桂太郎が日清戦争の最中にニコポンをやっている。10年早くないか?
(小学館 2006年4月)
▲「大紀元日本」2006年3月11日、「元北京大学教授・焦国標氏が説く『日・台・韓の道』」
→http://www.epochtimes.jp/jp/2006/03/html/d45279.html
立派だが、この程度かという感もある。結局はこれもまた「先に結論ありき」の議論である。
“マルクス主義以外に社会科学の訓練を受けていない中国側学者の報告は実に顰蹙を買うものばかりだった。彼等は往々にして国家、党が与えた結論を前提に演繹法で固めるばかりである。例えば、「台湾が中国に戻ることは台湾人民にとっても最大の幸福に相異ない」と主張する。「何故、そして何処にその幸福があるのか。もっと具体的に説明してくれ」と要求すると、「必ずいいんだ。十二億の同胞がそれを保証する」と答える。正に「先に結論ありき」の論説である” (郭煥圭『台湾の行方 Whither Taiwan?』、創風社、2005年8月、59-60頁)
さらに。
“五行の「土」は五色の「赤」であるとされた。なぜ土が赤であるのか、論理はそこでゆきどまりになる。このことは公理ともいうべきもので、証明はできず、証明ができないために、ひらきなおったように絶対の真理とされ、その後、二千年以上、この理論〔引用者注・陰陽五行説〕は中国とその周辺の民族の思考力をどこかで昏(くら)くしてきた” (司馬遼太郎『項羽と劉邦』、新潮文庫、1993年7月35刷、上巻81頁)
“科学の発展はまた、より完全な論理の体系を中国人が完成できなかったことによって阻まれた。論理学を用いれば、思想を思想によって、一説を他説と体系的に対決させることによって、吟味することができたはずである。ところが中国の哲学者は、かれらの原理はすでにそれが述べられたとき自明であると考えた。かれらはギリシャ人のように、文法と修辞法とを区別せず、したがって抽象と具体、もしくは一般と特殊とを区別しなかった。中国の著作家は、均整、反対のものとの均衡、自然秩序との調和、という一般的な考えに強く頼っていた。有名な連鎖論法〔引用者注・例えば『大学』の“修身斉家治国平天下”論〕は、二十世紀の中国学者にとっては、反駁の余地ない論法ではあるが、ギリシャ人の観点からすれば、それは前提とは関係なく生まれてくるおかしな推論でしかなかった” (J.K. フェアバンク著/市古宙三訳『中国』、東京大学出版会、1979年12月第7刷、上巻83頁。→2005年7月28日欄)
(小学館 2006年4月)
▲「大紀元日本」2006年3月11日、「元北京大学教授・焦国標氏が説く『日・台・韓の道』」
→http://www.epochtimes.jp/jp/2006/03/html/d45279.html
立派だが、この程度かという感もある。結局はこれもまた「先に結論ありき」の議論である。
“マルクス主義以外に社会科学の訓練を受けていない中国側学者の報告は実に顰蹙を買うものばかりだった。彼等は往々にして国家、党が与えた結論を前提に演繹法で固めるばかりである。例えば、「台湾が中国に戻ることは台湾人民にとっても最大の幸福に相異ない」と主張する。「何故、そして何処にその幸福があるのか。もっと具体的に説明してくれ」と要求すると、「必ずいいんだ。十二億の同胞がそれを保証する」と答える。正に「先に結論ありき」の論説である” (郭煥圭『台湾の行方 Whither Taiwan?』、創風社、2005年8月、59-60頁)
さらに。
“五行の「土」は五色の「赤」であるとされた。なぜ土が赤であるのか、論理はそこでゆきどまりになる。このことは公理ともいうべきもので、証明はできず、証明ができないために、ひらきなおったように絶対の真理とされ、その後、二千年以上、この理論〔引用者注・陰陽五行説〕は中国とその周辺の民族の思考力をどこかで昏(くら)くしてきた” (司馬遼太郎『項羽と劉邦』、新潮文庫、1993年7月35刷、上巻81頁)
“科学の発展はまた、より完全な論理の体系を中国人が完成できなかったことによって阻まれた。論理学を用いれば、思想を思想によって、一説を他説と体系的に対決させることによって、吟味することができたはずである。ところが中国の哲学者は、かれらの原理はすでにそれが述べられたとき自明であると考えた。かれらはギリシャ人のように、文法と修辞法とを区別せず、したがって抽象と具体、もしくは一般と特殊とを区別しなかった。中国の著作家は、均整、反対のものとの均衡、自然秩序との調和、という一般的な考えに強く頼っていた。有名な連鎖論法〔引用者注・例えば『大学』の“修身斉家治国平天下”論〕は、二十世紀の中国学者にとっては、反駁の余地ない論法ではあるが、ギリシャ人の観点からすれば、それは前提とは関係なく生まれてくるおかしな推論でしかなかった” (J.K. フェアバンク著/市古宙三訳『中国』、東京大学出版会、1979年12月第7刷、上巻83頁。→2005年7月28日欄)