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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

伊藤整責任編集 『日本の名著』 44  「幸徳秋水」

2011年02月24日 | 社会科学
 神崎清訳および解説(「反戦・平和の原点 幸徳秋水」本書7-80頁)。
 飛鳥井雅道氏が『幸徳秋水 直接行動論の源流』の「はじめに」で言う、「日露戦争までの幸徳はプラスだが、その後は『心情的にエラク、方法はまちがった』という評価」、日本の近代史でもロシアの革命運動でもアナーキズムはマルクス主義と相反・対立する敵なので立場上アナーキストを誉められないマルキストが行う幸徳秋水研究に見られる「及び腰」とは、例えばこれかな。違うかな。それとも「冤罪だ、無罪だ」と度を超して言いつのるほうかな。とにかく近代日本における天皇制は問答無用に悪らしいが。

(中央公論社 1970年9月初版 1979年5月第4版)

福澤諭吉 『世界國盡』

2010年12月28日 | 社会科学
 〈http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898728/303

 この万国案内のなかで、福澤は清(中国)を「未開・半開」の国々の範疇に入れている。「蛮野(野蛮)」ではない。平山洋氏の『福沢諭吉の真実』(→2004年12月14日欄)に触発されてこの著を読んだとき(2005年3月)、日清戦争時の福澤の有名な論説「日清の戦争は文野の戦争なり」は、すくなくともこの題は本人のものではあるまいと直感的に思った。福澤はきわめて論理的な性格で、自分の学問的信条ないし倫理的信念の表現に関し気分によってみだりなことをいったりしたりする人間ではないからである。ちなみに上述平山著ではこの論説は石河幹明の書いたものだと結論づけられている(『福沢諭吉の真実』105頁)。

(福澤諭吉編 『福沢全集』巻2、東京:時事新報社,明31、近代デジタルライブラリー)

松里公孝編 『講座 スラブ・ユーラシア学』 3 「ユーラシア――帝国の大陸」

2010年02月16日 | 社会科学
 北海道大学スラブ研究センター監修。
 「第一部 帝国論」の「第一章 境界地域から世界帝国へ ブリテン、ロシア、清」(松里公孝執筆)は、題名のとおり、三大帝国の性質を比較対照した論考だが、専攻研究が手際よく紹介されていて便利である。とくにロシアと清についてはそのユーラシア国家としての視点からするアプローチが現状でどこまで来ているか、非常に分かりやすい俯瞰がなされている。

(講談社 2008年3月)

小長谷有紀/シンジルト/中尾正義編 『中国の環境政策 生態移民』

2009年07月15日 | 社会科学
 副題「緑の大地、内モンゴルの砂漠化を防げるか?」。
 歴史的に、黄河流域から長江流域へ、平野部から山岳部へと耕作地を求めて開拓の手を伸ばしてきた中国人(漢人)が、ついに中国内地を越えて現在の東北三省・内モンゴル・西北各省・台湾を目ざすようになるのは、19世紀半ば(太平天国時期)以後であるという(シンジルト「序章 中国西部辺境と『生態移民』」本書5頁)。かなり新しい現象らしい。

 以下、関心に基づく抜き書き。

 共和国成立以前の一九四七年に生まれた内モンゴル自治区は、中国は諸少数民族を国家に統合する過程で、民族統合のモデルとして起用されてきた。同様に現在進行中の国民統合の過程においても、内モンゴルは少数民族地域における国民統合のモデルとしての役割を果たすことが期待されており、その役を内モンゴル自治区政府は演じようとしている。たとえば内モンゴル自治区はその西部のアラシャ盟において、退牧還草事業を、二〇〇〇年の時点ですでに実施しており、家畜一五万頭を連れた牧畜民二〇〇〇人あまりを生態移民として賀蘭(へらん)山から転出させた〔中略〕。そして内モンゴル全体からみても、「退耕還林還草」や「退牧還草」を積極的に実行してきた。二〇〇三年に正式にスタートした「退牧還草」事業は、「一二の盟市が管轄する六五の旗県」、つまり内モンゴルのほぼ全域で展開された〔後略〕。 (シンジルト「序章 中国西部辺境と『生態移民』」 本書24頁)。

 「生態移民」を推し進める論理は、「これまで破壊されてきた森を、これからどう救済すべきか」に焦点をあてており、「だれによって、なぜ、森が破壊されたのか」については、ほとんど関心を払っていない。 (シンジルト「第10章 『生態移民』をめぐる住民の自然認識」 本書258頁)

 「もし林場や林場道路がなければスダロンの森林は依然そのまま残っているはずであり、われわれの生活も豊かなはずだった。けれども現在、森林が減ったため山崩れが発生し、降水量も減った。雨が減ったたまえ牧草も枯れている。今われわれは乾燥した木(死んだ木)を使うことにも金を払うことが義務づけられている。そういうなら、湿っていた木(生きていた木)を大量に倒した林場はなぜ責任をとらないのかとわれわれは林場の人間にも言ったが、彼らは林場は当時国の指示に従っただけだというのだ」 (シンジルト「第10章 『生態移民』をめぐる住民の自然認識」 本書258-259頁に引く、甘粛省張掖市粛南ヨゴル〔ユグル・裕固〕族自治県A村の村人の話)

 (昭和堂 2005年7月)

