只今減量中

2015-03-20 | 健康
本日はミッドタウンのユニオンスクエア東京に行ってきました。


最初の、いや二皿目のサラダです。 アメリカンな大きさですね。


お肉です。 小さい!と思いますが実は500gです。

スモークされたアメリカ牛のステーキです。

今東京で食べるステーキとしては抜群に美味しいと思います。


小松屋も良いですが(・・・熟成肉ではウォルフギャングより小松屋かな)でもスモークは全然違いますね。 桁違いだと思います

スモークもマリネもしないで単に肉を焼くなんて最低だと思います。 熟成肉でも同じだと思います。 調理を馬鹿にしてはいけないです。

(スエヒロで育った影響かもしれません・・・でも良いものは良い!です)


デザートはヘルシーに! フローズンヨーグルトですよ!

実はステーキ屋を選んだのは只今減量中だからです。


今日の測量結果です。

ガクッと上がっているのは夜の宴会が寿司だった日です。 その一日で+1.5kg、取り戻すのに何日も掛かります。

私の経験上ではそれは絶対確実です。

(醤油を僅かにしているのですが・・・100巻食べるわけでもないのですが・・・ともかく信じられない程効きます。 寿司が健康食なのはガイジン「に」だけです! 毎日体重計に乗っている人は知っているかも)

(ステーキは減量に効果的なのはもうすでによく知られているかもしれません・・・和牛は問題外にダメです←寿司以前の問題です・・・それを食べるなら減量は完璧に諦め?)

腰が痛いんです。 とりあえず25kg~35kg落とすつもりです。




・・・・ちょっと食事の量を減らした位で「この」減り方普段何食べてるんだと・・・・

                                  ・・・「まあ、普通ですぅ~~~」





英霊の絶叫

2015-03-18 | 政治・経済
私の趣味は“鉄道”です。

今風には 「何‘鉄’ですか?」 と問われることになります・・・


“撮り鉄”と“模型鉄”かな。


でも実際には「全部」なのかなと思います。 (「全部」がいちばん普通じゃないか?と思っています)

鉄道趣味のあり方を分類する言い方。
これも鉄道趣味の多様さを世間に知って貰う為には役立ったと思います。

でも鉄道趣味のなかにはもっと違うモノが有りますよね。

例えば私の友人デトレフは彼が担当している 44 2546 を走れるように整備(修理したり修理依頼をして稼働出来る様に)して、製造時風プレートを新調して取付るなどして飾り、誇りを持って仕立て上げて自ら機関士として運転してファンに写真を撮らせるのです。


本人が撮ったモノかどうか判りませんが彼が先月送ってきた写真です。


これもそうです。 軸重計測中?踏面研磨中?


コレは本人撮影じゃなさそうです。 本人は多分機関士席です。


これもそうです。

これは「ドイツならでは」かと言えば、日本でも成田ゆめ牧場をやっている人達がきわめて近いです。


そして日本で言えば星晃さんや黒岩保美さんの様に鉄道を職業としながらではありますが「美しい車両を実現してしまう」という鉄道趣味も有るかと思います。

残念ながら現在の日本にはなかなか無いレベルです。



水戸岡鋭治さんと言うデザイナーが居ます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%88%B8%E5%B2%A1%E9%8B%AD%E6%B2%BB

彼と、彼にデザインを依頼している人達は趣味として「美しい車両を実現しよう」という分野とは対極を成すと思います。

鉄道に興味を持ち、好きで知識が有ったならば恥ずかしくて出来ない幼稚な猿真似を平気でやってしまうからです。

TGVの猿真似やICE3の猿真似を、ファンから見たら露骨に猿真似と判ってしまうことを「やってしまう」のです。
そのあまりの「幼稚さ」故に鉄道趣味というモノが有ることを本当には認識していない事が判ります。

まさに日本の鉄道界にとって‘最大の恥辱’であると思います。



日本鉄道業界、趣味界のなかで抜群のチャンス=E26系をデザインするときにあんなダメダメなデザインになってしまった事は星晃さんや黒岩保美さんの輝き渡る功績の対極を成す感じがします。


