夢(眠ってみる方の)

2010-12-20 10:47:52 | 食べる
客観的に見えていたはずの内容が、途中から自分も
登場人物になって夢に参加していたり
「ああこれは夢だから」と上の方から見ていたり
夢と言うものはヘンなものですね。

現実にはありえないことの連続があったり
怪しげなモノが登場したり、もします。

干しイチジクの甘煮を見ました。
なかなかいける。(夢での感想ですよ)
うす紫がかった茶色の仕上がりで洋酒の香り。

目覚めて思ったのですが、ジャムのようなものに
洋酒をかけるのか、干したイチジクに酒をかけた後
蒸すとかして調理を加えるのか。

いずれにしろ味は覚えている気がしますので何時か挑戦。


小豆を放っておいたので昨日はゼンザイつくりです。
前々から塩を利かせたかったのでやってみました。

干した状態の小豆が150gに対して水分は小豆のカサの
2倍くらいの高さまでに仕上がるようにしました。
砂糖が50g!(一般家庭では普通砂糖も150g程度?)
塩を多くして、小さじに山盛りで2杯

塩味のするゼンザイです。
もっと塩味にしたいのですがカミサンからストップが
かかりました。
甘みも足りないと仰ればその時は自分の分だけ蜂ミツ
か何かを加えてもらいましょう。

塩アンにするならもっと塩を利かせられそうです。


昼を私が担当するときはいつも超手抜きですが
今日は少し変わったものをやってみる予定です。
日本蕎麦でガレット。

年に一二度は多少頑張って、ね。

といっても乾麺を茹で、フライパンでカリっと焼くだけ。
玉子やチーズをとろりとさせ、その他適当にトッピング。
吉田渉子さんのレシピです。

論理的であるには

2010-12-19 14:16:40 | 塾あれこれ
日本の学力は訓練したりマル覚えに頼ることで
支えられているようです。

自分の頭で考えるということが今一つ。

自由に発想させ(手前勝手ともいいます)独創的な
世界を作り上げることは挑戦されることも多そう。

・・ですが、キチンと読みとり・考え・表現することは
どうも苦手なようです。

そこでこれからの学校ではディベートをさせようという
考えもあるようです。

ただ、現状のままディベートの形をとらせても感情的な
世界が渦巻くだけになりはしないでしょうか。

なにしろ大人の世界でも、他人の言うことに習い
世間でどう言われているか、ランキングがどうか、に
ばかり関心が向いているのですから。

・・子供も同じ。


考えるには、論理が大切です。
正しさの裏付けになるからです。

論理的であればそれだけで正しいとは言えません。
でも、論理が狂っていれば正しいとはみなせないので
どうしても必要な力になるのです。

中学の時だったか「逆は必ずしも真ではない」と習い
感動したものです。
けれどもそれから先の論理学の世界にはとても入れ
ませんでした。
難しいですよね。

論理的であるためには論理学は必ずしも必要ではない
ような気もします。(←シロート考えですが)

話はずれますが
論理で進む世界でも、例えば学者の世界では皆さんが
論理的であろうとされているハズです。

そこはでしばしば論争が起きています。
片側が正しければ反対側は間違っている衝突も多い。

ということは論理的であってもそれだけでは正しいと
言えないと云うことの証明になりますね。
論理的であるだけではダメなのです。

ただ、だから論理は不必要とは言えません。
正しさのよりどころの一つだから。


ついでに言っておきますと、論理的であるかどうかに
引っ張られすぎますとモノが見えなくなることもあり
ますから、注意が必要です。

直観も大切。
人間の感性もバカになりませんし
悪賢い奴らに言い含められることもありません。
官僚などの言うことはマユツバが多いですよね。
論理の暴力に負けないようにしなくてはなりません。


論理力を高めるためには日々の生き方が大切です。

親が論理的であろうとすれば子供へ教育できます。
反対に「どこかで勉強して来な」で論理から離れた
日常を続けていては子供に力がつくものではない!

