はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

3人の17歳

2015-08-08 17:21:56 | 岩国エッセイサロンより
2015年8月 7日 (金)

岩国市  会 員   安西 詩代

 兄が17歳で特攻隊に志願し、私の生まれる前に亡くなったことを高校生の時、姉より聞いた。
 壁に掛けてある凛々しい軍服姿の兄の写真を見つめた。
 深い悲しみを背負っていた父と94歳まで生きた母も兄のことを一言も話すことはなかった。
 息子が17歳になった時は部活の野球を朝から晩まで楽しんでいた。戦後の平和は私たちの心を穏やかにしていた。日本国のために出征した兄とは重ならなかった。
 しかしこのごろ、心がザワザワして落ち着かない。
 孫が17歳になった。兄と重なる恐怖が芽ばえている。
 (2015.08.07 毎日新聞「はがき随筆」戦後70年特集掲載)岩国エッセイサロンより転載

乾いた雪・雲

2015-08-08 17:13:52 | はがき随筆
 冬日、網走の北浜に立つ。氷点下11度。晴天無風、一面の雪。雪が乾いてる? 手に取れば指の間からサラサラ落ちる。雪解けの泥道はない。網走の町は無言だ。風の強い日にはきっと雪煙が舞い上がるだろう!
 夏日、網走とほぼ同緯度のローマの石畳に立つ。スケッチする。晴天、何と軽やかな雲だろう。雲は乾いてる? 年間雨量700㍉以下、夏の雨は少なく、乾ききっているローマ。昔のイタリア映画の女主人公たちの乾いて悲しい瞳を思う。おお、ソレ・ミオ。ジェラートの店の周辺には多くの男女が群れている。明日もきっとそう……?
  出水市 中島征士 2015/8/8

異邦人

2015-08-08 17:13:11 | はがき随筆
 「ママの最後の言葉が聞きたかった」とジェニーは泣きくずれた。そこへ客のドラエモンがいち早くかけつけ「そうかとうとう死んじゃったのか」としわくちゃのお金を手わたし、ジェニーの元から離れようとせずなぐさめ続けた。
 フィリピン生まれのジェニーは、日本人以上の働きもので、一日中台所に立って料理を作りつづけて、居酒屋をきりもりしている。四十九日が終わったらまた日本へ戻って来ると泣きながら帰っていった。ジェニーの顔が見たくてみんなが待って居る。ジェニー元気を出して早く帰って来てね。
  札幌市 古井みきえ 2015/8/7 毎日新聞鹿児島版掲載



努力

2015-08-08 17:12:35 | はがき随筆
 小学2年生の孫息子が小論文に応募して入選し、盾と賞状を手にした。タイトルは「生きるためのどりょく」。生活科の時間にアサガオを育て、毎日、欠かさずに水をやる植物は水を吸い太陽をいっぱい浴びて成長する。水や光、日差しは栄養となる。毎日の水やりは難問だが「生きる為の努力」の鹿大を果たした。この課題は孫息子の未来の夢につながるだろう。
 アサガオのツルは根強い力を発揮し、壁にはって生き抜く。孫息子の未来も根強く生き抜くんだ。まぶしい光の朝には薄紅色、青色、薄紫色のアサガオが凛と優雅に咲く。
  姶良市 堀美代子 2015/8/6 毎日新聞鹿児島版掲載



僕の昭和史7

2015-08-08 17:11:48 | はがき随筆
 小学校入学は昭和21年。卒業までの6年間は、食糧難の時代と言えるだろう。ぼくも並んだ記憶があるが、きまぐれな配給だけで、一家を養うのは不十分であり、両親がその確保に奔走するのを大変だろうと思えても、深刻さは理解できない。明日どころか夕食の手当すらおぼつかないとき、物々交換の着物を持った母と、リュックを背負い農家を訪ね、平身低頭する母が屈辱的な姿に見えたのを覚えている。これは戦争がもたらした惨めさである。生きる上で根幹をなす食料の確保になりふりかまわぬ姿を、今は理解できるし、その結果ぼくがいる。
  志布志市 若宮庸成 2015/8/5 毎日新聞鹿児島版掲載



ピザ作り

2015-08-08 17:11:08 | はがき随筆
 小学生の野外での食事作りの手伝いにいった。ピザの要望があったが、問題は焼く設備。幸い手軽に焼く情報が入った。段ボールにアルミ箔を張り、手前に開き戸をつけた。中程にピザを焼く針金を通す。底は抜き、煉瓦の上に炭火を載せた。
ピザ作りは夏がいい。粉をこねて30分放置すれば発酵する。思い思いの材料をピザ生地にのせ、窯の中で12分。焼けたピザを取り出したときの子供の歓声、おいしく頬張る姿を見て私は元気をもらった。子供たちは山でも海岸でも焼けるねと言う。電気のいらない素朴な調理用具を頭の隅に入れたようだ。
  出水市 年神貞子 2015/8/4 毎日新聞鹿児島版掲載



役立つ古本屋

2015-08-08 17:10:32 | はがき随筆
 古本屋で二百円、三百円ほどの本を買う。親鸞上下、石田三成、学問のすすめなどである。古本といっても新刊同様で、たまに前購読者のラインもあるものの、読書するのに支障も生じない。新刊の定価の半値か4分の1くらいで、私にとって大いに助かっている現実がある。
 古本屋には月1回ほど足を運んでいる。めぼしい本は選んで購入するように心がけている。次に行くとき、売り切れていることもある。今後も古本を買って知識を増やし、読書時間も増やす。満75歳にて読書とのたたかいも始まっている。古本屋、私にとって役だっている。
  鹿児島市 岩田昭治 2015/8/3 毎日新聞鹿児島版掲載



