goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

年頭雑感(「コミュニケーション力」とは・・・)

2015年01月02日 | 思考の断片
 「コミュニケーション力」とは、日本語本来のやまとことばに直せば「口八丁手八丁」ではないか。
 『広辞苑』には、「口八丁手八丁」は、「することもしゃべることも達者なこと」と定義してある。本来悪い意味ではない。ところが日本語には「巧言令色」という漢字熟語の同意語があって、その「鮮矣仁(すくなし仁)」のニュアンスが、逆に「口八丁―」の意味に影響していると思える。
 それに関連して思うのは、こんにちの中国語の”方言”である。それらは元来漢語とは別系統の言語である。だがそれらの諸非漢語が、表意文字としての漢字を受容する過程で、漢語の持っていた漢字とそれによって形作られた熟語(つまり概念と表現)をも受け入れていった。そして漢字熟語(漢語の語彙と表現)が、原語の同意語・表現と並立し、あるいは取って代わった(このことは漢字を自分たちの言葉にある発音――その音の本来の意味は関わりなく――を当てて読んだために、それらが本来は借用語であると認識しづらくなっているが)。その結果、借用語の意味とニュアンスが、原語の対応語に影響を与えているのではないか。もしそうであれば、情況は日本語における「口八丁手八丁」「巧言令色」にまつわるそれと同様ではないかと、その相似に思いをはせているところである。
 しかし日本語の場合、こんどは「コミュニケーション力」という新たな借用語(?)の同意語によって、「口八丁手八丁」は、こんどは肯定的なニュアンスを与えられるかもしれない。

ウィキペディア「中国語」から

2014年12月26日 | 思考の断片
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

 諸方言は中国祖語をもとに、タイ諸語などの南方諸語やモンゴル語、満洲語など北のアルタイ諸語の発音、語彙、文法など特徴を取り込みながら分化したと考えられている。その特徴として、声調を持ち、孤立語で、@BlogJoseph 承前)単音節言語であることが挙げられる〔略〕が、現代北方語(普通話を含む)は元代以降、かなりの程度アルタイ化したため必ずしも孤立語的、単音節的ではない。 (「方言」条)

 この立場の代表的なものの一つが、主として字音の変遷からするものではあるが、藤堂明保『中国語音韻論』(光世館 1980年5月)である。例えばこんにち広東語において修飾語が被修飾語の後に来る現象を、唐・宋代以降、北方から漢人の入植が進んだ広東省地方において、漢語が同地方の原住民である壮族の言語の影響を受けた結果としている(同書151頁)。
 しかし橋本萬太郎氏になると見方が逆転し、いま挙げた広東語などは、もとは漢語の方言などではなく、壮族が漢語を習得する過程で自身の言語特有の発音や語彙表現を漢語に覆い被せたものということになる(橋本萬太郎編『民族の世界史』5「漢民族と中国社会」山川出版社 1983年12月、「第Ⅱ章 ことばと民族」、とくに144頁)。
 岡田英弘氏に至るとこの論点はさらに徹底し、漢語は「実は多くの言語の集合体であって、その上に(話者の言語とその発音によってどのようにも読める表意文字であるところの)漢字の使用が蔽いかぶさっているにすぎ」ず、さらにそのもとを辿ればピジン言語で、異なる言語話者間における「文字通信専用の」、完全な人工言語であるとする(同書「第Ⅰ章 東アジア大陸における民族」77-78頁)。これがいわゆる「雅言」であり、「(もとはタイ系であったと思われる)夏人の言語をベースにして、多くの言語、狄や戎のアルタイ系、チベット・ビルマ系の言語が影響して成立した古代都市の共通語、マーケット・ランゲージの特徴を残したものと考えられる」(78頁)。つまり漢語祖語などというものは存在しないという主張である。
 漢語音韻学では漢字の字音を上古音(中古音以前、『詩経』が中心)・中古音(南北朝時代後期~宋初まで)・近世音(宋~清代)・現代音と時代分けする。
 これらの劃期は、現代音を除きすべて、北方からの大規模な民族移動の時期と重なっている。
 この一致について、前出藤堂著ではとくに言及はない。氏の行き方はもっぱら漢語の音韻の時系列的また空間的な変遷を跡づけるものである。これに関して言葉をうらがえして言えば、「なぜ、そしてそう変化したのか」についての説明はあまりされないということでもある。一方の橋本・岡田説は、この「なぜ」「どう」に関する説明を積極的に行おうとするところに藤堂説と対照的であるといえよう。

