はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

脱帽です

2009-08-23 17:45:20 | はがき随筆
 会社の飲み会のくじで、焼酎が当たったと、上機嫌で連絡してきた夫。帰宅したその手にはプリキュアの人形を持ち、キャリーバッグを引いている。遠くから孫娘が来るからと言ったら、譲ってくださったとのこと。
 「じゃあ酒と交換したん?」と聞けば、それはバッグの中から登場。中央駅へと地下道を通り夜の電車の中、少し酔った50過ぎのおじさんがピンク色の大きなおもちゃを両脇に従えていたらさぞかし、人目についたことでしょう。
 想像しただけで笑ってしまう私ですが、夫のおじいちゃんパワーに脱帽です。
  鹿児島市 浜地恵美子(54) 2009/8/23 毎日新聞鹿児島版掲載

夏の思い出

2009-08-23 17:42:57 | はがき随筆
 当時小3の私と二つ違いの弟は、家の向かいの中学生の兄ちゃんに連れられて虫捕りに出かけた。一面、畑に囲まれた土ほこりの道。お昼過ぎ、昆虫は捕れず、リヤカーを引く人も自転車の人も誰一人行き交わず、のどか渇いてきた。
 兄ちゃんが畑の一つを指さした。走った。胸がドキドキ。お正月に買ってもらったまりと同じ大きさの20㌢ぐらいのスイカ。中は種まで白く生ぬるかった。皮を四方に投げて終わる。生まれて初めて泥棒をした。
 程なく私たちは父の転勤で引っ越し、兄ちゃんの家は建て替えられて、貸家になっている。
  いちき串木野市 奥吉志代子(60) 2009/8/22 毎日新聞鹿児島版掲載

学童集団疎開

2009-08-23 17:40:22 | はがき随筆
 毎日新聞の連載小説「葦舟、飛んだ」の文中「学童集団疎開」に目が止まった。昭和19年、私は国民学校3年生。6月に大都市の学童集団疎開が閣議で決定。9月19日、台風で床下浸水した家を後に大阪港から四国・琴平へ。毎晩、布団に正座して大阪の方を向きながら「お父さんお母さん、おやすみなさい」の合唱が悲しく心細く、涙したのを覚えている。今年、孫は小学3年生。この平和時にスクスク育った明るいサッカー少年。あんな寂しい思いは絶対させたくないとの思いから、当時3年生の少女が見た、感じた戦争体験を書き伝えようと決心した。
  指宿市 木戸ヒサ子(73) 2008/8/21 毎日新聞鹿児島版掲載

傘寿の祝い

2009-08-23 17:37:08 | はがき随筆
 若年退職後、還暦を親子親類14人で祝った。次は米寿会をと予定したが傘寿会に変更。古きよき時代、正月やお盆に親類が親交を深め情報交換などでにぎわった。戦後も遠く、昨今はさまざまな事情で小規模な集いとなり、親類同士の親交さえ薄らいでいる。このような欠点を補う意味もあり、相互の親交の輪を広げるため、早いに越したことはないと傘寿会を企画した。幸い招待者の84%、21人が参集し盛会となり所期の目的を果たした感で安心した。運営や出演目など婿が企画推進し、孫一同も積極的に協力した。孫たち切望の米寿会の実現に応えたい。
  薩摩川内市 下市良幸(80) 2009/8/20 毎日新聞鹿児島版掲載

36年ぶりの手紙

2009-08-23 17:34:11 | はがき随筆
 妻からの正式な手紙だった。36回目の結婚記念日に病室へ届いた。I週間後に手術を控えた私への励ましで貫かれている。
 結婚後、妻は2人の子供を育てながら自律神経失調症を煩い長いこと更年期障害にも悩まされた。その折々に私がどれ程の支えになったか心もとない。
 その妻が文面で「あなたの命は、あなただけのものではありません。どうぞ希望を持って下さい」と訴える。日常は風のような夫婦の存在でありながら、こんなにも私の心が揺らぐのはなぜだろう。文末には「二人で、人生最大のピンチを乗り越えていきましょう」とあった。
  伊佐市 山室恒人(62) 2009/8/19 毎日新聞鹿児島版掲載

大きな穴

2009-08-23 17:14:33 | はがき随筆
 サルスベリのせん定中に脚立が倒れ、左肩を痛めた。自分の手には負えないので、庭木の処分を業者に依頼した。
 下見の結果、移植が可能と思われる木々は地区の方の好意で柳山へ植えることが決定。翌日早朝からクレーンで次々と4㌧ダンプに積まれ運ばれた。南西の庭木跡に大きな穴がいくつも……。その夜は寂しくて眠れなかった。
 11月には桜、梅、ツバキなど十余本が移植される。その後に夫の三回忌がくる。愛した庭木と楽しんでほしい。小雨にけぶる、紅ぼけのようなネムの花が、心の穴を慰めてくれる。
  薩摩川内市 上野昭子(80) 2009/8/18 毎日新聞鹿児島版掲載

冗談が大事に

2009-08-23 17:00:14 | はがき随筆
 甑島に住んでいた時のことである。今は亡き父とイカ釣りに出掛け、十数杯釣り上げた。
 帰宅すると、懇意にしている駐在さんも呼んでI杯やろうかということになった。「もしもし、家が大変なことになっていて、すぐ来てくれませんか」と冗談のつもりで電話をした。
 数分後、制服にピストルを携帯して駐在さんが駆けつけてきた。その形相に驚いて、事の次第を話すも機嫌が悪い。そこにイカの刺し身が出てくると「うまかイカじゃ。こげんな冗談は何度あってもよか」と言ってくれたが、何げない冗談が大事になるということを思い知った。
  鹿児島市 川端清一郎(62)2009/8/16 毎日新聞鹿児島版掲載