日本人は感性が豊かだし、ギスギスした感情を避け
たがりますから、論理づくめということが難しい
のではありますが。

それにしても、普通に考えることができない。
できないのではなくてサボっているような感じ?

皆と同じことを言っていれば失敗が少ないのです。
ケンカも避けられます。
楽ですよね。
新聞が云う通り。TVで誰それが云った通り。
一種の権威付けがあるのですから。

でもね、論理的であると云うことは、まず自分自身に
向かって納得がないと成立しないことなのです。

自分が満足しない論理というものはありえません。
他人の論理の破綻に気付きやすいのは、そこに自分の
納得が存在していないからです。

新聞の言う通りしゃべっても形式的であるならばそれは
論理的ではありません。
形だけのものだから。

論拠の奥には自分自身の存在が必要なのですね。

いや、ご心配なく。
だれにでも自分はありますから、それを認識すればよい
だけの話です。

そうして日々、論理的であろうと意識し始めれば
自分と言うものが見えてきます。

難しいことを考える必要はありません。
普通に思い、淡々と考えを巡らせればよいのです。

情報や知識、目配りの広さは後からついてきます。

身の丈だけの論理性があればよいのです。
次第にレベルは上がってきます。
別にインテリが独占する特別なものではないのです。


論理的であるためにはリスクをとる必要があります。
自分で考えたことの多くには破綻もあるはずです。

「改むるに憚ることなかれ」

細かく恥をかけばよいのです。
しばしばチェックしてみればよいのです。
間違えていたら素直に直せば宜しい。

人さまを頼ることは止めましょう。
孤立を恐れてはなりません。

だって、自分で考えてたら、ある部分はウヨクになり
ある部分はサヨクになり、宗教的になったり
冷淡になったり、自分が奇妙な寄せ集め細工になる
恐れが強いからです。

逆にそういう人は自分を探している方であることが
多いでしょうね。
考えている証拠とまでは言いませんけれども。

世間の意見と自分のそれが同じ場合は要注意です。
あえて反対の意見や極論を考えてみましょう。

気に入らない人の意見も聞きましょう。
ハラたつけれどね、その人を説得論破するには
何をどう云えばよいか考えるのです。

テレビに向かってブツブツ言う自分は気持ち良い
ものではありませんが、ねえ。。。。

横須賀海軍病院

2010-12-18 18:10:59 | 塾あれこれ
10/24に佐賀純一『戦争の話を聞かせてくれませんか』について
少し書きました。

その中に梅原フミ子さんのお話があります。
大正12年生まれですから母と同世代。
看護婦をされているとき赤紙が来、
歓んで行った先が横須賀海軍病院。

そこで看護をしながらまさに地獄を見たのです。
想像を絶する世界です。

戦争はいけない、話を読みつつ強くそう思います。

先日の朝日新聞に同じ横須賀海軍病院に勤めた方
杉本初枝さんの体験が紹介されていました。

梅原さんと同じような印象を与える地獄図です。
死にゆく兵士が可哀そうですね。

ついこの間のこととも言えます。
水木しげるさんだってこう死んでしまったかもしれない。

庶民にとって戦争は突然我が身に降ってくる地獄です。
よほど気をつけていないと危ない。

売られたケンカ、なんてこともありますから
平和を唱えるだけでは危険でしょう。
けれども威勢のよい方に引っ張られるものでもあります。
気をつけておかねばなりませんし、できるだけの努力が
必要なことでもあります。

