♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■御霊の実「平安」

2004年11月26日 | Weblog
 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。

 今日は、平和、平安について考えてみたいと思います。平和と平安て似てますね。ま、同じような意味を言っていると言ってよいかもしれません。日本語では平和というと、国と国、民族と民俗の関係が良いこと、平安というのは個人的な心の状態というようなニュアンスの違いがあるのではないでしょうか。
 聖書では原語は同じです。旧約聖書のヘブル語ではシャローム、新約聖書のギリシャ語ではエイレーネ。ま、日本語に訳すと「平和」と訳されているものが100回ほどあります。「平安」と訳されているのが70回くらい出ています。そしてこの平和、平安は、三つの種類あるいは関係があると言っています。
 その第一は神との関係、神との平和です。新約聖書のローマ人への手紙の5章1節というところには、「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」と言っています。キリストによって私たちと神との良い関係、平和が与えられてるという訳です。ですから、神よ、父よ、天のお父様と呼ぶ、また祈れる、ま、親子のような関係だという訳です。
 第二番目に、自分の中にある平安です。これは大丈夫、安心、これを持っていれば、ここに入っていればというものが最近随分揺らいでしまいました。状況に支配されない、本当に安定した平安、そんなもの、心の土台、人生の支えとして必要ではないでしょうか。そんな意味でキリストは言いました。「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与える平安は、この世が与えるのとは異なります。」
 最後に、人と人との平和です。心の中に神様からの平和、キリストの平安を感じている、味わっていると、人に対しても平和な関係を作っていけるという訳です。風船もいっぱい空気が入っていると、丸く表面はスムーズですねえ。人との関係も、また人の心も、自分の中に平安、平和があると、人との関係スムーズに平和になって行くんではないでしょうか。イエス・キリストは言いました。「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」神を父と呼び祈っていく時に、平和をつくり出していく神の子と呼ばれるようになっていく。すばらしいですね。
( PBA制作「世の光」11/26放送でのお話しより )

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今日のお話し、いかがでしたか?
さて、番組を制作しているPBAの「世の光」の係りには分りやすい聖書通信講座が用意されていて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。また、近くの教会も紹介してくれますので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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