皆既日食を控えて、悪石島がマスコミの話題になっていた。
昭和36年、当時、久留米大学の第二外科に籍を置いていた私は、無医村診療に出かけた。
鹿児島港を夕方出た十島丸はあちこちの島に寄り、午後3時に悪石島に。2泊3日の診療。当時は岩壁も電気もなく不自由な生活だったが、楽しい思い出として今も心に残っている。
紺碧の海とトビウオ、それにガジュマルの木。島民の言葉は鹿児島弁ではなくて京都弁に近かったように思う。
島もすっかり変わっていると思うが、もう一度行ってみたい島である。
志布志市 小村豊一郎(83) 2009/8/10 毎日新聞鹿児島版掲載
昭和36年、当時、久留米大学の第二外科に籍を置いていた私は、無医村診療に出かけた。
鹿児島港を夕方出た十島丸はあちこちの島に寄り、午後3時に悪石島に。2泊3日の診療。当時は岩壁も電気もなく不自由な生活だったが、楽しい思い出として今も心に残っている。
紺碧の海とトビウオ、それにガジュマルの木。島民の言葉は鹿児島弁ではなくて京都弁に近かったように思う。
島もすっかり変わっていると思うが、もう一度行ってみたい島である。
志布志市 小村豊一郎(83) 2009/8/10 毎日新聞鹿児島版掲載