嫁三点セット

2015-08-08 17:09:53 | はがき随筆
 「嫁入り三点セット」と名づけて大切にしているものがある。その一つは、1964年に発刊された旺文社の国語辞典。高校1年生のときから使っているので、もう47年のおつき合いだ。もう一つは、帝国書院の高等地図。これも同じく47年のおつき合いである。どちらも濃い緑色の表紙。世の中は変わったけれど、まだまだ頼りになる2冊だ。さすがに地図だけは、「お母ちゃん世界は変わったよ」と大学生の娘が譲ってくれた。もう一つはドライバーセット。どれも人生を一緒に歩いてきた大切な仲間。最後まで一緒に行こうね、と話している。
  鹿児島市 萩原裕子 2015/8/2 毎日新聞鹿児島版掲載



強行採決

2015-08-08 17:09:16 | はがき随筆
 昭和6年ごろから、……その前明治にもありましたが、日本は戦争に関わり、多くの犠牲者を出してやっと70年前、戦から抜け出しました。
 その後戦勝国、主に米国の指導の下、現在の憲法ができ、平和に暮らしてこれました。それが、7月15日、衆議院特別委で強行採決。世界の情勢があやしくなったということで、9条の拡大解釈となりました。
 多数決で押し切るイエスマンの方々を選んだのは、善良な選挙民。もう少し若者たちが、我が事として考えて選挙してくれたらと、力ない戦争経験者年寄りのたわ言です。
  鹿児島市 津田康子 2015/8/1 毎日新聞鹿児島版掲載



お達者!

2015-08-08 17:08:38 | はがき随筆
 「体の痛くないところはなか」。それでも笑顔。茶の間で本を読んでいたら目が見えにくいと、明るい縁側で針仕事。針の目がなかなか通らなくて……。それでは私が、と大発奮。実は心もとないのだが、がぜん張り切ってしまう。やっと2.3本通して針山にさすと「ありがとう、ありがとう」と喜ばれる。なんだろう、このパワー。気持ちまでもぐんと若返る。 
 電動車で買い物にも行かれ、冷蔵庫には食材も万全。「今日は煮物ね」「はい」。いつにも増して軽やかに動く。大先輩の前ではひよっ子の私。102歳のMさん、生き方の達人です。
  出水市 伊尻清子 2015/7/31 毎日新聞鹿児島版掲載



日めくり

2015-08-08 17:07:50 | はがき随筆
 トイレの日めくりカレンダーに「ここは孤独なところ、自分が自分になるところ」とある。確かに孤独な所ではあるが、私には単に体内一掃の場であり、自分が自分になる所でもない。せっかちな私は、まだ現役で働いていると、トイレごときにゆっくり座っていられない。
 自分勝手に「私がいなければ、ここはなんとかしなければ」と老婆心がうずく。長年続けてきた仕事で絶対の自信をもっていたのに、若い頭脳のちょっとした動作でよりはかどることに気付く。もうそろそろ、若けもんにタッチするべきか。しかし跡継ぎはいない。
  阿久根市 的場豊子 2015/7/30 毎日新聞鹿児島版掲載


ブロック塀

2015-08-08 17:06:35 | はがき随筆
 50歳の8月、私は家を建てた。ブロック塀は、知人から「リストラになった人がいるからよろしく」と頼まれていたので、その人にお願いした。
 工事が始まったので覗いてみると2人の小学生がいる。聞くと女の子は小4、男の子は小2という。炎天下、顔中汗だらけになって一個一個ブロックを父親のもとへ運んでいる。ああ、この子たちは働いてお金を稼ぎ、生活の糧にする。働く意味を学んでいるのだ。
 2週間後、1100個のブロックが積み上がった。あれから21年、親子の絆でできた塀は今もでんと立っている。
  鹿児島市 高橋宏明 2015/7/29 毎日新聞鹿児島版掲載



ジュウザンプリ

2015-08-08 17:06:14 | はがき随筆
 40年ぶりくらいでフランス語を学んでいる。大学での授業は読み書きだけだったが、今の教室は会話主体である。
 ソルボンヌ大学に留学経験があるベテラン俳優のトークショーに行く機会があった。終わり間近「会場から質問は?」と言われ、真っ先に手を挙げた。
 質問の内容よりも、彼と直接会話することを目的としていた私。フランス語であいさつし、質問の答えをもらったところで「メルシー」と御礼を述べたら「ジュウザンプリ」が返ってきた。どういたしまして、という意味である。大雨の中、心晴れ晴れで帰ってきた。
  鹿児島市 本山るみ子 2015/7/28 毎日新聞鹿児島版掲載



孫娘パース市へ

2015-08-08 17:04:51 | はがき随筆
 高校生の孫娘が「鹿児島市青少年の翼」パース市派遣に合格。7月17日決断式があった。15日間の日程、出発は27日。団員8名中、1年生は孫娘1人。海外は初めてである。
 英語は小さい頃から、教材を使って母親が教えた。巻き舌の発音はなめらかだが……。臆せずチャレンジして、コミュニケーションをとってほしい。
 ホームステイしながら学校交流。ホストファミリーとともにパース市内視察。多くの人の支えで異文化体験。
 未来への更なる飛翔の一歩となるように。準備は万端。〝いざ行け!友喜〟
  鹿児島市 内山陽子 2015/7/27 毎日新聞鹿児島版掲載