フランスのデザイナー、ナタリー・ジョルジュさんのデザインだそうですがダサいからあっさり‘ボツ’にするべきだった、‘ボツ’の決断をするべきだったのです。



第一にフランスやイタリアのデザイナーに鉄道車両のデザインをさせようとすること自体が鉄道に対する「見識がなっていない」です。
 
日本の鉄道車両は「日本人に対してどういう印象を与えられるのか?」と言うことが大事なはず。 日本の線路上を走る車両にイタリア人やフランス人に喜んで乗って貰うためにデザインするわけではないです。

だから答は簡単です。
(1)日本人
(2)ドイツ人
(3)アメリカ人
(4)イギリス人
の優先順位でデザイナーを選ぶべきであり、フランスやイタリアの入る余地は無いです。

それは鉄道車両であり、ハンドバックでも自動車でもないのですから。


「イタリアの特急はジョルジェット・ジウジアーロのデザインなんだって?」

「へえ~ ・・・・でもかっこわるいね。」


と言うのがせいぜいです。
ジョルジェット・ジウジアーロさんのデザインセンスが悪いのではないです。

日本人の目から見てジウジアーロデザインの特急が格好悪く見えるだけのことです。

其処が重要なのです。

「それ」を知っている人間でなくては日本の特急のデザインを依頼してはいけないです。 日本の鉄道の浮沈が掛かって居るからです。



そういったもっともっと深い鉄道趣味に於いて断然『尊敬』に値するのがアメリカ合衆国です。

E26系を見たとき、50年先行しているアメリカのステンレス車両による全個室寝台特急列車【スーパーチーフ】と比べて何と格好悪い!
デザインのレベルが5段階ぐらい下じゃないか!?
がっかりして眼前が真っ暗になるほどの衝撃を受けたモノです。


アメリカのかつての鉄道は美しさを押し出して居ました。

どの鉄道もそうです。

今見ても見事です。

アメリカのかつての列車の塗装の塗り分けは6点~10点満点の点数を与えられるとするならば、日本の○○色、××色は0点~6点程度の点数しか与えることができないです。

ああ、日本の星晃さんと黒岩保美さん(回りに多くの優れたデザイナーが居たのかも知れません)は偉大でした。 日本の輝ける時代です。



そんなわけでアメリカ合衆国や、かつての鉄道各社やNMRAやケーディー社を大変尊敬しますが、鉄道趣味をやっているとどうしても他の事も判ってきたりします。

例えば 『ビックボーイ』

世界最大の蒸汽機関車として有名ですし、復活の期待も有って興味は尽きません。


ビックボーイは1930年代終り頃、合衆国政府から「太平洋での戦争に備えてより高速で強力な新型蒸汽機関車を用意せよ」という指示により開発されました。


1941年8月 ビックボーイ最初の1両、#4000がニューヨーク州で落成。

1941年9月8日 #4000が就役、初めてロッキー山脈を越えました。

1941年11月 #4019が納入され一次形20両が勢揃いしました。


主に太平洋を舞台に日本とアメリカ合衆国が戦った“太平洋戦争”はアメリカ側では『予定』していた事が判ります。

1940年7月 アメリカでは両洋艦隊法が成立、エセックス級空母32隻(落成は24隻)をはじめとする147万トン(日本の連合艦隊全艦相当量の新鋭艦)という途方も無い建造計画がスタートします。 これは海上艦を僅かしか持たないドイツを対象としていない事ははっきりしている計画です。

対する日本は1941年まで対米戦争は全く想定して居らなかった事が判っています。
開戦して、戦況が進んでから戦争計画を次々に改定して行った経緯は皆様ご存知のところかと思います。

艦艇マニアから聞かされて記憶に残っている事を書けば「日本と米英の艦艇の根本的な違いは燃料搭載量である」

と聞かされました。

「航続距離を大きくして遠くまで攻め込む発想の英米と燃料搭載を減らして隻数で劣る分を兵器搭載量を大きくして対抗しようとした日本の違いだよ」

と言うことです。

(内南洋での艦隊決戦)
(攻め込む想定は元来無かった)


