書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

宋強ほか 『中国還是能説不』

2005年09月02日 | 政治
 『中国可以説不(ノーと言える中国)』の続編。相変わらずの阿呆ぶりである(→2004年3月25日)。猿の絶叫犬の吠声に変わらず。
 これに関し、林思雲氏から先日いただいたメールの一部を、氏のご許可をいただいて翻訳転載する。林氏は最近、暫く中国へ帰国されていた。

“中国では現在、新たな‘反日理論’がいくつも現れています。その中でもっとも過激なのは、「日本は中国を滅亡させる野心を捨てていない」というものです。この論に従えば、中国と日本の戦争は必至と考えなければなりません。そのほか、“日本は邪悪な民族である”という論もあります。これはさらに進んで、日本は中国にとって最大の敵だけでなく人類全体の最大の脅威である、故に人類の未来のために日本は滅ぼすべきなのだというのです。この論理はヒトラーのユダヤ人絶滅理論のそれとほぼ同じで、ただユダヤ人が日本人へと変わったにすぎません。
 これらの新理論はいまのところ中国の世論の主流とはなっていませんが、もしそうなれば両国の関係は楽観を許さないでしょう”

 私は人種、国籍、文化、民族に関わらず阿呆が嫌いである。だから当然中国の阿呆も嫌いである。阿呆は理屈を解さない。これらの“理論”など、私にいわせれば理論ではない。
 とはいえ横山宏章『反日と反中』(→今月1日)を読んだあとでは阿呆には阿呆なりの言い分があるのだろうと思うようにはなった。どうしてこんなに阿呆になったか原因を知りたいという欲求も湧いてきた。とにかくあの数の多さはただ事ではない。もっとも仕方なく阿呆のふりをしているだけの人もなかにはいるはずである。戦前・戦争中の日本と同じく。

(香港 明報出版社 1996年10月第2版)