるじいの気持ちを伝えたい」「言葉で伝えたら」「いや、活字にしておきたい」。小学4年の時からテニスに打ち込み約9年間。高校3年生にしてようやくつかんだ全国高校総体への参加である。
 全国の高校生が奈良市陸上競技場に集って行われた開会行事のその中に、彼もいる。忘れられない青春の最高の思い出の一コマを今つくっている。ここに来るまでの道程は平坦ではなかったはず。彼の努力をたたえ、指導者の方々に感謝したい。
  志布志市 一木法明(73) 2009/8/13

菜園大好き

2009-08-15 19:23:11 | はがき随筆
 夫は高校英語教育を70歳までやり、今年の4月から自由で、毎日、野菜畑に出て色が黒くなるまで働きます。
 トマトやナスビ、キュウリなど作り、母の入所先や、友達に新鮮なものをどんどんあげています。もちろん自宅にも食べつくせないくらい持ってくる。
 台所にどんと置いてあると、その多さに驚き、さて今度はどんな料理をしようかと思案する。若いころのように食欲はないけど、そこに材料があるとエ夫が必要。健康のため畑仕事は良いし、無理して食べるのも良いと考えながら、心の底で笑っ
てしまう私です。太陽に感謝。
  肝付町 鳥取部京子(69) 2009/8/12 毎日新聞鹿児島版掲載

かすがいはアリ

2009-08-15 19:13:21 | はがき随筆
 毎年、今の時節になるとアリが断りもなく住みつく。ちょっとでも食べ物があるとワッと集まって黒い塊のようになる。薬をまいたり食べ物を置かないように努力しても、またいつの間にか入ってくる。
 夫も私もアリにかまれた。かゆくて腹が立つ。本気になって退治しようと躍起になる。「ひょっとしてアリはここを自分の家と勘違いして『出ていけ』とかむのかな」と言うと「アリの家を建てて甘いお菓子をおけば引っ越していくかも」と夫。
 このごろ、とがった会話ばかりになった老夫婦が久しぶりに童心に返りまるい会話をした。
  鹿児島市 馬渡浩子(61) 2009/8/11 毎日新聞鹿児島版掲載

原爆忌に思う

2009-08-13 23:20:40 | かごんま便り
 9日は長崎原爆の日。原爆投下時刻の午前11時2分には鹿児島市内でもサイレンが鳴った。

 6日の広島、9日の長崎。テレビやラジオで平和祈念式典を視聴された人も少なくないと思う。原爆忌は今年、64回目を迎えた。被爆者の平均年齢が75歳と聞くと、改めて年月の長さと、人類共通の願いであるはずの、核廃絶への道のりの遠さを思わずにはおれない。

 オバマ米大統領が今春「核兵器のない世界」を目指すことを明言した。核兵器を使用した唯一の核保有国として、その道義的責任に言及したことは画期的だった。両市の平和宣言も「核兵器廃絶に向けてようやく一歩踏み出した歴史的な瞬間」(田上富久・長崎市長)、「『廃絶されることにしか意味のない核兵器』の位置づけを確固たるものにした」(秋葉忠利・広島市長)と評価した。一方で、11月に初来日するオバマ大統領の被爆地訪問は困難と伝えられる(8日朝刊)など、やはり一筋縄ではいかない。

 翻って「唯一の被爆国」はどうなのか。平和祈念式典で気になるのは、市長の平和宣言や、被爆者代表や子供たちの「平和への誓い」の切迫感に比べて、首相あいさつの″軽さ″である。

 たとえば今回、麻生太郎首相は原爆症について「できる限り多くの方々を認定するとの方針」と述べた。ではなぜ認定を巡る集団訴訟が相次ぎ、国は連敗を重ねたのか。国は5日、救済案を打ち出したが、原告が高齢化して次々に他界するのを待つかのように問題を長期化させたのはいったい誰だ。また広島原爆忌に間に合わせたとはいえ、衆院選目前という発表時期にも生臭さを覚える。

 核兵器の問題は、イデオロギ-や国家戦略の延長線で議論されるレベルの話ではない。人類存亡を脅かす重大事だからこそ廃絶されなければならないということを「唯一の被爆国」の指導者はもっと認識すべきだ。

鹿児島支局長 平山千里 2009/8/10 毎日新聞掲載

悪石島

2009-08-10 16:00:21 | はがき随筆
 皆既日食を控えて、悪石島がマスコミの話題になっていた。
 昭和36年、当時、久留米大学の第二外科に籍を置いていた私は、無医村診療に出かけた。
 鹿児島港を夕方出た十島丸はあちこちの島に寄り、午後3時に悪石島に。2泊3日の診療。当時は岩壁も電気もなく不自由な生活だったが、楽しい思い出として今も心に残っている。
 紺碧の海とトビウオ、それにガジュマルの木。島民の言葉は鹿児島弁ではなくて京都弁に近かったように思う。
 島もすっかり変わっていると思うが、もう一度行ってみたい島である。
  志布志市 小村豊一郎(83) 2009/8/10 毎日新聞鹿児島版掲載

ミステリアス

2009-08-10 15:57:23 | はがき随筆
 楽しみにしていた皆既日食は残念ながら雨で、コロナなどの現象は見ることが出来なかった。でも太陽が隠れる前と、隠れてからのわずか1分ちょっとの間の、何とも表現のしようのない神秘的で貴重な体験をすることができた。
 次に日本で見られるのは26年後らしい。その時こそ、今回見られなかったコロナ、ダイヤモンドリングを是非見てみたい。26年後、私は77歳。その日まで元気でいなくちゃ。まさか、こんな楽しみが待っていたなんて夢にも思っていなかった。これも、きっと皆既日食がもたらしたミステリアスかもしれない。
  中種子町 西田光子(51) 2009/8/9 毎日新聞鹿児島版掲載

ごめんなさい

2009-08-10 15:52:06 | はがき随筆
 居間に横たわりテレビに見入っていると、孫息子がいきなり横腹を蹴った。あ然とした。どうしたの。娘が孫に「謝りなさい」と言うと「いや、いや」と激しく反発して泣き出した。後に親子はお風呂に入った。入浴後、孫が私に「ごめんなさい」と深々と頭を下げた。不機嫌だったのに。不思議だ。娘が言うには入浴中に「ばあちゃんに謝りなさいと教えた」と。道理で納得した。私は目に光るものを実感した。こんな小さい3歳の人間が賢いねと。反省する心や正義感をはぐくむころだ。親のしつけが子の環境をはぐくむ。鉄は熟いうちに鍛えなければ。
  加治木町 堀美代子(64) 2009/8/8 毎日新聞鹿児島版掲載

サイレン

2009-08-07 22:35:30 | はがき随筆
 「しまった。また寝忘れた」朝6時の吹鳴を時々寝忘れて地域の方に迷惑をかけた。山あいの小さな学校に勤務していた若いころのこと。宿直は夜間の学校の管理とサイレンの吹鳴があった。1日の時の流れを知らせる大事な情報だった。昼の12時、午前の仕事の疲れの癒やし、昼からに備えての吹鳴は人々に活力を与えていた。戦時中は警戒警報、空襲の吹鳴に人々はおびえた毎日だった。サイレンの吹鳴は、人々の脳裏に悲喜こもごもの思い出の歴史があると思う。現在は平和な世の中。長く続くように祈っているのは、みんなの願いだ。 
  薩摩川内市 新開譲(83) 2009/8/7 毎日新聞鹿児島版掲載