はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

はがき随筆7月度入選

2009-08-26 15:45:11 | 受賞作品
 はがき随筆7月度の入選作品が決まりました。
△出水市明神町、清水昌子さん(56)の「朝市にて」(10日)
▽同市文化町、御領満さん(61)の「車と歯痛」(17日)
▽同市武本、中島征士さん(64)の「あこがれ」 (24日)

─の3点です。

 梅雨末期の大雨が今年は九州北部を狙い、鹿児島はむしろ雨不足気味です。洪水がないのはありがたいことですが、降るものが降らないと、何だか物忘れしたような気になるのも変なものです。
 清水さん「朝市にて」は、朝市の試食をねだる2歳の孫娘は、店の人に「お母さんが呼んでいるよ」と追い払われた。その時の捨てぜりふが「お母さんじゃないよ。ばばちゃんだよ」。若く見られた私の喜びが束の間の泡と消えたというもので、落ちの利いた、きりっとした文章です。
 御領さん「車と歯痛」は、車の調子が悪い。歯も痛む。放置しておいたが悪化する一方である。自然治癒力がないという意味では、この両者は共通するようだという、とぼけた味の文章です。この書き方は「見立て」といいますが、一見関係のないものの共通点を見立てると、面白い味が出ます。
 中島さん「あこがれ」は、3号線の途中の海辺の荒々しい岩の存在感に惹かれて、スケッチまでしたが、そのような心理を分析してみると「強固な、ぜい肉がそがれたギリギリの形」にあこがれている自分に気づいた、という文学的なかおりのある文章です。
 以上が入選作です。次に記憶に残ったものを紹介します。
 宮園続さん「きぼう」(25日)は「若田さん搭乗の衛星」を2度も望遠し、感動したと言うものです。感動するものが無くなりつつある現今の社会では、素晴らしいことだと思います。武田静瞭さん「アゲハチョウ」(29日)は、今年のアゲハチョウの少なさに気候の異変を感じた文章ですが、ご母堂逝去の日にはクロアゲハが多数飛びまわっていたのを思い出したという結びです。全体に流れる不吉な空気が文章を生かしています。藤崎能子さん「子離れ中」(13日)は、家を出て大学生活を送っている男の子に、ことごとく愛想尽かしをされてオロオロしている母親が描かれています。誰でも一度は通る道です。このように文章にすれば、気も晴れます。
(近代文学会評議員、鹿児島大学名誉教授・石田忠彦)
2009/8/26 毎日新聞鹿児島版掲載


洗礼名

2009-08-26 15:28:07 | はがき随筆
 数十年前になる。
 おなかにいるのは女の子だと予感した。ある古文をそらんじていて、この子は「さらら」と決めた。
 女の子が産まれると夫が「サラダとからかわれそうだ」と言い出した。「1月生まれだし、むつまじい家族のきずなとなるように」という夫の意見に納得して、娘は「睦美」になった。
 あきらめられず、異例だが洗礼名を「サララ」にした。
 娘は、洗礼名を使う気配がない。
 無心にお乳を飲みながら、父親の心配をしっかり聴いていたのかもしれない。
  鹿屋市 伊地知咲子(72) 2009/8/26 毎日新聞鹿児島版掲載





こぼしたミルク

2009-08-26 15:22:18 | 女の気持ち/男の気持ち
 トイレから出ようとした時のこと。いつもサッと脱げるスリッパが何かにひっかかったかのように脱げない。イライラして力いっぱい脱いだ途端にひっくり返って左ひじをつき、骨折した。2月6日朝のことだ。
 金属を装着する手術を受け、8日間入院した。リハビリしないと以前のように手が動かないと説明を受けた。その言葉通り腕の曲げ伸ばしに四苦八苦する。お茶わんを持てない、顔を洗えない……とできないことばかり。利き腕ではないと軽く考えていたのは大間違いと思い知った。
 16年前に脳外科手術を体験しているので、精神的には強いと思っていたが、自分をコントロールすることもできずにオロオロして落ち込んだ。
 20年以上も住んでいる家の中でなぜ転んだのか、何度も悔やんだ。こぼれたミルクを嘆いても仕方ないということわざ通りの状態。ここからはい上がるには何をどうすべきか、その術を見いだせぬまま暗い気持ちで過ごした。
 「リン、リーン」
 トイレの横に吊した風鈴が心地よく響いている。やさしい気分になっていく。けがをした時は寒かったが、もう夏の盛り。リハビリの効果があって腕の可動範囲も広がってきた。
 こぼしたミルクはとっくに乾き、跡形もない。空っぽの器だけ残った。器さえあれば、また元気にやっていける。そっと拾い上げた。
  鹿児島市 馬渡 浩子・61歳
2009/8/26 の気持ち掲載