横須賀海軍病院

2010-12-18 18:10:59 | 塾あれこれ
10/24に佐賀純一『戦争の話を聞かせてくれませんか』について
少し書きました。

その中に梅原フミ子さんのお話があります。
大正12年生まれですから母と同世代。
看護婦をされているとき赤紙が来、
歓んで行った先が横須賀海軍病院。

そこで看護をしながらまさに地獄を見たのです。
想像を絶する世界です。

戦争はいけない、話を読みつつ強くそう思います。

先日の朝日新聞に同じ横須賀海軍病院に勤めた方
杉本初枝さんの体験が紹介されていました。

梅原さんと同じような印象を与える地獄図です。
死にゆく兵士が可哀そうですね。

ついこの間のこととも言えます。
水木しげるさんだってこう死んでしまったかもしれない。

庶民にとって戦争は突然我が身に降ってくる地獄です。
よほど気をつけていないと危ない。

売られたケンカ、なんてこともありますから
平和を唱えるだけでは危険でしょう。
けれども威勢のよい方に引っ張られるものでもあります。
気をつけておかねばなりませんし、できるだけの努力が
必要なことでもあります。

戦争がどれほど悲惨か、伝え続けねばなりません。


いつかも書いたと思いますが、私が子供のころは原爆の
後遺症に苦しむ方が今より多くおられました。

火傷の痕を見てとれる人も町でしばしば見かけました。

小中学校のころの私はそれがとても怖かった。

同じ時間に同じところを通ることを避け
遠回りしたこともしばしばです。

今思うと何というガキだったでしょう。
相手のことを思う気持ちがまったくなかったのですから。


今1月のDAYS JAPANにパキスタンの女性暴力、顔に硫酸を
かけるという恐ろしい写真と記事が載っています。

正視に耐えないものですがこれが人間のすることの極限
でもあります。

これも伝えなければなりません。
人間とはひどい生き物です。


中学のころから学校の図書館で怖い写真は見ていました。
兵隊が首を切った直後の写真とかね。

もちろん怖かったけれど、街で見かける火傷の痕のほうが
激しく訴えてきたのです。

当然のことながら、写真ではインパクトを伝えきれない
部分が大きく残ります。

それをカバーするのが、想像力や心の優しさ、同調心。

誰にもある、子供のころの美しい心。
これこそが大切にされなければなりません。
現代の一番の課題かも知れません。


自分のことも関わるのに美しい心とは恥ずかしい表現
ですが、私の場合は怖がりなだけです。
相手を思う強さがなく、自己中心の冷たさばかり。
(カミサンによくお叱りをうけます)

それはともかく、戦争や暴力ということをどう伝えるか
悩むことですね。


今日は予定を変更しました。
昨日の続きはまた別の日に。