塾の懇談がおひと方を残すのみとなり
夏休み前の山がひとつ越えそうです。
この時期、懇談以外に高校などの塾向け説明会もあり
ナマケモノの私には、何だかんだとシンドイ季節ですね。
「懇談は塾の勝手じゃん」とお叱りをうけますか?
学校説明会は結構腰も痛くなるし、私などが行っても
学校のタシにはならないかと思います。
できれば参加を少しずつ減らしたいところです。
でも勉強になるから、と気を奮いたててはおりますが。
○
先日、とある学校でお話を伺っていますと
「本校は論理力を大切に考えている・・」
・・私は自分が書きさしだったブログを思い出しました。
本年5/24,25に短く書いていたのは
*論理的思考の導入として採用されることが多い
「自分らしく自由に考えてみよう」と始めさせる方法には
生徒に悪く作用する部分がありはしないか。
*「生徒の思考をリードしてあげる」というのも
受け身の人間をつくらないように注意しないといけない。
生徒が考え方のルートを真剣に追ってくれればよいのだが
ただ穴埋めするように対応していては、自立した思考法は
身に付きにくいのではないかと思えるのです。
~こんな悪口めいた内容でした。
その続きを書くと言いつつ、そのままだったな
悪いクセだな、と気づいたのです。
○
先の高校の話をもう少し続けます。
入試では小論文も重要な課題。
論理力を測ることができるので工夫をされています。
担当の先生
「○年は従来の形式をがらりと変えました。
塾などは、本校の小論文を分析し対策をされていたとは
思います。
申し訳ありませんが、~という意図で形式を変えて・・」
そうなんですよね。
大学入試などではよく聞きますが、
小論文も(傾向と対策)でかなり何とかなるようです。
そうなると、論理力ではなくて記憶力と練習量の勝負!
このあたりを意識されての工夫でしょう。
ご苦労されていますね。
(本当は出題形式はどうであれ論理力は見えるハズですが)
では、傾向と対策の詰メコミをしないよう仰る学校は
塾に対して何かサゼスチョンが?
「こうすれば論理力がつきます」などがあれば有り難いけど
・・明確にはなかったようです。
(私がボケて聞き逃したかもしれません)
○
この高校は、中学生に対して「日ごろから(ナゼ?)と思い
勉強しなさい」というプリントをお渡しのようです。
・・これも大切です。
が、論理の入り口、発想の深化、でしかありません。
また、その高校ではディベイトも薦めておられます。
欧米ではさかんなようですね。
日本でも一定の有効性はあるでしょう。
発想のチェック、自己の論理の修正・・など特に。
ただし、私は、その効果は限定的と考えます。
論理は、それを純粋に取り出して検討される場合は少なく
価値観とくっついて展開されるものだからです。
ディベイトでは多数の価値観、固定観念に引っ張られることも
ありそうなのです。
物の考え方=論理だけを学ぶのであれば、通常の授業で
数学は数学の、社会は社会の論理を学べます。
生徒の脳が主体的に動いていれば論理は学べますから
(低レベルでのお話合い)は不要でしょう。
有害の場合もあるのでは?と思います。
○
論理力のある人とのやり取りが生徒の力を伸ばします。
授業での質問はもちろん、小論の添削なども有効ですね。
(ただし、朱を入れ返却されたものを読むだけでは不十分)
真剣に議論し合える友人がいると力がつくこともあります。
大人相手だと対等な議論が保証されないし
よほどしっかりした人物でないと負かされそうですよね。
友人なら大丈夫です。
(喧嘩には注意しておきましょう)
○
環境が大切であることは言をまちません。
社会が論理的な方向に向かっているか。
大人が、家庭が、論理的な環境を保証出来ているか。
兄弟ともども論理に弱い子供を見ると、親にひとこと
言いたくなりますね。
塾は、営業上言えないけれど・・・はは。
夏休み前の山がひとつ越えそうです。
この時期、懇談以外に高校などの塾向け説明会もあり
ナマケモノの私には、何だかんだとシンドイ季節ですね。
「懇談は塾の勝手じゃん」とお叱りをうけますか?
学校説明会は結構腰も痛くなるし、私などが行っても
学校のタシにはならないかと思います。
できれば参加を少しずつ減らしたいところです。
でも勉強になるから、と気を奮いたててはおりますが。
○
先日、とある学校でお話を伺っていますと
「本校は論理力を大切に考えている・・」
・・私は自分が書きさしだったブログを思い出しました。
本年5/24,25に短く書いていたのは
*論理的思考の導入として採用されることが多い
「自分らしく自由に考えてみよう」と始めさせる方法には
生徒に悪く作用する部分がありはしないか。
*「生徒の思考をリードしてあげる」というのも
受け身の人間をつくらないように注意しないといけない。
生徒が考え方のルートを真剣に追ってくれればよいのだが
ただ穴埋めするように対応していては、自立した思考法は
身に付きにくいのではないかと思えるのです。
~こんな悪口めいた内容でした。
その続きを書くと言いつつ、そのままだったな
悪いクセだな、と気づいたのです。
○
先の高校の話をもう少し続けます。
入試では小論文も重要な課題。
論理力を測ることができるので工夫をされています。
担当の先生
「○年は従来の形式をがらりと変えました。
塾などは、本校の小論文を分析し対策をされていたとは
思います。
申し訳ありませんが、~という意図で形式を変えて・・」
そうなんですよね。
大学入試などではよく聞きますが、
小論文も(傾向と対策)でかなり何とかなるようです。
そうなると、論理力ではなくて記憶力と練習量の勝負!
このあたりを意識されての工夫でしょう。
ご苦労されていますね。
(本当は出題形式はどうであれ論理力は見えるハズですが)
では、傾向と対策の詰メコミをしないよう仰る学校は
塾に対して何かサゼスチョンが?
「こうすれば論理力がつきます」などがあれば有り難いけど
・・明確にはなかったようです。
(私がボケて聞き逃したかもしれません)
○
この高校は、中学生に対して「日ごろから(ナゼ?)と思い
勉強しなさい」というプリントをお渡しのようです。
・・これも大切です。
が、論理の入り口、発想の深化、でしかありません。
また、その高校ではディベイトも薦めておられます。
欧米ではさかんなようですね。
日本でも一定の有効性はあるでしょう。
発想のチェック、自己の論理の修正・・など特に。
ただし、私は、その効果は限定的と考えます。
論理は、それを純粋に取り出して検討される場合は少なく
価値観とくっついて展開されるものだからです。
ディベイトでは多数の価値観、固定観念に引っ張られることも
ありそうなのです。
物の考え方=論理だけを学ぶのであれば、通常の授業で
数学は数学の、社会は社会の論理を学べます。
生徒の脳が主体的に動いていれば論理は学べますから
(低レベルでのお話合い)は不要でしょう。
有害の場合もあるのでは?と思います。
○
論理力のある人とのやり取りが生徒の力を伸ばします。
授業での質問はもちろん、小論の添削なども有効ですね。
(ただし、朱を入れ返却されたものを読むだけでは不十分)
真剣に議論し合える友人がいると力がつくこともあります。
大人相手だと対等な議論が保証されないし
よほどしっかりした人物でないと負かされそうですよね。
友人なら大丈夫です。
(喧嘩には注意しておきましょう)
○
環境が大切であることは言をまちません。
社会が論理的な方向に向かっているか。
大人が、家庭が、論理的な環境を保証出来ているか。
兄弟ともども論理に弱い子供を見ると、親にひとこと
言いたくなりますね。
塾は、営業上言えないけれど・・・はは。