『哲学』25、広島哲学会、1973年10月掲載、同誌94-118頁。
2016年07月08日「小倉芳彦 「直諫の構造」」より続き。
末尾「結論」に全篇の論旨が明晰に要約されている。(同誌23頁。文中の下線および〔〕内の注は引用者による。原文旧漢字、段落なし)
すなわち、列国に宗族勢力を張る世族が王侯に対して行う諫争は、その宗族勢力を背景として、自国の宗法的秩序の安定もしくは回復を意図するものであり、したがって、世族は諫争を介してそれに背く君主を批判できた。 〔論点の1〕
逆に、宗族勢力をもたないで君主に直属する臣下が行う諫争は、自身の安全を保障する君主の権力強化を意図するものであり、したがって、君主権強化の範囲で君主を批判できても、その限界を超える批判は許されなかった。 〔論点の2〕
また、宗族内で族人が宗主に対して行う諫争も、宗主あるいは宗族勢力の強化を意図するものであり、したがって、宗主を批判することはできなかった。 〔論点の3〕
さらに、家臣が主君に対して行う諫争も自己が直結する主君の権力強化を目指すものであり、したがって、主君を批判できなかった。 〔論点の4〕
列国において、卿大夫が相互に行う諫争は、自己が帰属する宗族勢力の維持もしくは拡大を目的とするものであり、その力関係に従って被諫者を批判できる反面、被諫者も諫争を拒否できた。 〔論点の5〕
何の為の諫争かが書かれている(論点の1,2,3,4,5)。何に拠ってかも同様である。
後者について、詳しく見ていくと、1および3,5は伝統また慣習に基づくものであり、2および4は君主個人の安泰のためである。
ただ両者に共通するのは、目的(あるいは目標)も、基準(あるいは原則)も、究極的には己の安全と利益の保障という点である。であるならば、ここに指摘されたその諫争=批判の“限界”も、それは目的・目標もしくは基準・原則のゆえだったという著者の議論を、さらに突き詰めれば、諫争者(および/あるいはその属する宗族集団・家臣団)の安全と利益のゆえだったと言えはしないか。一言でいえば我が身の保全、保身のゆえである。つまりは他律的な限界ではなく、自己のみずから課した制限であったと。
2016年07月08日「小倉芳彦 「直諫の構造」」より続き。
末尾「結論」に全篇の論旨が明晰に要約されている。(同誌23頁。文中の下線および〔〕内の注は引用者による。原文旧漢字、段落なし)
すなわち、列国に宗族勢力を張る世族が王侯に対して行う諫争は、その宗族勢力を背景として、自国の宗法的秩序の安定もしくは回復を意図するものであり、したがって、世族は諫争を介してそれに背く君主を批判できた。 〔論点の1〕
逆に、宗族勢力をもたないで君主に直属する臣下が行う諫争は、自身の安全を保障する君主の権力強化を意図するものであり、したがって、君主権強化の範囲で君主を批判できても、その限界を超える批判は許されなかった。 〔論点の2〕
また、宗族内で族人が宗主に対して行う諫争も、宗主あるいは宗族勢力の強化を意図するものであり、したがって、宗主を批判することはできなかった。 〔論点の3〕
さらに、家臣が主君に対して行う諫争も自己が直結する主君の権力強化を目指すものであり、したがって、主君を批判できなかった。 〔論点の4〕
列国において、卿大夫が相互に行う諫争は、自己が帰属する宗族勢力の維持もしくは拡大を目的とするものであり、その力関係に従って被諫者を批判できる反面、被諫者も諫争を拒否できた。 〔論点の5〕
何の為の諫争かが書かれている(論点の1,2,3,4,5)。何に拠ってかも同様である。
後者について、詳しく見ていくと、1および3,5は伝統また慣習に基づくものであり、2および4は君主個人の安泰のためである。
ただ両者に共通するのは、目的(あるいは目標)も、基準(あるいは原則)も、究極的には己の安全と利益の保障という点である。であるならば、ここに指摘されたその諫争=批判の“限界”も、それは目的・目標もしくは基準・原則のゆえだったという著者の議論を、さらに突き詰めれば、諫争者(および/あるいはその属する宗族集団・家臣団)の安全と利益のゆえだったと言えはしないか。一言でいえば我が身の保全、保身のゆえである。つまりは他律的な限界ではなく、自己のみずから課した制限であったと。