『大使閣下の料理人』のミン・ホアの声を坂本洋子さんにしたのは、この『海がきこえる』の武藤里伽子が大人になって、世の中の荒波にもまれて、苦労して、例えばシングルマザーになったとしたら、もしかしたらミン・ホアのようになるかもしれないと思ったから。
私はつねづね、密かにジブリの故・近藤善文さんを「大近藤」、近藤勝也さんを「小近藤」と呼んでいるのだが(ちなみにこの“大”“小”は、単に年齢差を指して言っているだけで、いかなる価値判断も含まれていないので念のため)、私は、その大近藤の監督した『耳をすませば』(1995年、脚本・絵コンテは宮崎駿さん)よりも、小近藤のこの『海がきこえる』(キャラクターデザイン・実質的な絵コンテおよびレイアウトの作成担当・作画監督)のほうが、同じティーンを描いた作品としては、好きである。
現代日本の若者像を描くには、ジブリの“総領息子”近藤善文さんの“それでもこうあるべき”正統ジブリ(宮崎駿)式の半歩理想主義の作風より、“放蕩息子”近藤勝也さんの“実際こうだから”式現実肯定写実主義のほうが、私にはしっくりくる。『千と千尋の神隠し』の公開時、ある米国人の少女が宮崎監督に向かって、「私の十歳はこんなステキな十歳じゃなかった」と、監督によれば「これで全てが報われる」と感じるほどこれ以上ない賞賛の言葉を述べたというが、私はこの『海がきこえる』に同じ言葉をたむけたく思う。私の青春はこんな素敵な青春じゃなかった。けどそれはそうしようとはしなかった自分が悪いのだけれど。
私はつねづね、密かにジブリの故・近藤善文さんを「大近藤」、近藤勝也さんを「小近藤」と呼んでいるのだが(ちなみにこの“大”“小”は、単に年齢差を指して言っているだけで、いかなる価値判断も含まれていないので念のため)、私は、その大近藤の監督した『耳をすませば』(1995年、脚本・絵コンテは宮崎駿さん)よりも、小近藤のこの『海がきこえる』(キャラクターデザイン・実質的な絵コンテおよびレイアウトの作成担当・作画監督)のほうが、同じティーンを描いた作品としては、好きである。
現代日本の若者像を描くには、ジブリの“総領息子”近藤善文さんの“それでもこうあるべき”正統ジブリ(宮崎駿)式の半歩理想主義の作風より、“放蕩息子”近藤勝也さんの“実際こうだから”式現実肯定写実主義のほうが、私にはしっくりくる。『千と千尋の神隠し』の公開時、ある米国人の少女が宮崎監督に向かって、「私の十歳はこんなステキな十歳じゃなかった」と、監督によれば「これで全てが報われる」と感じるほどこれ以上ない賞賛の言葉を述べたというが、私はこの『海がきこえる』に同じ言葉をたむけたく思う。私の青春はこんな素敵な青春じゃなかった。けどそれはそうしようとはしなかった自分が悪いのだけれど。