 第一、周そのものが、西北からの侵入者であり (『民族の世界史』5「漢民族と中国社会」、橋本萬太郎/鈴木秀夫「序章 漢字文化圏の形成」同書32頁)

 この結果、夏人と同じく南方系であったらしく、従って修飾語が被修飾語の後に来ていた殷人の書記言語(甲骨文)は、周代になるとその位置が逆転(アルタイ化)する。「帝嚳」が「武王」となったように。

 帝嚳を、”帝であるところの嚳”である、と同格構造にみなしたがるのは、漢民族の言語の構造が「漢」代の言語の構文の原理によってすべて一貫していて、それ以外の民族の言語要素はいっさいみとめられないとするところの、『漢民族一枚岩史観』の偏見によるものであることは、もはや、多言を要さないであろう。 (橋本萬太郎「第Ⅱ章 ことばと民族」同書116-117頁)

“思考の原理”というもの

2014年04月08日 | 思考の断片
 論理学で、正しい思考をするために従わなければならない基本法則。通常は同一原理・矛盾原理・排中原理・充足理由の原理の四つをさす。 (デジタル大辞泉「思考の原理」)

 だがオグデン/リチャーズ『意味の意味』では同一原理・矛盾原理・排中原理の三つのみであり、「このほかに選言原理と充足理由の原理を加えて五つにすることもある」と注記が入る(同書37頁)。いずれにせよ、「従うべき」ものであって、「現に皆が従っている」ものではない。
 さらにいえばこの“思考”も“論理”も、西洋のそれであって、人類普遍のものである証拠はどこにもない。

康有為「上摂政王書」読感

2014年03月08日 | 思考の断片
 丹念に読んでみたが、語彙と表現の出典の基準が滅茶苦茶である。上は春秋戦国時代から下は同時代、横は諸子百家から経書を経て所謂当時の時文に至る。日本語漢語(「理由」)まである。文体として統一がとれていない。深文言と浅文言の語彙表現の線引きは例外はあるが、だいたい秦と前漢の間で引くから、この康の文章は両方に跨がっているということになる。韓愈・柳宗元また欧陽脩以後の古文といえないこともないが、少なくとも清代の桐城派の「古文辞類纂」の基準からは外れている(時文や日本語からボキャブラリーを借りている)から、当時の主流的な観点からいえば古文とも呼べまい。破格の文章である。だがその代わり達意と叙述の妙を得た。
 ちなみに曾国藩は桐城派と言われることがあるが、康についていまここに述べたのと同じ理由でそうとはいえないだろう。もっとも彼を別に一派を立てた人とみる向きもある。

康有為は『大同書』を何語で書いたか

2014年02月18日 | 思考の断片
 漢文(文言文)ではない。なぜならこの著には語彙に当時の(近代の)それが混じる(参考)。時事を論じる以上それは避けられなかったにせよ、このことだけを問題にすれば文言文ではなく書面語ということになる。だが基本的な語彙表現と文法は(つまりベースとなっている文体は)、浅文言ながら却て深文言に近い。ではこれは何語というべきか。

礼、proprieties(manners)、etiquette

2014年02月17日 | 思考の断片
  滋賀秀三『中国法制史論叢 法典と刑罰』に、「ヨーロッパの言葉のうちに、礼のもつ重みと豊かさを一語で再現するに足る適当な訳語を見出すことは困難であるとされている」とあって(「序章」同書8頁)、付言して英語ではpropriety, the rules of proper conductと訳されるとある。後者は翻訳というより説明だから別として、前者propriety(あるいはproprieties)は、the conventional standards of proper behaviorということだから、適訳ではないか。さらにいえばproprietiesはmannersと同義語である。つまりmannersでもよろしいということである。
 だがetiquetteならさらに適訳であろう。"The Amy Vanderbilt Complete Book of Etiquette"の目次をみれば、その包含する範囲の広さに驚くとともに、その範囲が礼のそれに極めて類似していることに気がつく。私の所持しているのは著者の死後、時代と社会の趨勢にあわせて改編編集された1978年度版だが、著者生前に出た1957年度版がこちらにある。'contents'項を参照されたい。
 礼と後二者の違いは、後者が時代によって変わることが(抵抗はあるものの)当然とされているのに対し、前者は古代に聖人によって「天地の秩序にのっとって先王が定めたもの」であり、万古不変の存在と看做されている点である。