戦争がどれほど悲惨か、伝え続けねばなりません。


いつかも書いたと思いますが、私が子供のころは原爆の
後遺症に苦しむ方が今より多くおられました。

火傷の痕を見てとれる人も町でしばしば見かけました。

小中学校のころの私はそれがとても怖かった。

同じ時間に同じところを通ることを避け
遠回りしたこともしばしばです。

今思うと何というガキだったでしょう。
相手のことを思う気持ちがまったくなかったのですから。


今1月のDAYS JAPANにパキスタンの女性暴力、顔に硫酸を
かけるという恐ろしい写真と記事が載っています。

正視に耐えないものですがこれが人間のすることの極限
でもあります。

これも伝えなければなりません。
人間とはひどい生き物です。


中学のころから学校の図書館で怖い写真は見ていました。
兵隊が首を切った直後の写真とかね。

もちろん怖かったけれど、街で見かける火傷の痕のほうが
激しく訴えてきたのです。

当然のことながら、写真ではインパクトを伝えきれない
部分が大きく残ります。

それをカバーするのが、想像力や心の優しさ、同調心。

誰にもある、子供のころの美しい心。
これこそが大切にされなければなりません。
現代の一番の課題かも知れません。


自分のことも関わるのに美しい心とは恥ずかしい表現
ですが、私の場合は怖がりなだけです。
相手を思う強さがなく、自己中心の冷たさばかり。
(カミサンによくお叱りをうけます)

それはともかく、戦争や暴力ということをどう伝えるか
悩むことですね。


今日は予定を変更しました。
昨日の続きはまた別の日に。

学力は下げ止まったか

2010-12-17 17:52:27 | 塾あれこれ
しばらく前、新聞では日本の学力は順位が戻った
という報道がなされました。

三年に一度、OECDが行う学習到達度調査PISA
の結果を報じたのです。

前回、順位が思いのほか下がり大問題になったのが
今回は底を打ち「読解」は持ち直しをみせたという
ものです。

外国の機関が調べないと自分の力が分からないという
のはなんとも情けない話ではあります。
日本はいつまで経っても外国が有り難いのですね。


ま、身内を軽んじるのはウチのカミサンもそうで
私がいくら説明してもマスメディアと違うことを云うと
「それはアアタがそう思うだけでしょ。」
新聞にはこう書いてある、とかTVはこう言ったとか。
んとに信用がありません。

まあ普段の私をよく知っておられますから、ねえ。。。。

ということは、偉い方々の外国崇拝の感覚も
庶民の身内をバカにする頭と大して違わないのか?
数千年にわたる崇外信仰がしみついているのですね。


私が塾業界に入った三十年前も学力低下は憂えられて
いたようでした。
(学力とは何ぞや、はこの際置いてて下さいね)

実際、私の目の前でもそれは続き、一度たりとも反転
することはありませんでしたね。

何年も同じような事を教えていると、難易度の感覚が
狂いやすいものです。
いつのまにか、これは易しいだろうと思い始めるので
気をつけねばなりません。
「今年の子はできんねえ」

しかし、上記の学力低下はそういう類の話ではなく
条件を同じにした上でデータを取ったことです。

今年は弱いぞ、という塾内データが出ていて
入試の結果が良かったことはしばしばあります。

周りでも同じように学力が下がっていたのです。
他の塾からも似た話を聞きました。
(偏差値という相対的な数字だけを見ていては分から
ない世界もありますから塾なりにデータをとります)


私の推測にしかすぎませんが、社会状況も学力形成の
大きな要因になると思います。

世界でトップクラスの力をもった国では次第に教育が
やりづらくなり、子供が勉強しなくなります。
しなくてもなんとかなる、と思えるから。

反対に途上国はハングリーですから教育にも力が入り
子供たちもよく勉強します。
あまり貧困が過ぎると余裕がなくなりますが少し経済
が良くなってくると一生懸命勉強します。

競争は大変ですが、それなりの甲斐はありますね。

日本はこういう状況から世界のトップクラスに上って
その後次第に勉強をしなくなってきただけなのです。

ゆとり教育が評判が悪いのは事実で、問題も多そう
ではありますが、それが登場したころの課題は何かと
いうと、詰め込みばかりでは勉強しなくなった
ということでした。

学力低下の危機感が新しい教育をもたらしたのです。

ゆとり教育は理念の一部も課題を残し、何より
教育を行う側が大きな間違いをしていました。
(もうひとつ、弱者切り捨てという本音の問題と)

