▲「Viet Nam Net」Last update 13/07/2011 07:00:00 AM (GMT+7)。(部分)
〈http://english.vietnamnet.vn/en/special-report/10521/nostalgia-and-china-s-casuistry-for-u-shape-line.html〉
VietNamNet Bridge – Mentioning China’s casuistry “anything that is related to my name, it’s mine”, a reader of the Economist commented ironically: “The sea is called South China Sea, so it belongs to China? Similarly, the Indian Ocean will belong to India? If it is true, perhaps other countries should change their name… For China, perhaps it wants to change its name into Pacific”.
Mongolia has indisputable sovereignty over the territory from the Yellow Sea in East Asia to Europe. Any place which was named in the map of the Mongolian Empire from the 12th to 13th centuries belongs to the current Mongolia. The descendants of Genghis Khan can absolutely make that statement if China’s mistake about the South China Sea (East Sea) based on “history” is true.
まったくそのとおりである。
しかし折角だが、そしてこの記事を書いているベトナム人は分かっているとは思うけれど、中国人の大方はこんなことを言われても解らないだろう。彼らは有史以来、形式論理学とは無縁できた人々だから、自分のいっていることの矛盾が認識できないのである。「矛盾」という言葉はもとは中国起源、『韓非子』にある故事(寓話)だが、あれを矛と盾のオハナシとしか思っていない。どんな盾でも貫ける矛とどんな矛でも受け止められる盾を売る商人がいました。客からその矛でその盾を突けばどうなるかと言われた商人は困りました。たといその意味が「話の中身が食い違うこと」であると知っていても、では「話の中身が食い違う」とはいったいどういうことかを尋ねられると、答えられない。「つじつまがあわないこと」というのは、言い換えであって、説明ではない。彼らの説明あるいは解釈なるものの大半は、これである。あるいはおのれの勝手料簡による尾ひれを付けた補足である。(ちなみに言えばいわゆる訓詁のほとんどはこのいずれか、あるいは両方である。)どうしてそうなるのかといえば、何回でも言うが、彼らは帰納も演繹も知らないからだ。彼らは自分で抽象的な概念を具体的な事象から抽出することが、極めて不得手である。ほとんど不可能といってもかまわないかもしれない。だから彼らは基本的に内在的批判というものができない。
ベトナムは中国化したといっても、科挙の試験勉強用に、また中国との交渉用にほんの表面的にしか儒学(朱子学)を勉強せず、漢文はもっぱら文学(詩文)に憂き身をやつしていた(これは誉め言葉である)お国柄である。19世紀後半になるまで陽明学を知らなかったといえば、どんな事情だったか大体わかろう。19世紀後半といえばフランスによって植民地化されるかつかつのところである。中国式の主観と客観、倫理と物理の区別のつかない古代そのままの心性と思惟に深く染まらなかったかわり、ベトナム人は、どうも、フランス式の近代的形式論理の――つまり抽象的な――思考を、大いに受け入れたらしい。ベトナム人の思考――たとえばこの記事の主張だがそれにかぎらず――が、じつに論理的で明快なのは、そのせいではないかと、私は思っている。反面これは、中国の冊封体制というものがある意味いかにおおどかであったか、またそれに引き比べ近代西洋列強の行った植民地支配がいかに苛烈であったかということの証左であるかもしれないが。
〈http://english.vietnamnet.vn/en/special-report/10521/nostalgia-and-china-s-casuistry-for-u-shape-line.html〉
VietNamNet Bridge – Mentioning China’s casuistry “anything that is related to my name, it’s mine”, a reader of the Economist commented ironically: “The sea is called South China Sea, so it belongs to China? Similarly, the Indian Ocean will belong to India? If it is true, perhaps other countries should change their name… For China, perhaps it wants to change its name into Pacific”.
Mongolia has indisputable sovereignty over the territory from the Yellow Sea in East Asia to Europe. Any place which was named in the map of the Mongolian Empire from the 12th to 13th centuries belongs to the current Mongolia. The descendants of Genghis Khan can absolutely make that statement if China’s mistake about the South China Sea (East Sea) based on “history” is true.
まったくそのとおりである。
しかし折角だが、そしてこの記事を書いているベトナム人は分かっているとは思うけれど、中国人の大方はこんなことを言われても解らないだろう。彼らは有史以来、形式論理学とは無縁できた人々だから、自分のいっていることの矛盾が認識できないのである。「矛盾」という言葉はもとは中国起源、『韓非子』にある故事(寓話)だが、あれを矛と盾のオハナシとしか思っていない。どんな盾でも貫ける矛とどんな矛でも受け止められる盾を売る商人がいました。客からその矛でその盾を突けばどうなるかと言われた商人は困りました。たといその意味が「話の中身が食い違うこと」であると知っていても、では「話の中身が食い違う」とはいったいどういうことかを尋ねられると、答えられない。「つじつまがあわないこと」というのは、言い換えであって、説明ではない。彼らの説明あるいは解釈なるものの大半は、これである。あるいはおのれの勝手料簡による尾ひれを付けた補足である。(ちなみに言えばいわゆる訓詁のほとんどはこのいずれか、あるいは両方である。)どうしてそうなるのかといえば、何回でも言うが、彼らは帰納も演繹も知らないからだ。彼らは自分で抽象的な概念を具体的な事象から抽出することが、極めて不得手である。ほとんど不可能といってもかまわないかもしれない。だから彼らは基本的に内在的批判というものができない。
ベトナムは中国化したといっても、科挙の試験勉強用に、また中国との交渉用にほんの表面的にしか儒学(朱子学)を勉強せず、漢文はもっぱら文学(詩文)に憂き身をやつしていた(これは誉め言葉である)お国柄である。19世紀後半になるまで陽明学を知らなかったといえば、どんな事情だったか大体わかろう。19世紀後半といえばフランスによって植民地化されるかつかつのところである。中国式の主観と客観、倫理と物理の区別のつかない古代そのままの心性と思惟に深く染まらなかったかわり、ベトナム人は、どうも、フランス式の近代的形式論理の――つまり抽象的な――思考を、大いに受け入れたらしい。ベトナム人の思考――たとえばこの記事の主張だがそれにかぎらず――が、じつに論理的で明快なのは、そのせいではないかと、私は思っている。反面これは、中国の冊封体制というものがある意味いかにおおどかであったか、またそれに引き比べ近代西洋列強の行った植民地支配がいかに苛烈であったかということの証左であるかもしれないが。