書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

卒論で沙陀部族のある人物を扱ったのだが、・・・

2018年07月25日 | 思考の断片
 卒論で沙陀部族のある人物を扱ったのだが、そのときは当方アホで気も付かなかったが、沙陀が地名で、自分の部族名もしくは集団名を、なんらかのゆかり(アイデンティティのよりどころ)がある地名から採るというのは、漢語的発想のようにも思える。
 これは沙陀もしくは彼らが同心円で同胞と感じる周辺もしくは上位集団の文化的思考様式でもあったのか、それとも彼らが漢語世界と交渉するうちに多少とも漢化して(漢語を使用するようになったと言うくらいの意味)、そういう思考法を取るようになったのか、それとも彼らとは関係なく、記録する漢語世界のほうでそう、いわば勝手に彼らを“名づけ”(=世界を分節)たのか。