世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興(せきね・ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
聖書を読んでいくと、私たちが語ることばについて、よく書かれています。例えば聖書の箴言(しんげん)の中には「柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。 」箴言15章1節 こんなことばが出てきます。まったくその通りですよねえ。売り言葉に買いことば。まあ火に油を注ぐ結果になることはよくあります。でも柔らかな冷静な答えを用意することは本当に静めていきます。大切なことですね。
また箴言の18章の21節には、「死と生 --いのちですね-- は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。 」 こう記されています。私たちが何を語るのか、何を告白するかによってそのことばの語る実を食べるのだ、というのですね。
もう何をやっても無駄、駄目さと語り、人生に生きる意味も目的も無いさ、と語り続けるならどうでしょうか。それは空しさという実を食べることになるでしょう。いつも不平不満を言い、悪いのは自分ではなく相手のせい。愚痴をこぼして生きていくとするなら、やはりその実は好ましいはずはありません。
しかし聖書は逆に、約束に裏打ちされた希望があると教えます。その希望を告白するならば、その希望が与える永遠の真実の実を食べることになるのだと教えるのです。
新約聖書の後半の手紙の多くを書いたパウロは、ローマ人への手紙の10章9節(、10節)の所でこう言っています。
「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 」 こう書かれています。
人が何を語り告白するかによってその実を食べるとあるように、聖書は、イエス・キリストを人生の主として告白していく時に、「イエス・キリストを死者の中からよみがえらせてくださった神を信じて生きます」と告白していく時に、それは救いという実を得るのだと約束しているんです。人生には空しさをもたらす告白もあれば、永遠の変わることのない命に至る告白もある、ということを教えています。
「死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。 」
もう一度考えたいことばですね。
(PBA制作「世の光」2008.4.15放送でのお話しより)
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