自民党総裁選が10日に告示された。
5氏が出馬し、舌戦が始まった。
マスコミによっては、大勢が決したような報道をしている。
昨日の昼食後、A氏と雑談をした。このA氏は、禁煙努力中のあのA氏である。
この時期ともなると、話題の一つは総裁選。
「拉致のことなど、誰も言いませんねえ」
A氏はそんな不満を述べた。「国家をどうするのか、5人の誰もが言ってないではありませんか」
立候補者の誰も、国家像について述べていない。そんな総裁選に、A氏は不満のようだ。
私もまったく同感だ。お茶を飲みながら、二人の意見が一致した。
少なくとも国家像の大骨について、語るべきだと思う。
憲法について、どのように考えるのか。
安全保障をどう考えのるか。
拉致問題をどのように進めようとしているのか。
領土問題をどのように処理するのか。
テロ対策に関する国際貢献をどう進めるのか。
教育問題をどのように改革するのか。
国民に訴える機会がある毎に、それらの問題を論じてほしい。
財政再建問題、景気対策、福祉問題など、論ずべき重要課題は山積している。もちろんそれも、国民生活に直結した重要な政策課題だ。おろそかにはできない。しかし、国のあり方すなわち国家像こそは、その根幹に位置する問題ではなかろうか。
拉致問題について、北朝鮮は妙な動きに変わってきている。首相が決まるまでは棚上げにしたいような素振りだ。そんな折であればこそ、毅然とした対応策を発信すべきなのである。
来るべき衆院選でも然り。
それぞれの党が、そして各立候補者が、あるべき国家像について、機会ある毎に訴えてほしい。
それによって、民意も高まっていく。
国家像を明確としない国家は、漂流しているようなものだ。いずれどこかの属国にされるのがオチだ。
日本の国を、漂流国家としないでほしい。
国民の切なる願いである。
休憩時間中、A氏とそんな話題で終始してしまった。
仕事場へ帰る途中、急な雨に襲われ、小走りに走った。久しぶりの走りであった。
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