書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

栗林慧 『改訂新版 栗林慧全仕事』

2017年03月30日 | その他
 出版社による紹介

 立花隆氏の『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊』(文藝春秋 2007年1月)でつとに教えられていた本。読まないうちに改訂新版が出ていたので急ぎ手に取った次第。

(学研出版 2016年12月)

徳島市男性の「曜変茶碗」 化学顔料ほぼ検出されず【徳島ニュース】- 徳島新聞社

2017年03月01日 | その他
 http://www.topics.or.jp/localNews/news/2017/02/2017_14882573150769.html

 かたちは「各論並記」だが・・・。

 1.「魚島教授は『どの色にX線を照射しても、ほぼ同じ成分が検出され、使われた釉(ゆう)薬(やく)は1種類とみられる。この結果が出たことで偽物とは断定できなくなった』と話した。 分析を依頼した橋本さんは『科学的な根拠が持てて納得できた』と言っている」

 2.「一方、陶器は化学顔料が使われた模倣品だと主張していた曜変天目研究家の陶芸家・長江惣吉さん(54)=愛知県瀬戸市=は、今回の分析結果について『これだけでは真贋は分からない。正確な分析に欠かせない器の洗浄が行われておらず、分析方法に疑念も残る』と話した」  

 模倣品である=贋物だだと主張していた論拠が崩れた、つまり自論を証明できなかったということで、此方の負けである。「真贋はわからない」という言葉はまさにそのとおりで、「贋物ではない」ということを意味する。

 3.「沖縄県立芸術大の森達也教授(中国陶磁考古学)は『南宋時代(12~13世紀)の中国・福建省で作られた陶器の成分と比較するなど、総合的な検証が必要。今回の調査で本物とは判断できない』と話した」  

 判断できない=論争の決着はつかないということで、議論は振り出しに戻るという意見である。だが「真贋」とは二分法の概念なので、「贋でなければ真」ということになる。ゆえに論理上は立証責任のある側が立証に盛行しなかったことで「真贋はわからない」のに、現実には本物だとする立場のほうが分が良くなってしまう結果となる。

 いったん議論を仕切り直すというなら、こんどは、後世(18世紀以降)の模倣品である/ないに加えて、それ以前の模倣品である/ないという論点、さらにはそもそも天目である/ないという論点も足したうえで、やりなおすべきではないか。

漢典 「欠佳」項

2016年09月25日 | その他
 http://zdic.net http://www.zdic.net/c/0/160/359984.htm
 
 「欠佳」とは「あまりよくない」という意味のことば。私は個人的には漢語を品詞に分類するのはあまり意味がないと思っているが、この言葉は品詞分類はされていない。単語か熟語かどうかの説明もない。それはさておき、文言文の例文が一つもない。『國語辭典』の方にある唯一の例文「他因態度欠佳而被父親責罵」は白話文である。新語か。出典の指示がないから文脈その他を閲しようがない。そんな必要もないほど、日常多用される表現ということなのかもしれない。
 「佳」という字は、文言文の、それもわりあい古い時代から抽象的な意味あいを持ったことばであるように見えるところが、興味深い。『楚辞』「大招」、「姱修滂浩,麗以佳只。



伊東乾 「日本を蝕み始めた『試験で安易にAを取る』症候群」

2015年11月23日 | その他
 副題「中韓にノーベル賞が取れない理由~実験を避ける悪しき風潮」
 『JBpress』2015.11.20(金)発表。

 このなかで伊東氏に指摘されたような人たちがやがて教師や教官になったら、教えられる学生は災難だろう。ただ、そういう教師や教官は、むかしからいたとも思う。最初から決まっている結論をただ押しつける教師、信奉する思想や信条を例だけ入れ替えて再確認するのを研究だと思っている学者など。ドグマ(あるいはこれも専門図式と呼ぶべきものかどうか)が変わっただけで、そういう心性の人はかえって増えているということなのか。個人的には固く敬遠する。

"Reckon" Definition by Merriam-Webster

2015年05月16日 | その他
 http://www.merriam-webster.com/dictionary/reckon

 英語ではラテン語のratioをreckoningと訳す。あとaccount, reason, judgement, considerationほか
 定義内容の要約。「数を数える」から「系統だって思考する」という意味が生まれ、さらに、思考とはもともとそういうものという理解の上に、単純な「(あることを)考える」という意味へと拡大。

「天網恢々」という語の意味小考

2014年10月01日 | その他
 いまこちらこちらでざっと出典をしらべてみた。初出は『老子』で、天の道はこの世のすべてを包み込んで漏らすことがないというほどの意味である。ついで『晋書』『新唐書』に見える。そこにおいては、皇帝(国家)の支配はあまねく行き渡ってその力の及ばぬ所はないという意味になっている。
 今日よく使われる「悪は必ず滅びる」の正義の天という意味は、それよりはるか後世の明清代、それも白話文にならないと出て来ない。
 つまり、そもそもの『老子』は別として、その以後の文言文における「天網恢々」は、権力側から見た支配貫徹の謂であり、白話文におけるそれは、被支配の側から見る社会的不公平もしくは不公正への抗議の謂となっている。意味が異なっている。

田辺夏子/三宅花圃 『一葉の憶ひ出〈新修版〉』

2014年06月25日 | その他
 二人の描く一葉像があまりにもかけ離れている。「解説」で松坂俊夫氏も指摘しておられるが、それを待つまでもないほどだ。田辺一葉はお淑やか、内向的で無口、人の悪口を決して言わぬ。三宅一葉はまさに正反対。才はたしかにある、だがそれを衆目のあるところでわざとひけらかす、貧乏のせいで僻み根性が強い、底意地が悪く、「人をハメて笑つてゐる」。一言でいって、嫌な女である。松坂俊夫氏は、三宅一葉のほうが実像に近いというのが最近の研究の主流だと仰る。彼女の日記を虚心に読んでも、あまり良い性格とは思えない。だが却って、一葉の面白さはそういった人格の複雑さにあるのではないかとも思う。個人的にはつきあうどころか関わり合いにすらなりたくすらないが。

(日本図書センター 1984年9月)

小島一念 「日本新聞に於ける正岡子規君」

2014年06月08日 | その他
 『子規全集』別巻二「回想の子規」(講談社 1975年9月)同書199-223頁所収。

 文中、子規が「口癖のやうに」、「野心のない人間ほど始末の悪いものはない」と「友人門人を刺撃して居つた」という証言をおもしろく思った(223頁)。
 これは西郷の「命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」(『南洲翁遺訓』)と似て、而して文脈からして意味は全然正反対のものである。一念は子規のこの言葉をもって「君が人格の一面を見るの参考に資する事が出来るであろう」と付言している。そうかもしれない。それもやや意外なる一面。