はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

パンプキンサラダ

2015-08-25 21:44:59 | 岩国エッセイサロンより
2015年8月22日 (土)

岩国市  会 員  山下 治子

ウチの八百屋さんが帰って来た。本日の収穫は大小十数個のかぼちゃ。取り立てのかぼちゃは包丁がすんなり入る。これはうれしい。調子にのって切りすぎたかぼちゃは、種を取り皮をむき、蒸して潰して、水にさらした薄切り玉ねきと多めにレーズンを入れ、マヨネーズであえて出来上がり。

我が家の分をのけてあとはご近所へ大鍋抱えて出前に。容器に入れて持って行くと「お返し」なんて面倒があるから「好きなだけどうぞ」とお玉を渡す。「珍しいね」「もうちょっといいかネ」などと完売。 

今夜の八百屋さん、気持ちよくお酒が進んでいる。

  (2015.08.22 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

平和発信の海に

2015-08-25 21:42:42 | 岩国エッセイサロンより
2015年8月21日 (金)

   岩国市  会 員   片山 清勝

 「新高山登れ」の暗号電文が旗艦長門から発せられたのは岩国市沖合にある柱島近海だったという。開戦の起点になったことを知った時は複雑な気持ちになった。戦時中、周辺は多くの艦船が停泊や出撃する重要海域で柱島泊地と呼ばれた。そんなことで小さな島も空襲に見舞われ尊い人命を失った。
 この海域近くの米海兵隊航空基地は、近々極東最大級の基地に変わる。「父の最後の言葉が戦闘機の音で聞き取れなかった」と聞いた。残念だっただろう。   
 元泊地は被爆都市広島市にも近い。戦闘機の轟音でなく、平和発信の海域にしてほしい。

 (2015.08.21 毎日新聞「はがき随筆」戦後70年特集掲載)岩国エッセイサロンより転載

懐かしい学級

2015-08-25 21:40:09 | 岩国エッセイサロンより
2015年8月21日 (金)

 岩国市  会 員   林 治子

 「おーい。臭いぞ」。A君が後ろを向いて大声で叫ぶ。B君はごめんと言いながら隣の席に寝かしている弟のおしめを替える。手際よく済ませて席へ。先生も何事もなかったように授業を進める。ぐずり始め泣いたりするとB君に外であやしておいでと言う。静かになった弟を連れて授業に戻る。B君の家はお父さんが出征し、お母さんとおばあちゃんで田んぼを作っている。田植えの時は猫の手も借りたい忙しさ。その時、勉強好きなB君は弟を連れて学校に来る。 働き手の男は国のため出征してゆく。こんな家庭が珍しくない時代。今では考えられない。

  (2015.08.21 毎日新聞「はがき随筆」戦後70年特集掲載)岩国エッセイサロンより転載

戦闘帽の父帰る

2015-08-25 21:37:08 | 岩国エッセイサロンより
2015年8月20日 (木)

岩国市  会 員   山本 一


大阪で生まれたが、父の出征のため、2ヵ月後には島根の山村に疎開した。森林鉄道のトロッコが走り、家が数軒しかない。時々トロッコに乗せてもらって母の実家へ行った。レールにくぎを置いて遊んでいて、運転士にひどく叱られた。3歳を過ぎた頃のかすかな記憶の中で、ある日突然戦地から父が帰って来た。戦闘帽をかぶって目のぎょろりとしたその時の父が、いまだまぶたの中によみがえる。今考えてみると、私と父との、この世で初めての出会いであった。その後折に触れ父の体験話から学んだことは「戦争は絶対にしてはいけない」ということだった。
  (2015.08.20 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

