♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■救いは報酬ではない

2007年02月22日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中のローマ人への手紙から読んでみましょう。

  聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。働く者のばあいに、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。 何の働きもない者が、不敬けんな者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。
        ローマ人への手紙 4章3節から5節

 パウロは信仰によって人が神の祝福に与ることを説明するため、旧約聖書に出てくるアブラハムという人物の例を挙げています。神様はアブラハムに子孫を約束しましたが子供はなかなか与えられませんでした。やがてアブラハムは99歳、妻のサラも89歳となり、もはや子供を設けるなど考えられない高齢になります。子孫を待ち望んだアブラハムにとってそれはもはや絶望的な状況でした。しかしアブラハムが自分の肉体の死をあるがままに認めるのみならず、そこで神の恵みによりすがった時に神の祝福はもたらされたのです。

 私たちが神の祝福に与る方法も同じです。人が自分には何かができると思っている限り、神の恵みの力は現わされません。しかしひとたび、人が自分の無力さを痛感し、ただ神の恵みによりすがろうと決心するならば、神はその信仰を祝福されます。何らかの問題で自分の無力さや自分の無能さを嘆いておられる方はいないでしょうか。自分は死んでいると絶望的に思われている方はいないでしょうか。アブラハムはまさにそのような状況に置かれた人でした。そして何の望みも持ち得ない中で恵みを与えてくださる神様に望みをいだいたのです。何の望みもないというあなたにこそ神の恵みという祝福の望みがあります。ぜひ聖書を開き、また教会を尋ね、神の恵みの望みについて深く知っていただきたいと思います。
 
 (PBA制作「世の光」2007.02.22放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。




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