あの頃からじつは殆ど専守防衛形の兵装だった訳です。

日本の歴史最大の愚行、アメリカへの奇襲攻撃と宣戦布告はどうして成されなければならなかったのか・・・・


日本では全くタブーとして議論されない日米開戦への歩みについては、アメリカでは戦時中や終戦直後から議論されて居るようです。

「日本が戦争を仕掛けてきた」とする正統派

「ルーズベルトが戦争を希望して日本に最初の一発を撃たせた」とする修正派

の議論は今でも終っていません。


正統派に与するジェフリー・レコードさんによる著書。

開戦に至ったのはルーズベルトの誤算だったとしています。


修正派に属する加瀬英明さん、ヘンリー・S・ストークスさんによる著書。


こんな帯が巻かれています。

よく言われる“裏口からの参戦”(ドイツと戦う為に日本を戦争に追い込み、先に撃たせた)を実現した経緯や記録を連ねています。

1941年12月時点で日本の暗号はかなり解読されてしまって居たはずなのに何故「トラトラトラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)」だったのか?
共和党にそれ(日本の攻撃がハワイに伝わらないようにして旧型戦艦を生贄にして米国民の復讐心を煽った)がばれたのに選挙戦にその件を使わせなかったのはどういう理屈だったのか?といったことが分析されています。

今年は終戦70周年だそうで「日本悪し」を盛んに言い立てる近隣国がのさばりそうですが、歴史を冷徹に検証してみればじつはアメリカによる侵略であった事はほぼ間違いないと言えるのです。

戦争によって独立国であった日本はアメリカの保護国となり、自治権は認められているものの独立国としての権利はもはや認められていません。

沖縄の基地問題のピント外れ振りは滑稽すぎて不愉快以外の何者でもありません。

ペリーは地政学的な沖縄の特異性、戦略的価値を既に見抜いていたわけで、あの位置に米軍は巨大な基地を必要としているのです。

日本は独立国ではないから周辺諸国からいかな嫌がらせを受けても黙って耐えるしかないのかとは思いますが、米国による保護国日本の国民であると言うこと自体が不幸せであるかどうかはまた全くの別問題です。



ところで、独立国であった時代の日本、つまり戦前は良かったか?という点で言うとあまり良くなかったかなということも言えます。

アメリカに叩かれても仕方が無いだらしがない悪事は重ねてきました。 (=ずるずる続いたシナ侵略)(東南アジアは全て植民地だったので侵略は「皆無」・・・タイ国政府への気の使い振りはなかなかのものです)

しかし、↓この本はなかなかの内容で当時のことが色々と判る素晴しい本だと思います。


鉄道写真撮影に出かけて苦難に遭遇したとき、この世にはこんな地獄があったのだという事を思い出して耐える! という目的のためには私は大いに役立ちます。

これまで素晴しかったのは“最悪の戦場に奇跡は無かった”という歩124連隊の高崎伝さんという人の書いた本ですが、この“英霊の絶叫”は凄いです。

辛い内容ですがどんどん読み進んでしまう本です。


話が色々飛び、言いたいことの1/10も言えない程度の内容ですが「そうだったのか!」という驚きに満ちたこれらの本は是非一読してみて欲しいです。






釧路・根室ツアー「続き」

2015-03-16 | 今鉄

“ラビスタ釧路川”での朝食です。 先ずはお野菜から頂きます。


色々取ってきちゃいました。 温泉卵の隣は納豆です。


これが驚異の海鮮丼です。 自由に盛りつけていくらでもおかわり出来ます・・・


つぶ貝です。


デザートです。


部屋からの眺めです。


全体の世話役でもある白石さんの運転で出発です。


非常に常識的な戦い方・・・釧路川鉄橋で撮って追いかけることにしました。

天候は「曇り」と見て「障害物が少なくて晴れれば逆光」であるサイドにしました。


カモメが飛び回っています。


釧路11:13発3631D快速〔ノサップ〕根室行 キハ54526(昨日「行き」に乗った車両です)
(昨日の「帰り」はキハ54525)