8月のオリオン

2015-08-25 21:14:13 | はがき随筆
 8月の末 未明 まだ暗い。シルクロードの小さな駅に降り立った。
 広場にでる。まさに天球。満天の星。星たちのさざめきにつつまれていると飛天の薄衣がひるがえる幻覚におそわれる。
 我に返る。これは冬の星たちではないか。
 東天に目をやる。心なしか丸味を帯びた砂漠の地平線にオリオンが半身を現している。辺りを威圧しながらせり上がってくる。まさしくあの巨人オリオンの勇姿である。手を合わせたい気持ちさえ起こってくる。
 見とれているうちに星たちは碧天の光に溶け込んでいった。
  鹿児島市 野崎正昭 2015/8/25 毎日新聞鹿児島版掲載

交流40周年

2015-08-25 21:13:39 | はがき随筆
 体調を整えて鶴岡の40周年盟約交流会に行くことを決めた。市内唯一の交流校へ子どもが通学していたおかげにあずかれたのである。20周年で言ったときは校舎も古かった。しかし西郷を慕った管臥牛との得の交わりを礎とする質実な環境であった。そして20年の交流の月日が流れた。
 今回の私の目的は真相なった校、管邸の見学、南洲神社の参詣だったが、いずれもすばらしく目をみはり心うつものばかりだった。
 あの日会った生徒は社会中堅の50代。なぜか祈る気持ちがみちわたる3日間だった。
  鹿児島市 東郷久子 2015/8/23 毎日新聞鹿児島版掲載

1986年

2015-08-25 21:12:01 | はがき随筆


 私事だが、29年ぶりに鹿児島支局に赴任したのが今年5月。最初のこのコラムで桜島の思い出を紹介させていただいた。その後、懐かしさもあって休日に自転車で島を一周してみたりした。それから3ヶ月半。今回の噴火警戒レベル引き上げを聞いて、桜島は今も生きた火山だったことを改めて思い知らされた。
 前回赴任した1986年、桜島で一番のニュースは11月に一抱えもある岩がふもとのホテルに落下したことだろう。死傷者は出なかったが、6人が重軽傷を負った。デスクの指示を受けて1年生記者だった私もフェリーと車で現場へ向かった。
 当時も桜島の噴火活動は盛んで、例えば噴石が当たって車のウインドーガラスにひびが入ったと聞いてもそう驚かなかった。飛行機の操縦席のガラスに傷がついたと聞いて、鹿児島空港まで取材に行ったりもした。大きな噴火があると、灰というよりまるでアラレが降るような印象だった。「ホテルに噴石」と聞いても、最初は屋根が壊れたぐらいに思っていた。
 現場に到着。なんと屋根を突き破って、地下室が火事になっていた。火事はすぐ収まったようだが、地下室から見上げると、1階の床にぽっかり大きなアナが開いていた。ストロボを忘れてテレビのライトの助けで写真を撮って、タクシーで鹿児島支局までフィルムを運んでもらった。携帯電話などない時代。ホテル脇の公衆電話で現場の様子を支局に伝えた。
 よく犠牲者が出なかったと今も思う。ただ、驚いたのは翌朝。近くの海岸に落ちた別の大きな岩を見つけて、試しに表面に水をかけたら、一晩たっているというのに一瞬で蒸発した。
 火山と共に生きるとはどういうことなのか。桜島は恐ろしいけど美しい。防災の大切さはいうまでもないが、そのうえで魅力を発信できるよう今回も願ってやまない。
  鹿児島支局長 西貴晴 2015/8/23 毎日新聞鹿児島版掲載



奥様の誕生日

2015-08-25 21:05:28 | はがき随筆
 カミさんの誕生日に、内緒で花束を注文しておきました。素知らぬ顔をしている私の態度にしびれを切らしたカミさん、ついに声をかけてきました。「今日は何の日だか知ってる?」「知りませんよ」「私の誕生日よ」「気がつきませんで」「ダメだこりゃ」。それでも気を取り直して「ショートケーキでも買ってきて乾杯しようか」。
 帰りの車の中で実は……と花束のことを打ち明けました。「えーっ、そうだったの」。生花店で受け取って手渡しました。「トボケたりして、やるではないか。よし、よし」。奥様気どりのご機嫌のカミさんでした。
  西之表市 武田静瞭 2015/8/22 毎日新聞鹿児島版掲載



