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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

さくらももこ 『まる子だった』 

2005年02月05日 | その他
 テレビの番組は子供にあわせるので子供番組ばかり観る。日曜は『ちびまる子ちゃん』と『サザエさん』は必見である。
 『ちびまる子ちゃん』は、今年でテレビ放映15周年だそうで、めでたい。『サザエさん』に比べれば中くらいなり年の春といったところだが、満14年続いて今や15年目というのは、普通のテレビ番組の常識でいえばやはり驚異的な長寿番組であろう。
 さてこの人が“まる子だった”頃は、昭和40年代の後半から終わりにかけてである。作者は昭和40(1965)年生まれで、まる子が小学3年生のときには60年生まれの私はすでに中学生になっていた。しかしテレビで見る『ちびまる子ちゃん』の世界は、かたや静岡、かたや兵庫という場所の違いはあるとはいえ、私が感覚として記憶する小学生時代とほとんど同じである。

(集英社 1997年11月第5刷)

 ▲今回の『環球時報』『人民日報』の捏造日本報道に関する批判は、中国国外の反体制中国語メディアでは鄭若思氏によるもともとの暴露文を除き、ほぼ皆無である。たとえば『多維網』『大紀元』などである。中国共産党の嘘を暴くことには熱心な“民主派”は、彼らの正義でもある反日に関しては、嘘をついてもかまわないらしい。こんなことをする人間の唱える“民主”や“自由”や、まして“法治”など到底信用できないと、あらためて失望した。
 あらためて失望したというのは、日本が中国を侵略しなければ国民政府が共産党を消滅させていたはずであり、そうすれば共産党が政権を握ることはなかったはずであり、そうすれば今日の中国の独裁、圧政、人権蹂躙、貧困、ついでに自分たちの亡命生活はなかったはずである、だからすべて日本のせいであるという、馬鹿げた“論理”で日本を憎悪する彼ら(少なくともそう考えている一部)には、もとから失望していたからである。国民政府が共産党と同じことをしなかったという証拠はどこにあるのか。台湾を見よ。2月28日はもうすぐだ。
 「風が吹けば桶屋が儲かる」が論理なら、チョウチョトンボも鳥のうちである。これまた阿呆らしくてやっておられぬ。

澤田隆治 『上方芸能列伝』 

2005年02月03日 | その他
 この人が1980年代の第一次漫才ブームの仕掛け人であることは知っていたが、『てなもんや三度笠』のディレクターだったとは知らなかった。
 この中で取り上げられるのは、主なところだけで横山エンタツ、花菱アチャコ、中田ダイマル・ラケット、ミヤコ喋々、南都雄二、都家文雄、人生幸朗・生恵幸子、高田浩吉、暁伸・ミスハワイ、ルーキー新一、正司敏江・玲児、曽我迺家五郎八、横山やすし・西川きよし、そして吉本興業会長・林正之助。
 富士正晴『桂春団治』(2002年3月31日欄)とこの本で、粗々ながら明治から昭和までの上方芸能通史になりそうである。両者に欠けている上方落語の昭和史、とくに戦後部分は、未読だが桂米朝師匠の自伝(『桂米朝 私の履歴書』 日本経済新聞社、2002年4月)をもってくれば、埋まるのでは。

(文藝春秋 1996年8月第2刷)

中村修二 『負けてたまるか!青色発光ダイオード開発者の言い分』 

2005年01月16日 | その他
 第7章の「いわゆる『中村裁判』について」によれば、背景となる事実経過は以下のとおりらしい。  
 1999年末、カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授となって日亜化学を退職した著者に、著者がそれまで働いていた企業である日亜化学が、「会社で知り得た秘密を漏らさない」という内容の機密保持契約書にサインすることを求めてきた。著者は、「研究に関する契約はすべて大学の弁護士を通じて行わなければならないことになっている」として、それを拒否した。すると日亜化学は2000年12月、米国において著者を「トレードシークレット違反」で訴えた。裁判の手続きや準備に膨大な時間を取られて研究活動ができなくなった著者は、逆に日本において日亜化学を青色LSD(発光ダイオード)および青紫色LD(レーザーダイオード)の特許侵害で訴えた。

(朝日新聞社 2004年3月)