言葉でまとめると、こぼれたり
きしんだりするところが出そうです。
映画として纏っている処が不思議なほどです。
(映画で)考え発信されたものを(映画で)見るから
良いのでしょうね。
たとえばネコの世界とヒトの世界を等しく並べるのは、
宗教的世界ならばありえそうですが、ぽんと置くだけでは
言葉の世界ではたぶん乱暴にすぎるでしょう。
それが気にならないのです。。。
・・映画を見て頂くしかない!
○
前作『精神』でもテーマの一つであった
人はいかに生き、そうして死んでゆくか・・
『PEACE』ではより鮮明な課題となります。
人が死ぬということはインパクトが強いことですが
その向こうに、人がどう生きたかが見え始め
人々がいまをどう生きているか、
自分はこれからどう生きるか(どう死ぬか)
こういう話を観念的でもなく、過剰に深刻にもならず
具体的な人生を撮りつづけることで表現されているのです。
より具体的には、介護の現場はどうであるか
高齢化社会の実態とは、などなど日本の社会が見えます。
トークで強調されたことの一つに、閉塞したこの社会を
どうにかするのは現場ではないか、そこからしか
ブレイクスルーはないのではないか。
(現実には、官僚が作ったシステムに窒息しそうになる
のですが、それでもなお)
全体を考え、上から改善をしようとしても何も変わらない。
数という面ではほんとうに小さな実践ではあるけれど
現場が下から地道な実践をするしかないのです。
特に311後で見えてきた方向性でしょう。
(塾も同じです。
町の片隅で自らが信じていることを実践するしか
この教育砂漠の国は変わりようがなさそうです)
○
自分は何かボランティアができるか?
いつも落ち込む話題です。
○
政治や社会に注がれた視線は、個人にも向けられます。
決して通り一遍でなく、良い処も欠点も。
強い処もその中に見える弱さも、監督が捉えます。
いつ死んでも良いと言いながら、瞬間ふと覗かせる
自信がない表情の淋しさはどうでしょう。
やはり強がりか・・
残酷なほどのカメラですが監督に写っている人への
リスペクトがあるから嫌な画面にはなりません。
それがあるから相手が心を開いたのか?
横川シネマの溝口さんが言われていた「この映画では
従来の作品より監督自身が前に出ている」という指摘
はサスガでした。
ただのヒゲのおっちゃんじゃなかったね。
「水俣」の土本監督がそうでしたね。
真摯なドキュメンタリは表現者がまるで画面の中にいる
ように出来あがるのです。
土本監督はインタビューもヤラセの一つだと言われました。
ただ、必ず自分が声だけでも画面に参加し、無責任な
作り方にはしないのだ、と。
(歩きながらのお話でしたけれど)
○
魅力的な人物でないと出来ない仕事ですね。
(カミサンも実物で監督の魅力を認識したみたいでした)
○
どうせ想田監督は読まないのだから素人が生意気を一つ。
初めの方で義父さんが客を運動公園に案内するシーンが
ありました。
二人を乗せた車が画面左に消えた次のカット。
カメラが社内にいてお客さんを捉えています。
ここはつなぎ方が感心しないな。
劇映画なら構わないけれど、運転手(義父)と二人が乗った
車をカメラ(想田監督)は見送ったわけです。
そのカメラが次の瞬間車内に飛んではマズイと思うのですよ。
たとえ実は固定カメラだったとしても矢張りよくない。
このカットはなくて公園に着いた絵に移って繋がると思うの
ですけれども、どうでしょう?
小さな話ですがね。
◎
パンフに監督のサインを貰っちゃった。
ミーハーだね。
でも出来が良いパンフで、デープな世界が対談で覗けます。
映画ファン、ドキュメファンは必携!
きしんだりするところが出そうです。
映画として纏っている処が不思議なほどです。
(映画で)考え発信されたものを(映画で)見るから
良いのでしょうね。
たとえばネコの世界とヒトの世界を等しく並べるのは、
宗教的世界ならばありえそうですが、ぽんと置くだけでは
言葉の世界ではたぶん乱暴にすぎるでしょう。
それが気にならないのです。。。
・・映画を見て頂くしかない!
○
前作『精神』でもテーマの一つであった
人はいかに生き、そうして死んでゆくか・・
『PEACE』ではより鮮明な課題となります。
人が死ぬということはインパクトが強いことですが
その向こうに、人がどう生きたかが見え始め
人々がいまをどう生きているか、
自分はこれからどう生きるか(どう死ぬか)
こういう話を観念的でもなく、過剰に深刻にもならず
具体的な人生を撮りつづけることで表現されているのです。
より具体的には、介護の現場はどうであるか
高齢化社会の実態とは、などなど日本の社会が見えます。
トークで強調されたことの一つに、閉塞したこの社会を
どうにかするのは現場ではないか、そこからしか
ブレイクスルーはないのではないか。
(現実には、官僚が作ったシステムに窒息しそうになる
のですが、それでもなお)
全体を考え、上から改善をしようとしても何も変わらない。
数という面ではほんとうに小さな実践ではあるけれど
現場が下から地道な実践をするしかないのです。
特に311後で見えてきた方向性でしょう。
(塾も同じです。
町の片隅で自らが信じていることを実践するしか
この教育砂漠の国は変わりようがなさそうです)
○
自分は何かボランティアができるか?
いつも落ち込む話題です。
○
政治や社会に注がれた視線は、個人にも向けられます。
決して通り一遍でなく、良い処も欠点も。
強い処もその中に見える弱さも、監督が捉えます。
いつ死んでも良いと言いながら、瞬間ふと覗かせる
自信がない表情の淋しさはどうでしょう。
やはり強がりか・・
残酷なほどのカメラですが監督に写っている人への
リスペクトがあるから嫌な画面にはなりません。
それがあるから相手が心を開いたのか?
横川シネマの溝口さんが言われていた「この映画では
従来の作品より監督自身が前に出ている」という指摘
はサスガでした。
ただのヒゲのおっちゃんじゃなかったね。
「水俣」の土本監督がそうでしたね。
真摯なドキュメンタリは表現者がまるで画面の中にいる
ように出来あがるのです。
土本監督はインタビューもヤラセの一つだと言われました。
ただ、必ず自分が声だけでも画面に参加し、無責任な
作り方にはしないのだ、と。
(歩きながらのお話でしたけれど)
○
魅力的な人物でないと出来ない仕事ですね。
(カミサンも実物で監督の魅力を認識したみたいでした)
○
どうせ想田監督は読まないのだから素人が生意気を一つ。
初めの方で義父さんが客を運動公園に案内するシーンが
ありました。
二人を乗せた車が画面左に消えた次のカット。
カメラが社内にいてお客さんを捉えています。
ここはつなぎ方が感心しないな。
劇映画なら構わないけれど、運転手(義父)と二人が乗った
車をカメラ(想田監督)は見送ったわけです。
そのカメラが次の瞬間車内に飛んではマズイと思うのですよ。
たとえ実は固定カメラだったとしても矢張りよくない。
このカットはなくて公園に着いた絵に移って繋がると思うの
ですけれども、どうでしょう?
小さな話ですがね。
◎
パンフに監督のサインを貰っちゃった。
ミーハーだね。
でも出来が良いパンフで、デープな世界が対談で覗けます。
映画ファン、ドキュメファンは必携!