それらだけでなく、勉強をしないことへの対策も
上手くいっていません。
長期低落化に歯止めが一貫してかかっていないのです。

のびのびと勉強できている層もたしかに多いのですが
課題が山積し見過ごされていたのも事実ですね。


今回のPISA下げ止まりも喜べる話ではありません。

テスト対策をしたからの結果なので、当然なのです。

小手先の対策であり、学力の低下そのものへの対応は
訓練を増やしたことくらいで、根本的な対策にはなって
いないと思われます。
(下位層の厚さはどうでしょう・・)

もし、今回対策をしたのに下がっていたらそれこそ
大変だった、のです。

「ゆとり教育からの変更」にケチがつきかねません。
どうすべきか、更に分からなくなってしまったでしょう。

(明日、続けます)

ダイコンの簡単漬け物

2010-12-16 11:02:33 | 食べる
ラジオで聞いた漬物です。

NHKラジオ「歌の日曜散歩」
出かけない時はたいがい聞いています。

料理レシピが10時台前半にありますね。
あまり面白くないと思っていたのですけれども
先日は聞いているうちから面白そうだ、と。

リスナーの反応も良かったようです。

生の大根を調味液に漬けるだけの簡単料理です。

思ったよりもはるかに美味しい。
カリ・シャリっとして歯触りがバツグンによいですね。

NHKラジオのHPにレシピが載っています。
独身者でも料理下手でも自慢できる味ができます。


レシピでは大根1kgとなっていますが半分でやっています。
(正確にはカミサンにやってもらっています)

また、甘い漬物は好みませんのでレシピより砂糖を少なめ。
近い将来は砂糖ゼロでやってもらいたい。
甘みはミリンだけで十分でしょう。


煮たたせた調味液が熱いうちに大根(うちは乱切り)を
入れて冷ますだけです。
やってみると思っていたより更に簡単だとか。

どうしてこれほど簡単で美味しい調理法が今まで知られて
いなかったのか、本当に不思議です。

大根が安い間はこればかり食べそうですね。


カボチャの種。

食べられるか?

ネットで調べたら食べられそうじゃないですか。
捨てるのはもったいない。

洗って天日に干した後、炒ります。

スイカの種やヒマワリの種と同様に中国などでは
よく食べているようです。

ナッツの味がしっかりして、栄養もあるようです。
美味しいですね。
捨ててたのはバカだった。

ただ、食べる部分の量が少ない。
中身がない種もあったりしてね。

炒る時のガス代が勿体ないのとパチパチはぜるのが
大変かもしれません。
次は銀杏を炒る時のようにまずカラを割ってから
やってみようと思います。


いやあ、貧乏になるといろいろ考えますねえ。

ETV特集「ジンタは心の行進曲」

2010-12-15 10:49:27 | 塾あれこれ
いつもこれくらいのドキュメンタリーを
製作してほしいですね。
短編映画としても成り立つほどの内容でした。
TVドキュメンタリーとしてはほぼ満点かな。