  Etiquette (/ˈɛtɨkɛt/ or /ˈɛtɨkɪt/, French: [e.ti.kɛt]) is a code of behavior that delineates expectations for social behavior according to contemporary conventional norms within a society, social class, or group. (Wikipedia, "Etiquette" 太字は引用者)

文天祥「正気歌」を読んで藤田東湖、吉田松陰、広瀬武夫の同名の詩に至る

2014年01月09日 | 思考の断片
 文天祥「正気歌」

 上掲文天祥の原作を読み返してみれば、その「正気」とは、冨谷至先生も『中国義士伝』で注意されるように『孟子』の云うところの昔ながらの「浩然の気」である。そして私が見るところ、その序文は朱子学流の理気の気に対する正しき気(浩然の気)の勝利を宣するものとして解釈できまいか。

 藤田東湖「正気歌」

 文天祥に倣った藤田東湖の「正気歌」は、気の理解が孟子風の“こと”ではなく朱子学の“もの”にやや傾きすぎかという気がしないでもない。もっとも文天祥のオリジナルにもその気味は多少ある(とくに最初の四句「天地有正氣、雜然賦流形。下則為河嶽、上則為日星」の処がそう思える)。

 吉田松陰「正気歌」

 吉田松陰の「正気歌」は、冒頭句を「天地に正気有り」ではなく原典たる『孟子』通りに「天地に正気塞つ」としている所で明確に意思表示されていると思うし、内容がもの(物質)ではなくこと(人の行為)を謳っているので、気の指す所はまさに浩然の気そのままという印象を受ける。

 広瀬武夫「正気歌」

 広瀬武夫の「正気歌」になると、正気は浩然の気でもなくはた理気の気でもなく、日本的に翻訳された「正義」、本文中でも使われているが「日本魂(大和魂)」、もしくは単に「根性」の同意語かとすら。

 以上、おおざっぱな感想として。

北山茂夫 『平安京』を読みながら

2013年11月27日 | 思考の断片
 同書で紹介される『日本後紀』卷14、大同元年(806)閏六月己巳【壬戌朔八】条の、山陽観察使藤原園人の議論が、当時の「公」と「私」の概念を考えるうえで非常に興味深い。話の都合上、同書にはない原文を掲げてから北山氏の訓読を引く。

  今山陽道觀察使參議正四位下守皇太弟傅藤原朝臣園人言。山海之利。公私可共。而勢家專點。絶百姓活。愚吏阿容。不敢諌正。頑民之亡。莫過此甚 (下線は引用者)

  「山海の利は公私倶にすべし。しかるに勢家もっぱら点して、百姓の活を絶ち、愚吏阿容して敢えて諫止せず、頑民の亡この甚しきに過ぐるなし」 (「平城上皇の変」 同書107頁)

 ここで言う「勢家」とは、地方(この場合山陽道)の有力者である。彼らは、「公私倶にすべ」き「山海の利」をもっぱら点して(自分だけのものにして)、「百姓」(律令制下の一般農民)を困窮させる「頑民」だと、園人は論じる。この「倶にすべ」き「公私」の「公」が、朝廷であることは言うまでもない。そしてもう一方の「私」は、「百姓」である。ということはつまり、「百姓の活を絶」っている彼ら「頑民」は、公でも私でもない、そのような存在として認識されていることになる。その彼らを「阿容して敢えて諫止せ」ざる「愚吏」もまた同様にである。
 それとも、公私が共にすべき山海の利を「私」だけが専らにしているがゆえに、そのような在るべきでない「私」として「勢家」は「頑民」であると非難されているのであろうか。

(中公文庫 1973年11月)