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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「東・東南アジアの民族、南から北へ移動し形成」 から

2009年12月11日 | 抜き書き
▲「YOMIURI ONLINE 読売新聞」2009年12月11日08時36分。 (部分)
 〈http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20091211-OYT1T00003.htm

 東アジアや東南アジアに住む主な民族は、現在のインドから数万年前にタイやマレーシア、インドネシアに入った共通の祖先が、南から北へ移動しながら形成された可能性が高いことが日本や中国など10か国の共同研究でわかった。
 11日付の米科学誌サイエンスに発表する。
 国際研究チームは、アジアの73民族・集団の約2000人を対象に、遺伝情報のわずかな違いを約6万か所にわたって解析、それぞれの特徴を比較した。
 その結果、遺伝的な多様性は、南に住む民族の方が大きく、北へ行くほど小さくなることがわかった。
 東アジアや東南アジアに住む民族については、共通の祖先が、南から北に広がったとする説と、逆に北から南に広がったという説がある。遺伝的多様性は共通祖先の拡散とともに小さくなることから、今回の結果は、南から北に広がった説を裏付けている。

 大野晋氏の日本語クレオールタミル語説を補強する材料となるか?

大久保利謙編 『津田真道 研究と伝記』

2009年12月11日 | 日本史
 2009年11月21日「大久保利謙/桑原伸介/川崎勝編 『津田真道全集』 上」より続き。

 「人民ヲシテ国事ニ干与セシムルハ民撰議院ヲ創ムルニ如クハナシ」 (「政論ノ三」。大久保利謙「津田真道の著作とその時代」、本書83頁に引用)
 
 津田は、「政論ノ三」(明治7・1874年)において、議会開設について論じている。そのなかで、現今議院論として三論あり、一は華族会議、一は地方官会議、一は民撰議院なりとしたうえで、前二者は不可として明快に否定した。ただしその一方で、民撰議院については、封建の世を去ることいまだ浅い我が国の民情の現状に鑑みて暫くは制限選挙によるほかはなしとした。この明晰さとバランス感覚が、近代的な立憲主義者にして現実主義的な漸進主義者・津田の真骨頂であったろう。
 ただこの人は徒党を組んでその数を恃んで何かをするということがきらいだったらしく、言動や進退は終始個人としてのそれで終始した。そのためであろう、社会的にはあまり影響力を持ち得なかった。

(みすず書房 1997年3月)

羽田明 『中央アジア史研究』 から

2009年12月10日 | 抜き書き
 2009年12月08日「佐口透 『新疆民族史研究』」より続く。

 一七―一八世紀のヨーロッパ人は、西トルキスタンのブハーラ・ハン国を大ブハーリア Great Bukharia、東トルキスタン(タリム盆地地方)を小ブハーリア Little Bukharia とよび、これらの地方のトルコ族住民をブハーラ人と汎称した。これは疑いもなくロシア人の用例に従ったものである。 (第五章 ジュンガル王国とブハーラ人――内陸アジアの遊牧民とオアシス農耕民――」 本書252頁)

 無知は悲し。
 では、ブハーラ人≒サルトという理解は成立するか否か。
 ちなみに、この著において、「カシュガリア」は東トルキスタン(新疆)の同義語として使われている。とりたてて定義も説明もないところを見ると、あたりまえの言葉なのだろう。ふたたび無知は悲し。

(臨川書店 1982年6月)

護雅夫/岡田英弘編 『民族の世界史』 4 「中央ユーラシアの世界」

2009年12月10日 | 東洋史
 2009年12月02日「竺沙雅章監修 間野英二編 『アジアの歴史と文化』 8 「中央アジア史」 から」より続き。

 「第2部 トルコ系民族」を中心に読む。
 ムタル・エルマトフという学者は、その著『ウズベク族の起源と形成』(1968年)のなかで、中央アジアでは紀元前3000年ないし2000年にトルコ系諸民族が出現し、同時期に同地域における遊牧と定着農耕が成立したという。さらにエルマトフによれば、スキタイもサカもトルコ系であり(イラン系もなかにはいたが)、はては月氏もクシャン朝も、エフタルもみなほとんどトルコ系であるという。突厥はいうもがなである。
 これだけでもすでに謬論だが、さらに、加藤九祚氏の要約に従えば、彼は、「中央アジアにははるかな昔からトルコ系(主として中央アジア北部)とイラン系(主として中央アジア南部)の住民が共存し」ていたのであり、「しだいにトルコ系が優勢を占めた」と主張する。そして、その結論として、「十―十二世紀には中央アジアの地に、のちにウズベクと呼ばれるようになったトルコ系民族とタジクと呼ばれるようになったイラン系の民族が形成された」となる(加藤九祚「第Ⅱ章 中央アジアとシベリアのトルコ民族」)。
 つまり、「古ウズベク族」「古タジク族」ともよぶべき二つの実体が、紀元前3000年もしく2000年の昔から存在し、その間、隣接しながら混淆も融合もおこなわれず、5000年あるいは4000年の時をそのままに過ごして別個の存在のままこんにちの「ウズベク民族」「タジク民族」へと至ったということだ。妄言にちかい。
 