ジンタといえば私などはサーカスを思い浮かべます。
明るくて、どこか哀しくて。

戦前は全国に在ったらしい少人数の吹奏楽隊ですが
太鼓、トランペット、サクス、クラリネットなど、
賑やかな音楽を奏で人々を楽しませたそうです。

私などはチンドン屋みたいに思うイメージがありますが
さすがに、そこまで言うと叱られてしまいますか。

兵士の出征の際にも盛り上げに欠かせなかったようです。

娯楽の少なかった時代、良きにつけ悪しきにつけ
当時の庶民レベルでの西洋音楽ですから今の耳で
評価するのは妥当ではないでしょうね。


それにしても『石巻市北村、大沢ジンタ』は強烈。
グチャグチャで、笑えます。

最後の農村ジンタとかテロップが流れていましたが
一番若くて70歳、年上が85歳
いつ解散になってもおかしくない(失礼)バンドです。

近隣からお声がかかるとどこへでも出張し
プカプカ・ドンドンと演奏されます。
お客さんはあまり耳を傾けてくれないようで
まあ仕方がないですかねえ。

ムセちゃうような音の外れ方をしていますから。


美しい田園風景、苦境の農業、そういうなかで
カラリと明るく、いかにも東北人らしく粘り強く
生きておられるオジイたちにいつのまにか
感情移入していました。

ドキュメンタリーには造り手だけでなく
映される側の引力で見てしまうものがありますが
何も著名なことをしていないのに、スゴイ。

人が生きると云うことはこういうことだった。。。


ナレーションが入らない、すっきりとした番組で
60分があっという間に過ぎました。

未見の方にはぜひお勧めします。

池澤夏樹

2010-12-14 10:44:50 | 塾あれこれ
ブログ画面の右上に検索スペースがあります。
ここに池澤夏樹と打ってブログ内検索をしますと
過去、3つの投稿が出てきました。

彼は信頼するに足る作家、私は彼の感性が好きです。

私は本をたくさん読む人間ではありませんから
他にもこういうレベルの人はおられるはずと思いますが
つい、おっくうになって「池澤夏樹でいいか」という
態度で生きています。

変わった方の作品をしんどい思いをして読むとか
無理やり造った難しすぎる表現に苦労するとかは
もう嫌ですね。
あとどれほど生きられるかも分からないのに。

考え方や情報は大切ですが、それを伝える日本語が
良い物でなければ


で、今の私は池澤夏樹で勉強しているわけですが
今月9日の朝日新聞に彼の文章が載っていました。

毎月一回で連載されている「終わりと始まり」

加藤周一の「夕陽妄語」より遥かに読みやすい文で
さすがに現代の作家ですね。
さらりとした日本語が好もしいのです。

今月は『死んだ子供たちのために
    閉鎖空間という地獄』
というタイトルです。

十月に群馬の小6、一月後の札幌の中2と自殺が
続いたことへの思いと、内藤朝雄『いじめの構造』
を読んでの考察。


当ブログの11/25,26の2回の投稿はこれらの自殺を
念頭に置いたものでもあったのですが、ハンパで
何を言いたいのかよく分かりませんでしたね。
(いつものことですが)

その死を深く悼み、社会を憤る文章を書くべきでした。


さすが池澤夏樹は短い文章で私の頭の中のモヤモヤを
きちんと表現されています。
書かれている内容に全面的に賛成です。

ここに全文を引用したいくらいですけれど叱られます
から長めですが以下に一部だけ。


『・・・
子供をそんなところへ追い込んではいけない。
 しかし、新聞報道を見ていても、これが実際に
どれほど重大深刻な事件であるか、それが伝わって
こない。

・・・

教育機関失格という事態だろうに、関係者のふるまい
には善後策という印象が見える。

・・・

原因は加害者の側にあるのに、その部分はなかなか表に
出てこない。加害者とは生徒だけでなく、学校も、親も
教育委員会から文科省、いや日本の社会全体まで含まれる。

・・・

(子供たちの実例を内藤朝雄が挙げた部分をうけ)
これは普通の人間関係ではない。彼らはどうして
暴走するのか?内藤は、学校の聖域性を理由として
挙げる。

・・・

学校ではすべては内部に封じ込められる。

・・・
「学校が児童生徒の全生活を囲い込んで、いわば
頭のてっぺんから爪先まで学校の色に染め上げようと
する」と内藤は言う。

ぼくは日本の学校は今も軍隊をモデルにしていると
思っている。
(同感ですねえ)

・・・

人は閉鎖空間においては正気を保つことができないのだ。

・・・

子供が信じられる言葉を日本の大人は
発することができるか?


以上、青字部分が引用です。

骨子だけですのでこれだけでは粗い論になりますが、
それでも憤りと深い哀しみが伝わるでしょう。


大人はいったいどこを向いているのか、
視線が問題です。

子供の命すら顧みないで自らの給料を得る
そんな仕事があり得るのでしょうか?


