『天皇制と朝鮮人』

2010-12-29 19:34:19 | 塾あれこれ
奥に仕舞ったまま出てきません。

本日の新聞、おくやみ欄に安宇植氏が亡くなったと
書いてあり、懐かしい名前だなあと思った次第。
安氏の著書『天皇制と朝鮮人』を探したのですが。

以下、安氏の話でも本の内容でもなく、ただの昔話。


私のサラリーマン時代の末、29~31才くらいですね
よく酒を飲んでいました。
気持が荒れてた。

後で考えると父に相似だったかもしれません。


父のような、人に迷惑をかける飲み方はしません。
これは一種のトラウマからきたことだと思っていました。

今、考えると父が見たような地獄を見ていないだけの
ように思えてきます。
同じようなことを体験すれば弱い私もああなりそうです。

団塊の世代は本当にキツイことは知らないでしょう。


朝、始発の電車まで飲んでいて、いったん三鷹へ帰宅し
午後から出勤とか、ヒドイものでした。

何日も出勤せず、今で言う「ひきこもり」に近かったこと
もありましたね。

とにもかくにも、仕事が嫌。
というより人間の存在自体がうとましかった。


昔、カラオケが流行り始めてきたころでしたか、
カラオケをおいているスナックで一~二曲歌うだけ。
あとはただひたすらクダまいていました。

歌はもちろん超オンチでしたから。

高円寺の駅近く、某スナックで粘る事が多かったですね。

ここの経営者が在日韓国人Cさん。(北じゃない筈)
スケールの大きな人でした。喧嘩も強そう。

開高健の『日本三文オペラ』とかヤンソギルの小説などの
アパッチ族を彷彿とさせる豪快な世界を持っていました。

半島と日本の間の密航もしていたらしく・・
私を気に入ってくれたようでかなりデープな話も聞かせて
くれました。


彼が私のことを気にいってくれ、私も彼に「懐いて」い
ましたが、私が荒れていたから彼は(気になった)のかも
しれません。
もちろん気持ちが荒れているだけで、ただ酒を飲むだけ。
時間が長いので嫌がられても仕方がないほどでしたが。

私が広島に戻ってからもときおり電話をくれました。


その広島へ帰ると云うときにCさんがくれた二冊の本の
うち一冊が『天皇制と朝鮮人』だったのです。

これでも読んで少しは勉強しろ、ということだった
のでしょう。
彼とはよく論争もしていましたから。
(私のような偏った人間でも怒らずに話をしてくれました)

結局ピンとこないまま、ずっと本棚に飾っておいたのですが
現在の家が狭くて片づけてしまいました。

いつかCさんを思い出しながら、また読まなければならない
かもしれません。


「もっと大きな人間にならないと・・」
彼のあきれ顔が見えるようです。