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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

Andrew Ortony, ed., "Metaphor and Thought"

2017年06月02日 | 人文科学
 http://www.cambridge.org/catalogue/catalogue.asp?isbn=0521405610

 1979年刊。目次を見、編者の総論を見、索引から関心のあるタームで頁を繰ってみたが、基本チョムスキーの生成文法・普遍文法論が正しいとの前提に立っていて、ウォーフは冷笑ぎみの鼻も引っかけない扱いと見えるのは私の誤読か。

(Cambridge University Press, Sep. 1979)

小林正美 『六朝仏教思想の研究』

2017年06月01日 | 東洋史
 おおいに学ばせていただいた。そして「序」の著者による当分野の一種“安易な”学問的風潮に対する苦言、もしくは釘を打ち込むような厳しい指摘には、みずからの周囲のあれこれを思い合わせて、おおいに頷いた。

 換言すれば、中国仏教を研究する場合にはサンスクリット語原典での語法や意味を、安易にそのまま中国人仏家の使用する仏教語に当てはめて解釈してはならないということである。サンスクリット語原典での用法からみれば間違いと言える解釈を中国の仏家たちはしばしば行い、その間違った解釈に基づいて独自の仏教思想を構築しているのである。この場合に、その思想をインド仏教の側から見て、それは正しい仏教思想ではないと断定すると、中国には正しい仏教は存在しないことになる。 
(xi頁。原文旧漢字、以下同じ)

 六朝仏教にかぎらず、中国仏教を研究する場合にわれわれが常に忘れてはならないことは、中国仏教がインドのサンスクリット語や諸方言、あるいは西域の諸言語から漢語に翻訳された漢訳仏典に基づいて、漢語を使用する中国人が自己の感性と思惟によってそれを理解し解釈して形成した宗教である、という事実である
 (x頁)

(創文社 1993年12月)

賦 - Wikipedia

2017年06月01日 | 地域研究
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%A6

 賦(ふ)とは、中国の韻文における文体の一つ。漢代に形成された。抒情詩的要素が少なく、事物を羅列的に描写する。事物の名前を列挙することを特徴とするので、日本では古来、かぞえうたと称された。『漢書』芸文志に「歌わずじて誦ず、これを賦と謂う」とあり、漢詩が歌謡から生まれたのに対し、賦はもとより朗読されるものであったと考えられる。


 これに関連して、同じだがただし英語のWikipediaの"History of fu poetry" 項を見たが、私が知りたいある一点は書かれていない。日・英・中・露の「賦」項もそうだったけれど、賦について考えて“あれ”を不思議に思わず、またそれについて書いて触れないでいて不自然とは思わないのか。


賦 - Wikipedia

2017年06月01日 | 抜き書き
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%A6

 賦(ふ)とは、中国の韻文における文体の一つ。漢代に形成された。抒情詩的要素が少なく、事物を羅列的に描写する。事物の名前を列挙することを特徴とするので、日本では古来、かぞえうたと称された。『漢書』芸文志に「歌わずじて誦ず、これを賦と謂う」とあり、漢詩が歌謡から生まれたのに対し、賦はもとより朗読されるものであったと考えられる。

中嶋隆蔵 「張湛の思想について」

2017年06月01日 | 人文科学
 『日本中国学会報』 24、1972年10月掲載、同誌80-98頁。

 張湛は『列子』に注をつけたがその注はテクストの外在的批判は今日から見ても驚くほど客観的ないし科学的にできても、内在的批判はまるでできていない由。つづけて分析される一個の思想者としての彼の思想については、準備不足の私にはよくわからなかった。出直しである。

松浦好治 『法と比喩』

2017年06月01日 | 社会科学
 出版社によるオンデマンド版の紹介。

 問題解決のプロセスで登場する比喩、類推、擬制が法的世界で中心的な役割を果たしていることを示す野心作です。
 (「内容」)

 元の紙の版で読んだ。非常に興味深い。この分野の確たる該分野の専門家がこの主張を前面に押し出しているということが、私個人にとってはだ。
 本書、「第一章 経験と言葉の間」にこうある。

 比喩を変えるということは、ものの見方を変えることにつながる〔原文傍点〕。対象に関する新しい比喩の導入は、場合によっては、ものの見方を一変させる可能性をもっているのである。
 (30頁)

(弘文堂 1992年5月)