バケペン写真です。
ごめんなさい人民ゼロイチの写真です。 1976−12
変な写真で縁取りが有るですね。 ポジからではなくこれも紙焼(多分キャビネ)のスキャンだと思われます。
編成を見ると一瞬【Iatropolitan】かと思ってしまいますが、01−5 人民機関車が牽いているからあれっ違うかな? イストロポリタン号はドレスデン機関区の運用でワグナーデフのゼロイチが牽きます。 01−5 はベルリン・オスト機関区の配属でした。 ベルリン・オスト機関区はリヒテンベルク駅(パトカーに乗せられて連行された怖い駅)の近くです。 この秋(冬ダイヤ前)までベルリンオスト機関区に原形タイプが居て共通運用されていましたが冬ダイヤで消えたのです。
編成を見ると赤い客車が3つ入っているように見えます。 赤い客車は東ドイツの寝台食堂運営会社“MITROPA”に間違いありません。 先頭の“MITROPA”は見慣れた寝台車です。
そしてよく見ると編成中程に屋根の高さが低い・・・それも2種類の車両が見えます。 手前がDRの荷物車、後が“MITROPA”の食堂車です。 確実に【Pannonia Express】とわかります。
編成の参考は例によってVagonWeb(チェコ)です。
https://www.vagonweb.cz/razeni/?&lang=en
列車は 1976/77 D371 Pannonia Express です。
時刻は同サイトによると
Berlin Ostbhf 13.46, Děčín hl.n. 17.50-18.29, Praha střed 20.35-21.05, Bratislava hl.st. 2.34-2.49, Komárom 4.32-5.10, Budapest-Keleti 6.52-7.30, Subotica 10.20-10.50, Beograd 13.40-14.20, Niš 17.56-18.13, Сoфия /Sofija/ 22.53
ベルリンからドレスデン経由チェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビアを縦断してブルガリアのソフィアに向かう列車です。 全行程33時間少々です・・・意外に速い。
ワゴンウェブには1976−05から1977−05までといったようなことが書かれていますが冬ダイヤになるときに少し時刻は変わります。 一年に2回ダイヤ改正があるというところです。 ですから時刻は少しずれている可能性が高いです。
客車は日によって違いますが経由各国国鉄の客車が混ざって編成されています。
模型で揃えるのを阻んでいる障害はDRの近代化改造荷物車とチェコスロバキア国鉄の食堂車の2種類です。 リバロッシのHO【Pannonia Express】セットには入っていません、残念!
この撮影地はベルリン・シェーネフェルト駅から2km程北東、オストバンホフ寄りです。
シェーネフェルトは東ドイツ首都ベルリンの大環状線の途中にある「シェーネフェルト空港」隣接の全列車が停まる駅です。
シェーネフェルト空港はドイツ民主共和国首都ベルリンの空港です。
ベルリンの S-Bahn のシェーネフェルト行き路線の終着一つ手前のグリュンベルク・アレー駅は画面右線路と直角方向300m程です。 そして東ベルリン一日観光ビザで来られるのはこのグリュンベルク・アレーが最南端でシェーネフェルトには行けません。 するといかにもお巡りさんに捕まりそうですが此処では一度も捕まっていません。
この日この時間、まだ午後2時過ぎですが太陽が夕陽のような傾き加減なのはベルリンの緯度が高いからです。
我々はD924 ベルリン経由ロストック行がシェーネフェルトを発車してくるのを待ち構えています。 そんな時、逆から弱い順光を浴びた D371 が走って来たので振り返って頂いた訳です。
煙突を見ると僅かに煙が見えますが絶気です。 いや、まだ少し開けているかもしれません。 駅が近いです。
我々が狙うのは横浜発車、速度が乗り、尚且つ全開で加速するゼロイチを東神奈川で捉える考えです。(グリュンベルガレエ=仲木戸)この写真は横浜進入で東神奈川を減速中の列車という訳です。 しかしこんな市内でもこの路線に東海道本線のような急カーブはありません。(・・・いや、ドレスデンノイシュタット駅のベルリン側とウールハイデ信号場内にはカーブあったかも)
なにしろヘンシェルヴェーグマンツークの走った路線です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3
ゼロイチ末期のこの頃、ドレスデン〜ベルリン間(途中2〜4駅停車で)2時間少々で走っていた訳ですから中間走行中は常に加減弁全開に近い気狂いのように走っていたものです。