こんなモノも飛びました。


〔SL冬の湿原号〕


塘路へ向かいます。


ゆったり間に合いました


C11171もいずれ模型化します。 それにしてもロッド類はよく磨かれていますね。


この場所には10人ほど居ました。 撮影;増田秀則さん

蒸機列車追跡は此処で終了、帰路に就きます。


道民の皆様、増田(泉)さん、岡本さん、増田(秀則)さんを釧路駅で降ろしてたんちょう釧路空港へ向かいます。

13:34発 4008D【スーパーおおぞら8号】に丁度です。


たんちょう釧路空港のレンタカー返却。 エゾシカの脅威のパンフも有りました。


釧路空港で有名なこれを食べてしまいます。


ミートカツスパゲッティ¥1000

向こうに見えるのはビールのおつまみザンギです。


我々の飛行機は14:25発JL1146便です。


我々が乗るB737-800です。 向こうはボンバルディアDHC8‐Q400


雲の上に出ました。


降下中、今日の天気は全体的に下り坂で変な感じです。


羽田空港に着陸寸前。


スカイマークの機材


こちらは行列行進するJALの機材。

去年は日程が合わなかったかで欠席した釧路根室ツアー、今年は行く事が出来ました。
たしかこの時既に脚に問題を抱えていたような気がします。
最近腰が痛く、それが脚に来ているので減量を開始していますが、この根室の時点で問題を抱えていた様な記憶があります。

宴会や旨いモノは楽しいですが健康第一で行かなくては・・・

されど、この2015年2月は体に悪そうな行事がめいっぱい続くことになります。






今日は

2015-03-14 | 今鉄
【トワイライトエクスプレス】と【北斗星】の話題は後回しにして今日はいろいろ有りました。
(まだ有るのですが・・・)


特別養護老人ホーム“ウェル江戸川”の理事会、評議員会でした。

次の平成27年度は介護報酬単価の引き下げという厳しい情勢の中特養ホームは厳しい経営を迫られています。

民間に補助金を出しつつ社会福祉法人を作らせておいて介護報酬などで厳しい運営を押しつける厚生労働省に対して怒りの声が上がります。


お昼はいつもと同じ“うな重”です。


最近の表彰状類です。


ウェル江戸川で最も派手な車‘パンダ号’です。


午後はまず本日開業の上野東京ラインの見学に行きました。 上野駅上野東京ライン南行ホームの南端で回送電車が南方へ発車していったところです。

葬式鉄に負けないとまでは言えませんが、凄い関心度にびっくりです。


入線してきました。 我々も乗車してみます。


かぶりつきは猛烈な人だかりで近づけません。 一方座席は座れますので座ってしまいました。


御徒町通過。


秋葉原通過。


秋葉原駅の途中から猛烈な高架線に登り始めます。


神田駅付近通過中。 (と思われます)


高架線が終ると東京駅に接近です。


東京駅、185系の向こうに見慣れない特急電車が見えました。


東京駅を過ぎると車内はぐっと空きました。


併走しているのはいずれ無くなりそうな700系です。


新橋で更に空きます。 新橋から往来するのは「なるほど」と言えます。


東チタ跡地に見慣れない色の電車が停まっています。


品川駅入線。 我々は此処で京浜東北に乗り換えて大井町に向かいます。


E531系の向こうに見慣れない特急車が見えます。


11、12番線ホーム南側から真新しい跨線橋に上がると真新しい看板がたくさん見えます。


品川で折り返す常磐線直通電車のホームです。


上野東京ライン北行電車が使う予定と思わしき8番線はまだ使って居ません。


まだ5番線を使って居ます。


その5番線に記念ヘッドマーク付き北行電車が入って来ました。


忍者のように‘鉄’が湧いてきてヘッドマークを撮ります。


4番線にも現れました。


大井町ホーム南端には1人。


大井町ホーム南側の海側に変な道が線路とぶつかっています。

これは立会川の暗渠じゃないでしょうか。


1番線の山側には鉄橋の遺構が残って居ます。

立会川という川は南品川・東大井の丘に行く手を遮られて南に蛇行し、京急の立会川辺りを通って東京湾に注いでいるようです。


上野東京ラインのかぶりつきは1ヶ月くらいしてからやって見るべきかもしれません。







釧路・根室ツアー

2015-03-13 | 喰いだおれ
山口県の旅行をレポートした理由は只一つ、それは早くUPできそうだったからです。

本来は【トワイライトエクスプレス】の最後が近いのでそのレポートをするべきなのですが、私の頭は柔軟な運用が出来ません。
2月の北海道旅行1回目の「釧路根室」に行ってしまいます。

こちらも理由は早くUPできそうだからです。

 → 早くUPできるかどうか判りそうなものですが「馬鹿」に点ける薬はありません・・・

自分でも自分の馬鹿さ加減に呆れながらレポートスタート!