杉原志啓編 『坂本多加雄選集』 I 「近代日本精神史」

2009年06月02日 | 社会科学
 福地桜痴が、「自治ノ精神」とは何ぞやという問いに対し、「日本ハ日本人総持チノ日本ナリト会得スル丈ケノ事」と喝破したそうだ(明治9《1876》年10月20日「東京日日新聞」「論説」、本書31頁に引用)。著者によれば、これは福地の愛国(主義)に対する答えでもあるそうな。簡にして要を得た、そして至言である。著者が言うように、福地は御用ジャーナリストという単純な評価で片づけられる存在ではないようだ。→「福地源一郎の政治思想」(本書21-51頁)。

(藤原書店 2005年10月)

廣松渉 『生態史観と唯物史観』 

2008年06月03日 | 社会科学
 冒頭「原本はしがき」によれば、もと「現代の眼」1978年4月号から7回に分けて掲載された由。つまりいわゆる「『文明の生態史観序説』論争」がおこなわれてから(実際のところ論争など存在しなかったが。少なくとも梅棹氏と批判者の間では)、20年後に書かれたもの。
 難しくて解らず。

(講談社版 1996年7月第3刷)

畑村洋太郎 『失敗学のすすめ』

2006年10月04日 | 社会科学
 “「こうやるとまずくなる」という陰の世界の知識”(12頁)という表現は、“失敗は成功の母”の単なる言い換えに止まっていない。著者の唱える“失敗学”は失敗の事例を集積し、分析し、分類し、法則を見いだすという点、体系的な学問を志向するものである。またできれば自ら体験せよという点で、フィールドワーク的な性格も強い。

(講談社 2001年1月第四刷)

▲「Infoseek 楽天ニュース」2006年10月4日、「<漁船銃撃拿捕>解放の坂下船長会見『停船命令なかった』 (毎日新聞)」
 →http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/the_capture/story/photo02mainichiF20061004k0000m040118000c/

 備忘のためメモ。

▲「Sankei Web」2006年10月4日、「安倍首相『北の核実験、断じて許せない』」
 →http://www.sankei.co.jp/news/061004/sei000.htm

 私は「労働者の核はきれいだ」とは思っていないので、もちろん反対である。

▲「YOMIURI ONLINE」2006年10月4日、「『北が核実験なら日韓が核武装も』米下院情報委報告書」
 →http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4100/news/20061004id01.htm

 これで、“びんのふた”がもしかしたら吹っ飛ぶかもしれないわけだ。果たして中国がそんな事態を容認するだろうか。

三浦展 『下流社会 新たな階層社会の出現』

2006年02月07日 | 社会科学
 “中の下”までを“下流”に含めて大変だ大変だと囃し立てる誰の目にも瞭らかな詭弁(注)以前に、階層固定化がなぜ問題なのかを説明できていないから、議論として全く無意味である。

(光文社 2005年6月6刷)

 注。「バスに乗り遅れるな」式の扇動。もしくは「売らんかな」式の逞しき商魂。


板倉聖宣 『社会の法則と民主主義 創造的に生きるための発想法』 

2005年03月28日 | 社会科学
●「最後の奴隷制としての多数決原理」から抜き書き。

 ・基本的人権は民主主義の原理に優先する。
 ・いかなる社会の法も、自然法に反してはならない。自然法はあらゆる法に優先する。
 ・「大多数の人々が支持し賛成したことでも間違いがあるし、それに従わなくてもいいことがある」という考え方をとらないといけない。
 ・多数決では真理は決まらない。
 ・つまり、民主主義で多数決で決めたことでも間違っていることがある。
 ・多数決とは、少数派を奴隷的な状態に置く決議法である。
 ・決議をするときは、少数派を奴隷にしなければならないほどに切実なことだけ決議すべきである。
 ・民主主義の絶対性を口にする人々は、少数派を奴隷状態に置くことに心の痛みを感じない多数派的奴隷主義者である。

●「人間の法則と社会の法則」から抜き書き。

 ・社会科学と人文科学との違いの基準の一つは、そこに統計的な法則が見出されるかどうかということに置くことができる。

(仮説社 1988年6月)

▲いつもご教示をいただく方から送っていただいた、板倉氏の「間接民主主義を見直す」(『たのしい授業』 仮説社 2004年12月号)をも合わせ読む。

 ・間接民主主義(代議制)は直接民主主義よりも優れた(あるいはましな)制度である。
 ・「世の中は善意の人が多いとよくなって悪意の人が多くなると悪くなる」という考え方はまちがっている。
 ・正義や善意を基に行動することは時として恐ろしい結果となる。きちんと勉強しないで自分の正義感や善意を振りかざす人が時として一番恐ろしい結果をもたらすことになるのである。
 ・政治は心のきれいな人=素人ではなく賢い人=専門家に任せなければならない。
 ・直接民主主義制の古代ギリシアが混乱に陥って専制君主制のマケドニアの支配を受けることになってしまった原因は、直接民主主義によって政策の決定だけでなく政策の提案まで専門知識のない一般市民が行っていたことにある。「人々の直感的な判断によって政治が動くために、専門的な議論や長期的な見通しよりも、言葉たくみな人の意見に従って政策が決められていくようになって、政治は混乱してしまったのです」。
 ・善意や悪意に関係ない“社会の法則”というものが存在していることを認識するのが一般人の務めであり、その“社会の法則”が何かをよく見極めたうえでそれに則した政治を行うのが“賢い政治家”の務めである。