週末は集まりがあって埼玉群馬方向へ行ってきました。
こんな始まりでした。
熊谷駅8:50です。
広瀬川原車両基地です。
(たまたま秩父行きが同日でしたが)前原国土交通大臣のように私も門デフフリークですから門デフとなったC58を一目見に行かなくてはいけません。
門デフC58が動き始めました。
しかし、このデフは酷いと思います。
C58に合わせたサイズのデフが何故出来なかったのでしょうか。
普通のK-7のC58は結構居たはずです。
長い分だけ後の支柱を斜めにするなんて最低の対処法じゃないでしょうか。
C5833などの後藤デフは大きさのバランスの問題以前に取り付けるC58に対する愛情が感じられるデフレクターだったので良かったと思います。
C58はボイラーが華奢なので、デフが大きいとそれだけでバランスが崩れます。
ボイラーの細さだけでなく、短いという外観上の欠点(見方によっては欠点)が強調されてしまいます。
標準デフですらC58には合わないと思います。
切り詰めデフとなって初めて少しは見られる姿になったのがC58だと感じています。
切り詰めによって良くなったのはボイラーに対するデフの面積のバランスだけではなく、デフ前側上端の斜めのカットとボイラー前側上端に横置きされた給水加熱器との美しくない組み合わせが解消されたからだと感じています。
横置き給水加熱器+デフ前上端の斜めのカットの組み合わせですが、門デフになったら「そう悪くはない」と勝手な事を私は主張します。
C58112はともかく、D51標準型に於ける長工デフが実に良い具合だからです。
デフの大きさVSボイラーのボリュームの話ですが、逆に大きなボリュームに小さなデフも実にみっともないと思います。
C61とD51は共通ボイラーですが、煙室の長さが大きく違うのでボリュームが全然違って感じられます。故にD51なら切り取りデフが似合うのにC59124やC6113の切り取りデフ(門デフ)姿が醜怪故にゲテモノ愛好心をくすぐり、ドイツゼロイチのウィッテデフが何とも中途半端でつまらない姿に感じるのはやはり外観が美しいと感じるためには蒸気機関車の胴体とも言うべきボイラーとのバランスがデフレクターにとっての重要事項なのだと思います。
けなしておきながら、切り取りデフを採用して頂いた秩父鉄道に感謝しています。
来年はちゃんとC58サイズのK-7状のデフに変わる事を期待致します。
門デフは美しいです。
大麻生で〔パレオエクスプレス〕を待ちながら記念写真を撮りました。(撮影;宮代博之)本日前半は慶應鉄研の1年先輩である福田宏之さんと茂木裕さんが一緒です。
お二人は「地元」なので走る道が違います。故に「驚異の鉄」が可能となります。
このタオルは慶應義塾150周年記念連合三田会(日吉)で茂木さんがゲットしたものです。
10:24 まるで東急沿線かという気分の写真が撮れて満足しています。
10:43 籠原駅南方でE655系をゲット
今日はE655を初めて撮りましたが本当に聞きしに勝る色々なモノが車体に写り込む電車で色もよく判らないという感じです。
11:51 両毛線伊勢崎~国定で両毛線に初入線したE655です。
軽自動車と並走になりそうになってたいへんドキドキしました。
撮影後両先輩と別れ、足尾に向かいます。
両先輩はE655の追走を続けます。
足尾のフォードです。
もともと足尾のフォードとは、古の時代足尾銅山が自らの手で自動車部品から内燃機関車を仕立ててしまったものです。
14と言うナンバーが付番されているのは、13までかつて存在していたので次の番号を14を名乗って新製したからです。
本来の運転日ではなかったのですが臨時で火が入ったものです。
足尾歴史館に来られた団体客を乗せて快走しています。
左側に見えるのはKATOの3.5t機、この機関車も走りました。
足尾歴史観からの帰りの時間がぴたりトロッコ列車の時間でした。
通洞駅(足尾歴史観の近く)からひとつ奥の足尾駅にキハ30一般色とキハ35首都圏色(色は復元したそうです)ガ置かれています。
そしてタンク車が2両、タキ35000と小坂鉄道から持って来た硫酸のタンク車、それに貨車移動機が置かれていてボランティアの方がお手入れをされていました。
実は広瀬川原で待ち合わせて以降、IMONの技師長宮代の車に乗せて貰っています。
スカイライン2000GTいわゆるハコスカです。
行く先々で注目を集めました。
写真にシガーライターから伸びるコードが見えますが、ポータブルETC機械です。
それ以外は見事にオリジナルを守って快調に走ります。
赤城温泉忠治館が今日の宿です。
とても一日とは思えない盛りだくさんな日となりました。
