青池寛一さん、どのような方か存じません。
マル3年前の12月、母が急死し遺品の整理を
していたところ10頁ほどのコピーが出てきました。
それが上記の青池寛一『シベリア抑留記』です。
想像するに、デイケアか、老人クラブの知人の中に
シベリア抑留をされた方がおられたのでしょう。
或時にスケッチを御持ちと聞き、それをコピーさせて
もらったのではないでしょうか。
ご覧のように簡単な線画と薄い彩色です。
かえって当時の空気が伝わるような気がします。
父も長生をできていれば何か語ったでしょうか。
◎
家族だからあえて言いますがトンデモナイ父親でした。
特に酒に酔うとヒドイ。
いつも夫婦喧嘩をしていましたね。
子供はみんな母の味方です。
シベリアの体験、体の不調、没落しかかった家系の重圧
などから、酒に逃避していたのでしょう。
大人になってからは多少分からなくもないのですが
実に嫌なものでした。
私自身が還暦を過ぎて改めて思うのですが
一番嫌だと思っていたのは父自身でしょう。
○
大変に厳しい人間でしたが、その父から暴力を振るわれた
ことは一度もありません。
他の兄弟も同様でしょう。母にもなかったはず。
一度、軍隊のひどさを語ったことがありましたから
その非人間性を否定し、自分で暴力をふるうことを
禁じたのでしょう。
中学では野球部、軍隊では下士官でしたから、暴力とは
「縁がある」世界にいたはずですが。
そのような人間が極限状況を体験すればどうなるか。
3度シベリアの冬を越し、体調を崩し帰国できたわけです。
それだけでは済まず、死ぬまで引きずっていた。
こんなことは人間世界から永遠に追放したいものですが
国際社会の様子を見ると、逆の方向に進んでいるようです。
◎
父が亡くなる半年前くらいに、ほぼ離婚に近い別居となり
サラリーマンになっていた私は東京で
「それもやむをえないか」と思っていました。
あっけなく亡くなった後
葬式だの仏壇だの、予想もつかなかった母の行動に
夫婦とは子供からは分からないものだと思いました。
何十年もたって遺品からコピーをみつけ、改めて
「分からないもんだなあ、あれだけ喧嘩してたのに」
○
もっと話を聞いておけばよかった。
マル3年前の12月、母が急死し遺品の整理を
していたところ10頁ほどのコピーが出てきました。
それが上記の青池寛一『シベリア抑留記』です。
想像するに、デイケアか、老人クラブの知人の中に
シベリア抑留をされた方がおられたのでしょう。
或時にスケッチを御持ちと聞き、それをコピーさせて
もらったのではないでしょうか。
ご覧のように簡単な線画と薄い彩色です。
かえって当時の空気が伝わるような気がします。
父も長生をできていれば何か語ったでしょうか。
◎
家族だからあえて言いますがトンデモナイ父親でした。
特に酒に酔うとヒドイ。
いつも夫婦喧嘩をしていましたね。
子供はみんな母の味方です。
シベリアの体験、体の不調、没落しかかった家系の重圧
などから、酒に逃避していたのでしょう。
大人になってからは多少分からなくもないのですが
実に嫌なものでした。
私自身が還暦を過ぎて改めて思うのですが
一番嫌だと思っていたのは父自身でしょう。
○
大変に厳しい人間でしたが、その父から暴力を振るわれた
ことは一度もありません。
他の兄弟も同様でしょう。母にもなかったはず。
一度、軍隊のひどさを語ったことがありましたから
その非人間性を否定し、自分で暴力をふるうことを
禁じたのでしょう。
中学では野球部、軍隊では下士官でしたから、暴力とは
「縁がある」世界にいたはずですが。
そのような人間が極限状況を体験すればどうなるか。
3度シベリアの冬を越し、体調を崩し帰国できたわけです。
それだけでは済まず、死ぬまで引きずっていた。
こんなことは人間世界から永遠に追放したいものですが
国際社会の様子を見ると、逆の方向に進んでいるようです。
◎
父が亡くなる半年前くらいに、ほぼ離婚に近い別居となり
サラリーマンになっていた私は東京で
「それもやむをえないか」と思っていました。
あっけなく亡くなった後
葬式だの仏壇だの、予想もつかなかった母の行動に
夫婦とは子供からは分からないものだと思いました。
何十年もたって遺品からコピーをみつけ、改めて
「分からないもんだなあ、あれだけ喧嘩してたのに」
○
もっと話を聞いておけばよかった。