はがき随筆・鹿児島

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「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

原爆忌に思う

2009-08-13 23:20:40 | かごんま便り
 9日は長崎原爆の日。原爆投下時刻の午前11時2分には鹿児島市内でもサイレンが鳴った。

 6日の広島、9日の長崎。テレビやラジオで平和祈念式典を視聴された人も少なくないと思う。原爆忌は今年、64回目を迎えた。被爆者の平均年齢が75歳と聞くと、改めて年月の長さと、人類共通の願いであるはずの、核廃絶への道のりの遠さを思わずにはおれない。

 オバマ米大統領が今春「核兵器のない世界」を目指すことを明言した。核兵器を使用した唯一の核保有国として、その道義的責任に言及したことは画期的だった。両市の平和宣言も「核兵器廃絶に向けてようやく一歩踏み出した歴史的な瞬間」(田上富久・長崎市長)、「『廃絶されることにしか意味のない核兵器』の位置づけを確固たるものにした」(秋葉忠利・広島市長)と評価した。一方で、11月に初来日するオバマ大統領の被爆地訪問は困難と伝えられる(8日朝刊)など、やはり一筋縄ではいかない。

 翻って「唯一の被爆国」はどうなのか。平和祈念式典で気になるのは、市長の平和宣言や、被爆者代表や子供たちの「平和への誓い」の切迫感に比べて、首相あいさつの″軽さ″である。

 たとえば今回、麻生太郎首相は原爆症について「できる限り多くの方々を認定するとの方針」と述べた。ではなぜ認定を巡る集団訴訟が相次ぎ、国は連敗を重ねたのか。国は5日、救済案を打ち出したが、原告が高齢化して次々に他界するのを待つかのように問題を長期化させたのはいったい誰だ。また広島原爆忌に間に合わせたとはいえ、衆院選目前という発表時期にも生臭さを覚える。

 核兵器の問題は、イデオロギ-や国家戦略の延長線で議論されるレベルの話ではない。人類存亡を脅かす重大事だからこそ廃絶されなければならないということを「唯一の被爆国」の指導者はもっと認識すべきだ。

鹿児島支局長 平山千里 2009/8/10 毎日新聞掲載