釧路行一番は羽田8:00です。


太平洋から北海道へ、いよいよ着陸です。


たんちょう釧路空港到着。


市内へのバスはあかんバス。


がらがらばい。


発車直前にお客は集まりこんな感じで走ります。


新釧路川、まあまあ寒そうです。


釧路駅


釧路駅改札

我々の集合は11:00・・・いや11:01とも言うかもしれません(札幌からのSおおぞら1号到着時間)


我々の席は2号車


スハシ44、旧型客車です。


相変わらず大人気の蒸機、最近は女性が多い!


スハシには売店が有るのです。 食堂車は無いです。


今回の冬の飲み鉄ツアー参加者は5名です。 狩勝高原エコトロッコの増田秀則さんが初参加で、札幌の増田泉さんと初対面です。

http://ecotorocco.jp/


クラッカーに子持ち昆布、イクラ醤油漬け、タラコなどを載せていただきます。

無塩クラッカーです。

リッツ等のそのまま食べる有塩クラッカーではタラコなど乗せたらしょっぱくて駄目です。


世話人は九州の住人です。 こんなものを抱えてきました。

http://www.hombo.co.jp/item/imo/genshu_yakusugi/


標茶で折り返しです。 帰りの切符も押さえてあります。 何時もの食堂で昼食です。


標茶駅傍の食堂は一軒ですが、満員のお客さん達は何処へ行ったのか此処にはそれらしき人は見当たりません。


私は「そばとミニ豚丼セット」です。


標茶駅に戻って帰りの列車に乗ります。

 
帰りは逆向き牽引、子供の見学者がたくさん来ていました。


行きの超満員と比べると帰りは少し余裕が有ります。 中国からの観光客が大勢来ています。


丹頂鶴は茅沼駅です。


釧路駅に到着!


C11171のキャブ内部は淡緑では無く地味なグレーみたいです。


ガイジンも居ますね。

前日から釧路入りして車内宴会の世話をしてくれている御両名に氷買足しをお願いして11:00に釧路集合した3人はホテルにチェックインして身軽になって宴会第二部に備えます。


さあ、この高価な乗車券を買って最果て根室を目指す単行キハ54の旅です。


1番線ホーム(札幌往来の特急が着発します)には珍しい駅弁屋さんが頑張っています。


左は釧網本線網走行4740D キハ54515 16:05発 19:21着

右は根室本線根室行5637D キハ54526 16:19発 18:49着


混んでます。 でも宴会席を一つ確保! 集団お見合いの席配列です。


別保16;32発~16:47着上尾幌の峠越えで早速鹿が登場。


わざわざ横切って逃げます。 コレが群れだと最後の一頭がはねられそうになるのです。


直ぐに次の一頭が線路内に立ち尽くしています。


逃げ出しました。


その方向に逃げるのは拙いですよ~。


鹿が出没して面白いのはこの区間と別当賀~落石の峠です。


だんだん車内にも余裕が出てきました。 撮影;増田秀則さん


茶内です。 最後は宴会シートは我々の独占になりました。 撮影;増田秀則さん


根室に到着しました。 駅名標を撮ってる人も居ますね。


私も撮っちゃいます。


此処まで運んでくれたキハ54526です。


タクシーで浜作へ


仙台四郎も居る店内です。


乾杯です。


浜作は決して安い店ではありません。


ボリューム・・・・けちけちしていないのです。


特に鍋のボリュームは凄いです。


お通し


刺身「つぶ、ホタテ、メヌキ、八角」かな。


たちぽん


干こまい


エゾシカのタン


メヌキ鍋


最後はごっこ汁

 
店の前で記撮。 最後はおかみさんにも入ってもらって!


5人だからタクシーは2台です。 殆どワンメーター。


根室駅改札口


ダイヤが改正になって最終の快速〔ノサップ〕の根室発が遅くなってスピードアップ!嬉しいです。

根室22:05発3642D快速〔ノサップ〕釧路行24:15着


こういうのを見付けるとすぐにやりたくなるのです。


宴会おやじが5人と厚床までのお客様が3人位乗って発車です。


最初の停車駅は落石です。 ワンマン運転だからか半室運転台と言う感じ。


落石~別当賀の峠越え、残念ながらエゾシカは不発でした。


乗客は我々だけになってしまい、ゆっくり仕上げの宴です。 撮影;増田秀則さん


釧路到着。


タクシーに分乗してホテルへ

素早く風呂に入り明日に備え・・・いや実は朝はゆっくりなのです。



(今日、トワイライトエクスプレスが終わりました)