♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■どんなひどい人生でも / 山中直義

2013年05月14日 | Weblog
2013/5/14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 人生を振り返って以外な告白をした人がいます。旧約聖書創世記47章に登場するヤコブという人物は人生の晩年、その歩みを振り返ってこう告白しました。「私のたどった年月はふしあわせでした。」(47章9節参照) 

 ここで「ふしあわせ」と訳されていることばは直訳すれば「悪い」あるいは「ひどい」という意味があります。ヤコブはここで自分の人生を冷静に振り返って、私の人生はひどいものだった、と告白してるのだと思われます。確かにこのヤコブの人生はひどいものでした。彼は何度もひどい過ちを繰り返し、その度に人も自分も苦しめてきました。また人に裏切られ、自分の子どもたちにまで裏切られるというひどい体験を幾度もしていました。

 しかしそれでもヤコブは決して不幸せではなかったように思うのです。実はヤコブのこの告白は彼が当時身を寄せていたエジプトの国で国王パロとの謁見の場で語られたものです。その謁見の初めと終わりにヤコブはパロを重ねて祝福したと聖書は言います。人間の目から見れば確かに酷い人生であったかもしれません。しかし、そんな中でヤコブは何ものにも代えがたい祝福を受け取り、その祝福を分け与えるものとされていたというのです。ヤコブは、神様だけは決して私を見捨てない、どんな絶望的な状況も本当の最善へと変えてくださるという事をひどい人生でしたが学ばされてきました。そして人の思いを超えた深い平安、感謝、喜び、希望を持つ者とされ、この神様を知り、この神様と共に歩むという祝福を人にも伝える者と変えられていたのです。

 「私の人生はひどいものでした。」 客観的にはそう言わざるを得ない人生もあるかもしれません。しかし神を信じ神と共に歩む人はそんな人生さえも「かけがえのない素晴らしい人生でした」と心から告白することができるのです。大切なのは、何をしたかあるいは何があったかということではなく神と共に歩んだかどうか、ということではないでしょうか。

(PBA制作「世の光」2013.5.14放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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