♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■その罪を告げよ / 福井 誠

2016年02月18日 | Weblog
2016/2/18放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「その罪を告げよ」です。
 それではイザヤ書58章1節から読んでみましょう。
 「わたしの民に彼らのそむきの罪を告げ、ヤコブの家にその罪を告げよ。

 皆さんはどう思いますか? 自分の罪を告げられる、悪い部分を指摘される、そんな嫌なことはありませんね。けれども分かっているようで分からないのが自分の罪です。どうやら何かひどい目に遭わない限り、あるいは面目丸つぶれの事態が起こらない限り、私たちは自分を認め自分を反省することがなかったりします。結果、もっと早く分かっていれば何で誰も言ってくれなかったのか、ということになったりするものですね。耳痛い事も一時の我慢、聞かせてもらった方がありがたい、ということがあったりするものですね。

 当時のユダヤ人も同じでした。彼らは宗教的には熱心な民族でした。実際に断食もし、祈りもしている。けれども神はそのようなユダヤ人を受け入れられずにいました。なぜか、それは形ばっかりで神に対する恐れも愛の一かけらもないものだったからです。

 イザヤはその現実をユダヤの民に指摘せよと言われている訳です。実はこれは信仰を持って歩もうとしている人に対してとても大切なことを言っていますね。自分では熱心に神に従っていると思う。けれどもそれは形ばかりで心のある信仰ではないということがありますね。

 そういう意味で私は考えるところがあるのですが、神を信じるというのは迷信的な信仰も本物の信仰ではないのだなあと思います。つまり自分の身に悪いことが起こったら嫌だからというのでとりあえず信仰を持つことがありますね。けれどもそれは神様を信じているようで、実際のところ信じてはいないのです。

 神様を信じることはもっと人格的な関係ですね。神様は私たちの行為に喜びもし悲しみもする。怒りもし笑いもする。命があり感情もあるお方です。私たちは人がどんな思いで自分に近づいて来るのかというものを見抜くものですが、神様もなおさらです。心遣いを持った信仰の歩み、それが神の祝福を受けないわけがありません。ぜひ教会へ行って聖書から教えられて神様に対する心遣いのある信仰を深めていきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2016.2.18放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 
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