やはり公立校はお役所

2011-07-15 22:14:52 | 塾あれこれ
今日二つ目の投稿、何を今更のお話です。

公立の高校で塾に向けて学校説明会を開いて
くださいます。
それはとても有り難いことです。

昔なら塾など「敵」か「眼中にない」かでしたから
わざわざ塾のために開いて下さる時代になったのですね。

で、塾がとやかく申し上げるのも失礼な話ではある
のですが、折角、開かれるのだからと思うのですね。
これは納税者としての注文でもあります。
(貧乏人が納税者を言いたてるのはまずい?)

以下は、とある高校での印象。


一言でいうと、ヤル気がない、ように見えました。

他の学校がやっているから仕方なく同種のことをして
お茶を濁しているのですね。

これが私立ならば熱心です。(おおむね)
潰れてはいけませんからね。

お役人は、組織で決まったことはしなくてはならない。
間違いや欠陥があってはならない。
(自分たちの査定に響く)

できればイレギュラーな仕事はしたくないけれど
校長に言われればやむをえない。

けれども本心では塾などへサービスをしたくもない。
できるだけ手を抜きたい。

そこでホスピタリティーの欠如となります。

いや、小さな話なのですがね。

校門を入って案内の看板がない。
もちろん誰も立っていない。(受付時間なのに)

おかげで向かう方向を間違えてしまった。
ふつう最も目立つ所に張り紙くらいするよね。

事務室へのドアを開けると外からは見えない位置に
「受付」と紙を垂らした生徒机が一つ。
後ろに案内の方が一人。

「机に参加塾一覧があるので自分の塾のところへ
 名前を書いてください」・・書かすのかよ

書いたら入ってよろしいですか?
「土足はダメです。そこのスリッパを」

靴はどうするのですか?
「左手に開き戸の靴入れがあります
 空いた所へ入れてください」(あたりまえじゃ)

「奥のその建物の4Fが会場です」

途中にもほとんど案内はありません。

ここが会場かとメボシをつけて近づきますと
中からカラカラと戸を開けて下さった。

私たちが入って後も戸の中から見張っていて
通り過ぎなむとする塾をからめ取っておられる。

それは良いから、外の廊下で案内しなさい、ね。

会の御説明も聞くほどのことはないものでした、
私は今回初めて伺ったのですが来年は多分参りません。

多くの塾が既にそうであったらしく、今回の参加塾も
パラパラという状況でした。

私だけの感想、今年だけの様子ではないようですね。

今年は授業参観ができるというので参加したのですが
忙しいのでパスして帰って来ちゃった。
期待できそうもないもの。

なるほど伸びていない学校と言うものはこういうものか
その意味では勉強になりました。


説明会自体の感想も詳しく書かなければならないのですが
ご推測ください。


生徒の大学進学率が落ちていたのを直近の春には回復
させたそうです。

その口調が「自分たちの評価が下がるとまずいので
生徒に頑張らせた」という感じなのですね。

せっかく来てもらった生徒のために教師もなんとかする
という視線ではないようなのです。

前年度より何%伸びたからよい、では結果が出ていない
生徒が可哀そう。

「お前らが学校のいう通りにはやらんかったからだ」
が本音ですかね。

いわゆるスベリドメの私立校がそれなりに頑張っている
のに、内申点も高い高校でその結果は税の無駄遣いかも。

補習をしたりテストで追っかけたり、やらせるだけでは
駄目だろうと思います。
気持ちがこもったことをしていなくちゃ。

ホスピタリティは本来、日本文化のすぐれた処でも
あったハズですが、近頃、欠如したり変質したりして
惨憺たる有様です。

相手が「やる気あんの?」と思うようじゃ、ね。

公立校の先生は税金で雇われているので、もっとも
ホスピタリティの必要な仕事でしょうに、ねえ。

「分かる」と「分かっていない」

2011-07-15 09:42:20 | 塾あれこれ
分かっていない生徒でも分かった気にさせる
という場合があります。
反対に、一応は分かっている生徒に「実は分かってない」と
気づかせることも必要です。

この二つの間を行き来するのが塾の仕事であるべし、と
思うのですが、勿論これは私の気持ちにすぎません。

上記を否定してその反対に、分かっていない子に分かった気に
させるのは危険である、そのまま先に進めさせるわけにはいかず
分かるまで教えるべし、とか

本当に分かるってことはありえないのだから、とあるレベルで
必要に応じて一定の段階で留めておくことは悪いことではない
あえて「分かってない」というのはどうか、
などの反論もありえます。

私には自分の考えでよいと思えますが、証明されていることか
と問われると困ります。
信念ってやつですかと皮肉られても反論できませんね。

じゃ、責任がある仕事といえるのか、これも答えづらいツッコミです。


少し話の方向を違えてみますね。
先でツジツマを合わせますから。

このところ高校の数Ⅱを復習しています。
自分が高校の時のことを忘れていますから、一から勉強と
いうに等しいのですけれど。

確か高校生の時は結構苦労したハズなのですが
今、なんであんなに苦手だったのか不思議に思えます。

まあ他の英語でも国語などなど、どれも好きではなかったし
点も芳しくはありませんでした。

口の悪い同級生は「お前が教えることができるのか?」
と言いますから。
「ばかやろう、お前より俺のほうが成績は良かった」と
切り返しますが、現役当時は勉強って難しかったのに
大人になって見直すともう少し頑張れてたかもしれない
という思いがしますね。

「なんでこれが難しかったのだろう、
 先生が悪かったのでは?」
すぐ他人の所為にするから勉強がダメだったのにねえ。

人には得手不得手はあると思います。
時折ある部分に優れた能力を発揮する子がい
そうでない子を見ると内心「かなわないよね」と
可哀そうですが思ってしまいます。

それどころかある部分が反対に苦手の子もいます。
記憶に時間がかかるとか、計算ミスが多いとか
立体認識、色彩感覚、絶対音感、運動能力・・・・

自分は他の子に比べて○○が苦手だ、ということは
誰しも経験することです。

苦手には(腰が引ける)ことが多いのですが
勉強でそうなると、後あと苦労したり、場合により
取り返しがつかないことになります。

勉強でそうならせないためには、場合により
あざといほどの(成功体験)が必要でしょう。
何度も何度も。

人間って常に比較していますから、一斉授業などでは
自信を失いがちになるものです。

たとえ不得手でも、腰が引けないくらい、普通かな
と本人が思えるほどにはしておきたいですね。
(場合により、レベルを下げざるを得ないことも
 あります)

そうすれば私も数学英語国語・・もっと勉強ができた
かもしれませんね。


けれども(あざとい成功体験)だけでは危険です。

そのあたり、次回。