追記です。

上の文章ですと私が偉ぶっているようにも思えます。
反対で、私だって当該の学校にいれば批判されるような
情けない言動をしてしまうかもしれません。
いや多分そうなると思います。
弱いから。

だからそういう仕事につかないのです。
(就かせよと言っても向こうが断るでしょうけれど)

人を殺したくない人間は軍人にはなりません。
それと同じことです。

安保の連帯保証人

2010-12-13 10:40:24 | 塾あれこれ
日米安保。
いわば、大家がアメリカ、店子は日本です。
厳密には日本といっても、その中の勝ち組が店子。
日米同盟がなければ大変困るリッチ層です。

日本でも負け組や一般人は契約者にはなれません。
契約内容を教えてもらえないもの。
こういう人たちの役割が「連帯保証人」なのですね。

国家の条約だから国民を二つに分けるとは変、ですか?
でもそれ、少し古い発想かもしれませんよ。
国家は領土、国民、権力で成り立つというのは。


国家は、政治家・官僚・財界・マスメディアなどのもので
その他一般の国民は国家に含まれはするものの
それを下から支えるだけの構成要素です。

日本はデフレだ困った、という上層と
最近生活物資が値上がりして困る、デフレってどこが?と
いう下層と、大きく二つに分かれるのです。

前者の上層が大家と契約を結び、一定の利益を得ています。
後者は前者の下流で待ち、下って来るおこぼれを頂きます。
一番うまい汁を吸うのは大家さん。

日本だけのための日米安保ではないと云うことは
いくら強調しても構わない話です。


急いで書いておきますが、このブログですでに書いている
ように、私だって当面は日米同盟優先の国策に賛成です。

近頃は何か言うとすぐに非国民にされそうですから、ね
誤解を招かないように言っておきます。


大家さんは借り手であろうが連帯保証の一般人であろうが
自分の都合のよい方に権利を行使できます。

一般人は契約のありようすら十分に知らされませんが
アメリカのいうことならば聞かざるを得ないのです。

治外法権を認めさせられたまま何があっても言うとおり
ときおり借り手のほうが「迷惑かけてすまんかったね」と
手土産を持ってお詫びには来ます。

「そんなものはいらん、連帯保証から外してくれ」
「まあまあ、この契約がないと皆がやっていけんし
 あんたも結局、ご利益を受けているんだから・・
第一、大家がウンとは言うてくれんよ」

「こんな一方的な目に遇わされて、人間扱いじゃない」
「あとで埋め合わせはするし、我慢してよ。
 ちょっと庭先を貸してくれれば。それだけなんだから」

自分の利益がからむ店子は必死に説得しますね。
その官僚の説得にコロリと乗ったのが民主党政権。


現状、日米同盟でなくてはやっていけないのは自明です。

でもここまでにしてきたのは「勝ち組」の連中が
主に自分たちのためにやってきたことではないですか。
それで「現実主義」などを振回されてもシラケますよね。

少なくとも、国家理念を明らかにし、長期計画を造り
喫緊の課題は十分に説明責任を果しながら、改善は
続ける、こういったことをしないで、
世界は変わるもんだから、などと
子供だましをいうのは弱者をバカにしすぎです。

昨日のNHKでも、都合が悪くなると「超仲好理論」を
持ち出し「世界中が仲良くなる集団安保が理想」だとか
いつ来るんだかわからないことを得々としゃべる元官僚
がおられました。