 十―十二世紀のカラ・ハーン朝の時代に、現在のウズベク共和国(ウズベキスタン)においてトルコ系言語が住民の共通語になり、一二二一年、中央アジア全土がチンギス・ハーンの支配下に入ったことはこの傾向を強めたと彼は強調している。 (「中央アジアとペルシアのトルコ系民族」 本書213頁)

 なるほどこれではティムールがウズベク族の英雄になってもおかしくはない。バリバリのモンゴル人にして不信者であるチンギス・ハーンまで恩人扱いでは、おなじくモンゴル人(バルラス部)でもサマルカンド近郊で生まれ、言語風俗もトルコ=テュルク人化した、もちろんイスラームであるところのティムールを同胞扱いするなど造作もないことだろう。
 本の出版年月を見ればわかるが、エルマトフは旧ソ連時代の学者である。ソ連崩壊後のウズベキスタンの民族観、歴史観は、基本的に旧ソ連時代のままであるらしい。学問が政治に奉仕する伝統を含め。

(山川出版社 1990年6月1版1刷 1992年8月1版2刷)

「China Moves to Indict Top Dissident」 から

2009年12月10日 | 抜き書き
▲「Time.com」Wednesday, Dec. 09, 2009, AP / ALEXA OLESEN. (部分)
 〈http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1946490,00.html

  (BEIJING) ― Police have finally presented a case against prominent dissident Liu Xiaobo, who has been jailed for a year without charge after helping produce a high-profile manifesto calling for sweeping democratic reforms in China, a lawyer said Wednesday.

劉暁波氏の裁判は、中国におけるガリレオ裁判になるだろう。劉氏は、異見ではなく異端であるがゆえに恐れられ、迫害され、裁かれるのである。

陳桂棣/春桃著 納村公子/椙田雅美訳 『発禁「中国農民調査」抹殺裁判』

2009年12月10日 | 政治
 張西徳といえば、臨泉県のテレビで誰もが知っていた。〔略〕報告書はたぶん秘書たちがつくるのだろう。文章はなかなかよくできている。だが、原稿なしで話すとなるととたんに品性がなくなり、言うことが粗暴な人間と変わらなくなる。会議の席で、産児制限を強調し、張西徳はこぶしを振り上げ放言した。/「墓を七つつくっても、子供は一人も増やすな!」/その場の全員が唖然としたこの恐ろしく血なまぐさいことばは広く宣伝され、耳にした人を寒からしめた。 (「発禁、そして裁判へ――訳者まえがき」 本書ix頁、『中国農民調査』日本語版で訳出されなかった箇所)

 中国でむかしから都市部の住民が農村部の住民を畜生扱いしたのも宜なるかなと言いたくなる。農村から都市を包囲して成就した共産革命の結果、こういう控えめに言って「粗暴な人間」が、粗暴であることに免罪府と正義とを与えられ、それまで自分たちを支配・蔑視してきた「粗暴でない人間」を逆に支配し彼らに報復する体制を生み出した。響くは無知と反知性の凱歌である。

(朝日新聞出版 2009年10月)

阿古智子 『貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告』

2009年12月10日 | 人文科学
 最後のあとがきで、返す刀でいった感じで日本の格差社会批判になるのだが、どうしてそれが必要なのだろうか。お約束だからか。陳情におとずれたHIV患者に向かって「お前等が全部死ねば問題は解決する」と怒鳴りつけるような地方自治体の首長は、日本にはまずいまいし、いたらただでは済むまい。比較にならない。できない。中国の格差は官と民の間のそれなのである。
 そして、そんな人が罰せられもせずに大手をふって歩いている(そしてますます肥え太っている、そして馬鹿を見た正直者が自暴自棄になって犯罪に走ったりそちらの陣営へと鞍替えしている)中国の現状を、渾身の力で描き出しているだけに、最後に定型的発想に流れたのが非常に惜しい。

(新潮社 2009年9月)