写真の松明花は、2008年6月20日に撮影。
いかにも松明のような風情の花だ。
世界がややこしい状況になっている。
なかでも、グルジアの問題は危険な気配がある。
アメリカとEUが、ロシアと対決している構図だ。
新冷戦と呼ぶ人もいる。現にロシアのメドべージェフ大統領は、「冷戦も恐れない」と発言しているとか。
北朝鮮問題もややこしい。核問題も拉致問題も、前進してはまた後退する。かの国に、解決する気持ちがないようだ。外交の切り札に、核と拉致を使っているとしか思えない。
アフガニスタンの治安は、どんどん悪化しているとのこと。日本NGOの伊藤さんが、殺害されてしまった。誰がどんな目的でおこなった犯罪なのか。
そんな事柄が動いている世界にあって、日本はどんな対応をしようとしているのだろうか。。
私には、存在感ある日本を、いまだに実感できていない。日本の政治指導者から、確固たる発言はなされていない。
グルジア紛争に関し、福田首相は、「大変憂慮している。これ以上悪化しないよう、すべての当事者が自制することが必要だ」と、一通りの能書きを言っただけだ。
北朝鮮問題については、もっぱらアメリカと中国頼り。被害者家族会の動きのほうが、実践的で説得性もある。
なぜこんなに頼りない日本なのだろうか。なぜ存在感が希薄なのだろうか。
国内政治は党利党略に明け暮れ、論議の中心は、もっぱら選挙対策だけだ。どんなにきれいごとを言っても、政治家は当面の選挙のことしか考えていない。
年金問題はどうなっているのか。高齢者医療制度はどのように見直すのか。
呆れてものが言えない。いや、悲し過ぎて怒りの言葉も出ない。
こんな腑抜けな体制から抜け出すには、政治と官僚の体制を見直すしかない。
見直しの軸は、国家観や歴史認識、社会保障のあり方、教育問題その他。
大きい政府か小さい政府か。つまり、高負担、高福祉か否か。
そのためには、もう一度、日本の過去についてもしっかりと評価すべきなのだ。
従来の日本は、時には自虐史観、時には無関心、時には責任回避で過ごしてきた。
日本はなぜ戦争を始めたのか。なぜ戦争に負けたのか。東京裁判の意味するものは何だったのか。GHQによって何をを得て、何を失ったか。
その総括をすべきなのだ。そのうえに立って、今後の日本像を描くしかない。
従来の我が国は、いずれも中途半端。
保守派は保守派として言い放し。リベラルも保守派の批判に終始しているだけ。
平和憲法を死守していれば、平和であり続けられるのか。
日本国憲法の意味するものと今後の扱い。
国家像をどのように考えるべきか。
安全保障問題について、どのように考えるべきか。領土とは何か。
これらの問題について、我々は中途半端な処理しかしてこなかった。
外国の批判に対しては、もっぱら謝罪だけ。日本の外交は謝罪外交で終始してきた。
国の尊厳も顧みず、ひたすら謝罪を続け、解決を先送りしてきた日本政府のツケが、だんだん大きくなってきている。
戦争を経験した世代は少なくなり、GHQ統制の教育を受けた世代だけになってきている。
社会保障制度を論じるにしても、道路行政を論じるにあっても、根幹には国家像の論議がなければならない。
政治家は国家像を語れ。そのうえで、国の方策を決めていってほしい。
明白な松明を掲げるべきとの思いのもとで、松明花の写真を掲げた。
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