あまりにアホらしくて、カミサン居眠りしちゃってたぞ。

今の日本、沖縄、これをどうするかって話なのに
何お気楽なこと言ってるんだ。
TV討論の時間つぶし、議論のすりかえ。


過去をきちんと振り返らないと現状分析や将来設計は
できません。

佐藤栄作などが顕著ですが国民をだます政治ばかりを
やってきてそこを放ったまま「世界は変わったから」
では説得力がありません。

まるで「根保証」をしているように、連帯保証人には
知らせず、勝手に契約内容を変えてしまうのです。

極東の安全のため、がイラク支援に拡大したように。

それでも連帯保証人は契約が生きている間は未来永劫
黙ってついてゆくしかないのです。
いったんハンコ押しちゃったからには。

日本はひどすぎるけれど、世界中で似たことがあります。
ウィキリークスに一定の賛同があるのもそれゆえでしょう。

新しい民主主義が生まれようとしているのか、
それとも衆愚政治~超右翼路線への回帰なのか。

なんだか、危なっかしいですねえ。

向島は尾道じゃない

2010-12-12 10:24:11 | 塾あれこれ
「てっぱん」に文句じゃありませんが
向島(むかいしま)は尾道ではありません。

尾道と向島は双子みたいに密接な関係がありそうですが
かといってゴッチャにしてはいけません。

ヨーロッパから見れば埼玉も東京も同じでしょうが
「東京を舞台とする」と銘打ち「草加せんべいの老舗」
が出たらまずいでしょ。

もちろん、尾道が、上から目線なるもので向島を見て
いるわけではありません。
備後国歌島というれっきとした由緒ある島を尾道と
一緒では可哀そうと言うもの。

因島だって「尾道とは違う」と思っている筈ですし
平山郁夫画伯が尾道出身ではヘンな感じですね。
瀬戸田の生んだ有名画家です。(高校の先輩)

現在は尾道市という行政区画に入っているだけで
尾道市向島とか、「広域尾道市」因島
・・・くらいが感覚に合いそうです。


瀬戸田のミカンというより尾道のミカンというほうが
他地域では売り易いのかもしれません。

でも金で家名を売り渡すみたいで矜持がありませんね。

もともとは瀬戸田のミカンといえばブランドだったのに。


私が小学生のころは尾道駅前から渡船に乗っていった
あたりにまだ入浜の塩田が残っていました。
(暫くして流下式に変わりました)

造船所以外、人家も少ない向島でしたが時折遊ぶには
絶好でした。

「向島へ行こーかあ」
「そーしょーか」

とはいえ船賃がありません。
そういうと友達が「ただじゃ」

水道を渡る間に船員が徴収にまわりますが、
右舷側を徴収しているときは左舷に回り、
左舷へ来る前に反対へ回っておけば気がつかない
のだそうで・・

え?

払わないで済みました。

でもね、船員が見逃してくれていたのでしょう。
(まった、向島へ「遠征」しよらー)って。

得意げなワルガキってかわいいもんです。

塩田のアゼを歩いてオタマジャクシを捕るのが
「冒険」だったのですから。


写真は浄土寺(じょーどーじ)
鉄道の直ぐ上にある「笠智衆が掃除していた浄土寺」の
裏山、頂上にあるほうの浄土寺です。

山頂に大きな岩があって気持ちがよろしい。

頂上の浄土寺で犬が飼われていました。
たしか名前が「バン」
可愛かったね。

連帯保証人って?

2010-12-10 18:24:33 | 塾あれこれ
連帯保証人って耳にされたことがおありですか?