福田、茂木の両先輩と宮代技師長にも感謝です。
こんな始まりでした。
熊谷駅8:50です。
広瀬川原車両基地です。
(たまたま秩父行きが同日でしたが)前原国土交通大臣のように私も門デフフリークですから門デフとなったC58を一目見に行かなくてはいけません。
門デフC58が動き始めました。
しかし、このデフは酷いと思います。
C58に合わせたサイズのデフが何故出来なかったのでしょうか。
普通のK-7のC58は結構居たはずです。
長い分だけ後の支柱を斜めにするなんて最低の対処法じゃないでしょうか。
C5833などの後藤デフは大きさのバランスの問題以前に取り付けるC58に対する愛情が感じられるデフレクターだったので良かったと思います。
C58はボイラーが華奢なので、デフが大きいとそれだけでバランスが崩れます。
ボイラーの細さだけでなく、短いという外観上の欠点(見方によっては欠点)が強調されてしまいます。
標準デフですらC58には合わないと思います。
切り詰めデフとなって初めて少しは見られる姿になったのがC58だと感じています。
切り詰めによって良くなったのはボイラーに対するデフの面積のバランスだけではなく、デフ前側上端の斜めのカットとボイラー前側上端に横置きされた給水加熱器との美しくない組み合わせが解消されたからだと感じています。
横置き給水加熱器+デフ前上端の斜めのカットの組み合わせですが、門デフになったら「そう悪くはない」と勝手な事を私は主張します。
C58112はともかく、D51標準型に於ける長工デフが実に良い具合だからです。
デフの大きさVSボイラーのボリュームの話ですが、逆に大きなボリュームに小さなデフも実にみっともないと思います。
C61とD51は共通ボイラーですが、煙室の長さが大きく違うのでボリュームが全然違って感じられます。故にD51なら切り取りデフが似合うのにC59124やC6113の切り取りデフ(門デフ)姿が醜怪故にゲテモノ愛好心をくすぐり、ドイツゼロイチのウィッテデフが何とも中途半端でつまらない姿に感じるのはやはり外観が美しいと感じるためには蒸気機関車の胴体とも言うべきボイラーとのバランスがデフレクターにとっての重要事項なのだと思います。
けなしておきながら、切り取りデフを採用して頂いた秩父鉄道に感謝しています。
来年はちゃんとC58サイズのK-7状のデフに変わる事を期待致します。
門デフは美しいです。
大麻生で〔パレオエクスプレス〕を待ちながら記念写真を撮りました。(撮影;宮代博之)本日前半は慶應鉄研の1年先輩である福田宏之さんと茂木裕さんが一緒です。
お二人は「地元」なので走る道が違います。故に「驚異の鉄」が可能となります。
このタオルは慶應義塾150周年記念連合三田会(日吉)で茂木さんがゲットしたものです。
10:24 まるで東急沿線かという気分の写真が撮れて満足しています。
10:43 籠原駅南方でE655系をゲット
今日はE655を初めて撮りましたが本当に聞きしに勝る色々なモノが車体に写り込む電車で色もよく判らないという感じです。
11:51 両毛線伊勢崎~国定で両毛線に初入線したE655です。
軽自動車と並走になりそうになってたいへんドキドキしました。
撮影後両先輩と別れ、足尾に向かいます。
両先輩はE655の追走を続けます。
足尾のフォードです。
もともと足尾のフォードとは、古の時代足尾銅山が自らの手で自動車部品から内燃機関車を仕立ててしまったものです。
14と言うナンバーが付番されているのは、13までかつて存在していたので次の番号を14を名乗って新製したからです。
本来の運転日ではなかったのですが臨時で火が入ったものです。
足尾歴史館に来られた団体客を乗せて快走しています。
左側に見えるのはKATOの3.5t機、この機関車も走りました。
足尾歴史観からの帰りの時間がぴたりトロッコ列車の時間でした。
通洞駅(足尾歴史観の近く)からひとつ奥の足尾駅にキハ30一般色とキハ35首都圏色(色は復元したそうです)ガ置かれています。
そしてタンク車が2両、タキ35000と小坂鉄道から持って来た硫酸のタンク車、それに貨車移動機が置かれていてボランティアの方がお手入れをされていました。
実は広瀬川原で待ち合わせて以降、IMONの技師長宮代の車に乗せて貰っています。
スカイライン2000GTいわゆるハコスカです。
行く先々で注目を集めました。
写真にシガーライターから伸びるコードが見えますが、ポータブルETC機械です。
それ以外は見事にオリジナルを守って快調に走ります。
赤城温泉忠治館が今日の宿です。
とても一日とは思えない盛りだくさんな日となりました。
福田、茂木の両先輩と宮代技師長にも感謝です。