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三菱鉱業大夕張鉄道のNo.7が発売されます。
大夕張鉄道はほとんどが9600形なので一見「地味」ですが、魅力的・個性的な機関車が揃っていました。
その中の一両がこのNo.7(元国鉄9613)です。
キュウロクは770種類あると言われていますが最初からその覚悟で作り始めました。
770種類というのは鉄道院、鉄道省など「国鉄」の機関車の両数であり、その他に樺太向け、台湾向けもありますし、北海道の私鉄向けもありますからもっと多彩です。
一次形、いわゆるS字キャブの9600は大幹線の急勾配区間の補機用機関車として2軸の小形テンダーを付けた姿で登場しています。
9600~9609は東海道本線西の函嶺、逢坂山越え25‰の補機
9610~9617は東海道本線東の函嶺、箱根越え25‰の補機としてデビューしています。
No.7は元9613ですから東の函嶺(現在の御殿場線)で使われていた機関車です。
二次形以降は貨物用機関車で3軸テンダーを付けられましたが、勾配線用の補機から本線貨物機に転職する際に二次形同様の3軸テンダーが与えられたものです。
昭和 9年 渡道 福井→(苗穂工場経由)→岩見沢
昭和30年 三菱芦別鉄道へ払下げ
昭和37年 三菱大夕張鉄道へ移籍
変わりモノほど製品化したがるイモンですから量産効果はあるのかどうか?という疑問が噴き出します。
C11と9600に関しては当初やや価格帯が低い事を狙ったところがありますが、C11に関しても、9600に関してもその狙いはとても見当違いだったことになります。
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機関車の全長、台枠が長い一次形(S字キャブ)です。
馴染み深い9600とかなり違う姿です。
実はIMONのC55・C57も機関車・テンダーともに機番毎エッチングパターンが別で特定機関車として作られているのですが、この一次形9600のNo.7は特に個性的です。
煙突は化粧煙突ですが「ツバ」が小さい特殊な形状です。
蒸汽溜は多くの9600形に於いて後年砂箱より背が高くなっていますが、No.7も僅かに高い様です。
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三菱鉱業大夕張鉄道はエアタンク取付位置に拘りがあり、機関士側エアタンクは必ず「前」です。
これはコンプレッサーを低い位置に収める為にバルブギアに干渉しない後方に持って来ることを目的にしています。 機関士席から確認できる前方視野を改善する事を考えた場合「行き着く形態」ですが、大夕張に於いては短期間の使用でも大改造を辞さなかったというこだわりを感じざるを得ない例があります。
昭和38年大夕張に来て間もない時代の写真を見てもエアタンク左前が確認できます。
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大夕張鉄道を行くセキ車は何だったのか? 黄帯の国鉄セキのこともあり、大夕張鉄道の古い貨車だったり無蓋車だったりします。 今は確たる処はわかりません。「客車をなんとかしたい」←今はそれを考えています。
9613に於いて空制化時のエアタンク位置はどうだったのか?は今は判りません。
NETに不確かな模型の画像があるだけです。
(調べがついたら報告いたします。)