はがき随筆7月度

2015-08-25 21:01:58 | 受賞作品
 はがき随筆の7月度月間賞は次の皆さんです。

 【優秀賞】25日「母の日記帖」一木法明(79)=志布志市志布志町
 【佳作】10日「祝辞」道田道範(65)=出水市緑町
 【佳作】29日「ブロック塀」高橋宏明(71)=日置市伊集院町

「母の日記帖」 「徒然草」のなかに、ひとり反古紙などを整理していると、昔の人の手紙が見つかり、読んでいると、その人とまるで向き合っているような気分になるものだという一節があります。ここでは亡き母の日記帖を読んでみたばかりに、かえって処分できなくなったという、母と子との間の、親密でもあり微妙でもある心理が卓見に描かれています。
 「祝辞」 全編結婚式の祝辞からなっています。それが、人生を誠実に生きようといている青年と、それを見守る医師のあたたかさとを表し、感動的です。親孝行の青年の面影も彷彿としますが、祝辞の形でいっぺんを構成した技法にも感心しました。読んであたたかく優しい気持ちにしてくれる一遍です。
 「ブロック塀」 二十数年前、ブロック塀の工事を頼んだら、小4の女の子と小2の男の子がブロックを運んで、父親の仕事を手伝っていた。その塀は今でも丈夫だという内容です。子どものときから、労働の意味を身につけていく親子の関係に、考えさせられるものがあったようですが、どうしても現在の子どもたちと比べてみたくなります。
 この他3編を紹介します。
 宮路量温さんの「紙風船」は、捜し物をしていたら紙風船が見つかった。子どものとき弟と遊び、最後には両手で破裂させ、母親にもったいないと叱られた。今同じ事をやってみた、しかし母はもういない。追憶がある情緒を醸し出しています。
 門倉キヨ子さんの「うれしい雨」は、梅雨時になると、網戸を外に出し、雨に洗ってもらう。この年中行事が鬱陶しい梅雨時のむしろたのしみである。生活の知恵ですね。
 竹之内美知子さんの「砂に埋もれて」は、元気なつもりで、指宿の砂蒸し温泉に行ったら、砂は重いし熱いし、脱出(?)したが、足はふらつくし鼓動は乱れるし、とんだ年寄りの冷や水でした。
 李恵隣さんの「私は留学生」は、この欄を担当して初めての外国人の投稿です。頑張って下さい。
  (鹿児島大学名誉教授 石田忠彦)


バス停の名称

2015-08-25 21:01:18 | はがき随筆
 生き方は「てげてげ」であるが、山歩きと好奇心は誰にも負けない自負心を持っている。
 今回「関吉の疎水溝」が世界遺産の一つとして登録され、うれしい限りである。昨年来、物好きの一人として関吉まで足を運ぶこと数回、その水路をたどることもした。しかし県道16号線より先が未知の世界であった。雀ケ宮より磯までの狭い道も歩いた。地元の人に聞くこと10名余り。とうとう水路か磯に下る地点を探し出した。150年前の出来事であるが、ちゃんと現在まで残されていた。それはバス停「落し」ではないだろうか。
  鹿児島市 下内幸一 2015/8/21 毎日新聞鹿児島版掲載



夏の思い出

2015-08-25 20:59:47 | はがき随筆
 夏といえば「ミッジャビイ」。古里を流れる川のふちが水遊び場だった。フリチンか赤ヘコで川にドブン! 下級生には上級生が手をとり教えた。母ちゃんが「午後から川に行くとワロドンが足を引っ張っど」と言ったので「ワロドンを見たい」と言い返すと「ギヲユナ」とゴツン! あ~痛かったな~。 
 四季折々自然と触れ合い、風習も守り伝え続けてきたが、今はこどもたちの川遊びもプールが奪ってしまい、自然も破壊され、冒険心をも摘んでしまった。親にガラレても、じっとしていられなかった。あの頃の風情ある夏が懐かしい。
  さつま町 小向井一成 2015/8/20 毎日新聞鹿児島版掲載