想田和弘『PEACE』

2011-07-25 16:05:23 | 塾あれこれ
都合をつけて横川での先行上映に行きました。

普通は人が多そうなところは避けるのですが
今回は監督の来広に惹かれてしまいました。
・・行ってよかったですね。

行かなければ、見なければ、分からない映画です。
また監督の考え方をじかに聞けて理解が深まりました。
(上映後、監督のトークありというのは初の経験)

トークでは想田監督も横川シネマの溝口さんも
「PEACEは一言では言えない映画」と仰っていました。

たとえば『精神』ならば「心の病の治療現場に
ドキュメンタリのカメラが入った」などと言えます。
それが、この映画は説明が難しいのです。
つまり、それほど出来が良い、ということ。

ひいきの引き倒しにならないよう慌てて以下に説明します。


表現するということは、その媒体でなければなしえないこと
を追求することです。
それが出来たら傑作。

フェルメールの絵はどうでしょう。
ひと言で言えますか?

絵を見て、それを言葉で、ルル、説明はできるでしょう。

窓辺に青い服を着た女性が立ち手紙を読んでいる、
そこへ窓から光がさしこみ辺りに柔らかく散乱し・・・

しかしそれで説明し切れているでしょうか。
絵を知らない人が言葉から絵を正しく思い浮かべる事が
できるでしょうか。

できませんよね。
絵でしか表現できないことが描いてあるからです。

見るしかない、見ればすぐに分かる、けれども
奥は深くてたどり着けない、これが名作・傑作でしょう。

傑作であればある程(見るしかない)のですね。


また、たとえば、織部の茶碗。

あえて歪ませ・・などと説明して「分かる」か?

百万言を費やすよりも、実際に見て
「え?! なんで?・・ んん~・・まてよ・・ははあ・・」
と見て次第に良さが分かるはずです。

想田監督はタルコフスキーをお好きなようです。

その彼の傑作『鏡』の世界を言葉に直せるでしょうか?
映画でなければ表現できないから今だにタルコフスキー!


『PEACE』も言葉では説明できない世界があります。
世界が広く、深く、単純でありながら微妙に揺れて複雑。

映画を撮る時、予見を排して(台本を作らず)出遭うがままに
カメラを回すのだそうです。
従って私が嫌いなヤラセの対極にある映画。

それがドキュメンタリの命です。
現実がある、それゆえ信じられる。

予め撮っておくクロースアップが少ない映画です。
(ピースの箱のように、あれば珍しい)

全ては確かに写っていますが見る人が気づかないといけません。
気づくようにはしてあるようですが、見落としもあるかも。

何度見ても新しい発見があるかもしれません。
また印象深い場面では何度見ても心打たれるに違いありません。

ネタバレはいけないので書けないのが残念ですが
人間の決定的な表情がちりばめられた映画でもあります。

(途中ですがいったんここで。後は明日)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