新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

国家像を語れ!

2008年09月01日 09時19分59秒 | コラム・エッセー

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 写真の松明花は、2008年6月20日に撮影。

 いかにも松明のような風情の花だ。

  世界がややこしい状況になっている。

 なかでも、グルジアの問題は危険な気配がある。

 アメリカとEUが、ロシアと対決している構図だ。

 新冷戦と呼ぶ人もいる。現にロシアのメドべージェフ大統領は、「冷戦も恐れない」と発言しているとか。

 北朝鮮問題もややこしい。核問題も拉致問題も、前進してはまた後退する。かの国に、解決する気持ちがないようだ。外交の切り札に、核と拉致を使っているとしか思えない。

 アフガニスタンの治安は、どんどん悪化しているとのこと。日本NGOの伊藤さんが、殺害されてしまった。誰がどんな目的でおこなった犯罪なのか。

 そんな事柄が動いている世界にあって、日本はどんな対応をしようとしているのだろうか。。

 私には、存在感ある日本を、いまだに実感できていない。日本の政治指導者から、確固たる発言はなされていない。

 グルジア紛争に関し、福田首相は、「大変憂慮している。これ以上悪化しないよう、すべての当事者が自制することが必要だ」と、一通りの能書きを言っただけだ。

 北朝鮮問題については、もっぱらアメリカと中国頼り。被害者家族会の動きのほうが、実践的で説得性もある。

 なぜこんなに頼りない日本なのだろうか。なぜ存在感が希薄なのだろうか。

 国内政治は党利党略に明け暮れ、論議の中心は、もっぱら選挙対策だけだ。どんなにきれいごとを言っても、政治家は当面の選挙のことしか考えていない。

 年金問題はどうなっているのか。高齢者医療制度はどのように見直すのか。

 呆れてものが言えない。いや、悲し過ぎて怒りの言葉も出ない。

 こんな腑抜けな体制から抜け出すには、政治と官僚の体制を見直すしかない。

 見直しの軸は、国家観や歴史認識、社会保障のあり方、教育問題その他。

 大きい政府か小さい政府か。つまり、高負担、高福祉か否か。

 そのためには、もう一度、日本の過去についてもしっかりと評価すべきなのだ。

 従来の日本は、時には自虐史観、時には無関心、時には責任回避で過ごしてきた。

 日本はなぜ戦争を始めたのか。なぜ戦争に負けたのか。東京裁判の意味するものは何だったのか。GHQによって何をを得て、何を失ったか。

 その総括をすべきなのだ。そのうえに立って、今後の日本像を描くしかない。

 従来の我が国は、いずれも中途半端。

 保守派は保守派として言い放し。リベラルも保守派の批判に終始しているだけ。

 平和憲法を死守していれば、平和であり続けられるのか。

 日本国憲法の意味するものと今後の扱い。

 国家像をどのように考えるべきか。

 安全保障問題について、どのように考えるべきか。領土とは何か。

 これらの問題について、我々は中途半端な処理しかしてこなかった。

 外国の批判に対しては、もっぱら謝罪だけ。日本の外交は謝罪外交で終始してきた。

 国の尊厳も顧みず、ひたすら謝罪を続け、解決を先送りしてきた日本政府のツケが、だんだん大きくなってきている。

 戦争を経験した世代は少なくなり、GHQ統制の教育を受けた世代だけになってきている。

 社会保障制度を論じるにしても、道路行政を論じるにあっても、根幹には国家像の論議がなければならない。

 政治家は国家像を語れ。そのうえで、国の方策を決めていってほしい。

 明白な松明を掲げるべきとの思いのもとで、松明花の写真を掲げた。

 

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