再読。
否定と破壊(明治維新)のあとで、国家という規模で一つの新しいかたちをつくることは、エリートたちの集団をつくることよりも、はるかに困難な仕事であった。というのは、合理的思惟、実証や実験にもとづく実学、経済合理主義、個人主義的意識、そしてその底にある世界史的視野は、徳川思想のすべてを覆うものではなかった。 (「終章 幕末から明治へ」254頁)
これを逆に言えば、源氏はこれらが当時において「近代化」の要件だったとしておられるわけである。そのうち、何が足り、何が足りなかったのか。
(中央公論社 1984年8月)
否定と破壊(明治維新)のあとで、国家という規模で一つの新しいかたちをつくることは、エリートたちの集団をつくることよりも、はるかに困難な仕事であった。というのは、合理的思惟、実証や実験にもとづく実学、経済合理主義、個人主義的意識、そしてその底にある世界史的視野は、徳川思想のすべてを覆うものではなかった。 (「終章 幕末から明治へ」254頁)
これを逆に言えば、源氏はこれらが当時において「近代化」の要件だったとしておられるわけである。そのうち、何が足り、何が足りなかったのか。
(中央公論社 1984年8月)