先日、付き合いの深い方から「保証人として
名前だけで良いからちょっと使わせてもらえないか」
という話がありました。

会社の事務所契約更新時なのだが今まで保証人だった
方が亡くなられたので新しい人が必要なのです。

断れない方でしたので了承すると不動産屋さんから
書類が送られてきました。
自署捺印して返送するよう、メモが入っております。

書いてある以外、内容の説明は一切ありません。

契約に必要だからちょっとだけハンコをよろしく
という「軽いノリ」風ですね。


そもそも不動産屋さんとは真中で仲介をするという
仕事ではなく、貸し手の代理人のようで。
まずは大家さんの利益を守ることを考えます、たぶん。

借り手はイチゲンさん。
どんなモンスターがやってくるか分かりません。
貸し手というお得意様を守らねば、ね。

でも、どうして塾なんかより更にオヒンの悪そーな人が
多いのでしょうねえ。
塾もけっこう品が悪いですが。


送られてきたのは「連帯保証人承諾書」

これに実印を捺し印鑑証明添付で○日までに(一週間くらい)
送り返すべし、ですって。

困った。

借り手である知人もやむを得ず私にまで依頼をされています。
その方を困らせるわけにもいきませんし、かといって
ハンコを押せるものではありませんでした。

押しても実害が発生するリスクはごく小さいことでしょう。
だからちょっとカタチを整えるだけかもしれません。

ただね、何が原因でトラブルが起きるか
将来のことは誰にも予想がつきません。
起こしたくて「事件」になるものではなく
思わぬときに降ってわくものでしょう。

「ぜったい大丈夫だから」の外でおきる事態なのです。


そのときに、どんな状況になっても、連帯保証人を取って
いれば貸し手側は万全です。

ムシのよい「契約形態」です。
それを押し付けることが気に入りません。
お年寄りならば気軽にハンコを押しかねないヤリクチです。

申し訳ないことながらお断りしました。

これで人間関係にキレツが生まれたでしょう。

知人にも悪気がなく、大家も利益確保のため必死でしょう。
(近頃はひどい借り手もいますから)
それは分かるのですが、こんな危険な「契約」を野放しに
している社会自体が信じられませんね。

「連帯保証」は絶対にするなと言われています。

では、そんなに怖いことがなぜ合法のままなのでしょう。
早急に法律を整備し禁止すべきことなのですが
大家や不動産屋の立場を応援し、禁止をしなかったのが
自民党政権、支えた公明党にも責任があります。

現政権だって取り組みを放っているようですから同罪。

多くの日本人も暗黙に見逃している面があります。
なんという国でしょうか。
弱者をひっかけて平気なのです。

自己責任をいうのならば、社会の仕組みはきちんとして
おかねばならないのに、ね。


どんなものが送られてきたか、簡単にご説明しましょう。

貸主の名前と借主の名前
一か月家賃額
それに連帯保証の内容
以上だけが書いてあります。
了解してハンコを押して差し出せ、ですと。

これ以上の内容、連帯保証すべき元の契約は不明です。
大家の住所すら分かりません。

連帯保証人は借主の債務があるかぎりそれを返済する
義務があるというのに契約の履行状態、その他も
いっさい分かりません。
言われるままにお支払いしなければならないのです。

裁判になっても勝てません。

支払うべき債務がある間は連帯保証を辞めるとは言えません。
つまり借り手の会社が存続して該当物件を契約し続ける間、
未来永劫、連帯責任から逃れられないのです。

私個人の問題では済まなくなります。

連帯保証人の変更も、大家や代理人がOKと言わない限り
認められません。

強烈なのが連帯保証人には「催告の抗弁権」がなく
「検索の抗弁権」もないということです。

あっちに先に請求してよ、とか
支払えるハズだから調べれば、とは言えないのです。
大家側は、借主へ請求しようが保証人に請求しようが自由で
自分の都合の良い方に請求できます。
契約内容も履行状況も分からない保証人が言われるままに
払わなければならないなんて、んなバカな。

借主が担保を入れている場合でも、そちらを優先してくれ
とは言えないのです。
何のための担保なのでしょう。

このように貸し手にはとても有力な武器であり
借り手にも、借りると云う利益があるのですが
保証人には、何にもない!
やらずぶったくり。

年取ってから、裁判起こされたり不要な請求が来たら
どうしますか・・


私が人情に負けてハンコを押せば、私に実害がなくても
他の人のひどいケースを引き起こす土壌作りに加担する
ことになります。

ヤクザが日本の表社会から消えない理由と同じことですね。

まーまーちょっとのことだから、そー固いことは言わず・・
困ってるんだ、助けてよ!ねえ。

断ると「逆ギレ」されちゃう

なんていう国に住んでいるのだろう・・