農を語る

自然にやさしい不耕起栽培

岩澤信夫さんが残したもの

2013-09-16 11:31:25 | 日本不耕起栽培普及会

全国農業研究会からの依頼で書いたものですが合わせてここに掲載させていただきます。自動車やIT産業が主流の日本の中にあって弥生時代からの東アジアモンスーン気候型の稲作文化が日本人の食と生活を支えている。その技術を残していかなければならない。岩澤信夫さんはシンプルに米と大豆の栽培を伝えようとした。

 岩澤信夫さんが残したもの 

2013825 鳥井報恩 

 201254日、岩澤信夫さんが亡くなった。ここ数年、持てる力をふりしぼるかのように、福井、島根、岡山、長野、名古屋へと講演活動をくり返し、最後は佐倉の和田地区の限界集落にかよい、不耕起・冬期湛水の技術の普及に生命をとうじた。

岩澤信夫さんと全農研との関わりは、2003年佐原で大会を開き、メダカのがっこうの理事長中村陽子さんと一緒の活動を当時行っていた。

岩澤さんは不耕起栽培の実験を1983年スタートさせ、1993年・農文協から出版され、現在でも再版されている「新しい不耕起イネつくり」が普及の要となっている。

この年、東北には「やませ」が吹き込み、低温と台風の上陸による日照不足に悩まされ、作況指数74で、タイなどから輸入され、ウルグアイラウンドへとつながっていった。

不耕起栽培という言葉は、最初は福岡正信さんが使いはじめた言葉であったが、農水省が補助金を出して調査させて、公の市民権を得るようになった。

これは、不耕起の固い土に田植ができる、専用の田植機が開発されたことで、経営に組みする一般農家にも不耕起栽培の導入を可能とした。この田植機の開発も岩澤さんが、10年をかけてやっと実現させたものであった。

耕さない不耕起の技術は、当初根穴構造と言って腐植説に裏うちされた理論であったが、1996年、アメリカのサラ・ライト土壌生物学者が提唱する、グロマリン説におきかわり、蛋白質の排泄物を出すしん菌と言う菌根菌の働きで植物の根先に蓄積される。土が固いほどその反発で強く働く。耕さないことを3年、5年と続けることでグロマリンの含量が増え、米の味にも関係してくる。

岩澤さんの研究は東北地方の冷害対策がきっかけであり、元々多収穫技術の追究で、田植機普及とともに移植苗として2.5葉の稚苗が、播種して30日で育てられたが、それが病害虫にも弱く寒さに弱かった。結果として農薬と化学肥料、そしてトラクターによるエネルギーの多量消費となっている。

1980,83年の頃の東北地方の冷害に接し、農村を歩き、お年寄りが機械を使わず、むかしながらの苗代で成苗を育てて、4.55.5葉で田植をしたものが、冷害に強く、冷夏に耐えて平年作だったのを見て、田植機で育成できる、成苗の基準作りを検討し、現在の7080g/箱の適正な播種量をみいだした。

香取で不耕起栽培を続ける藤崎芳秀さんは1988年から岩澤さんとの連携の中、不耕起の水田を25年ほど続けている。

水田に水を入れることで、雑草が抑えられることを発見し、生き物との協調が生まれ、毎年コハクチョウの訪れる水田も7年前から実現している。新しい人の参入を期待しているが、除草対策で道が開けているとすすめている。

無肥料・無農薬を自然にやさしい方向での米作りも、安全安心の消費者の流れとなっているが、河川水の活用では用水に含まれる栄養分で肥料を与えなくても穫れるが、湧水だけの地下水利用では一定のボカシ肥を施すことが必要となる。また茨城と福島の地域にまたがる棚倉断層のミネラルの利用で米の味が向上する。

また、岩澤さんの進める冬期湛水・不耕起が基本であるが、周りの条件や土の条件によって湛水出来ない環境が多い、そのあたりの技術対応として、藤枝の松下明弘著「ロジカルな田んぼ」で、好気性、嫌気性で活躍するフワトロ層で雑草が抑えられる。表層耕起の大切さを伝えている。15年ほど前、岩澤さんの影響を受け、岩澤さんのなくなる3年前に再会し、乳酸菌除草をおそわった。湛水化ができない地域での技術のほり起しである。

最後に農業教育研究28号・2004の「多面的機能の検証-不耕起水田の可能性-中村治一」のまとめを読んで、農業問題と環境問題の接点を学校教育にどのように生かせるかを考えてみた。不耕起の研究集会を2年間続け、その後10年の月日を送っているが、おおきい変化は感じられない。農業の現場は高齢化がさらに進み、世代交代が必要となっている。

私自身、不耕起栽培と接して13年目である。時々小学生にイネ刈り体験や生き物調査で子どもたちに接する機会がある程度で、中村先生のように系統的な追求はしてこなかった。

慣行水田では、農薬、除草剤でせめていくのが常識で、藤崎水田の隣りは無菌に近い環境となる、これがごくあたり前の水田となる。

畑では、その農薬の散布回数が多くなる、栽培期間の仕事としては、農薬の散布がすべてとなる。

こうした中で、環境教育として、農業を使うことはできない。

藤崎さんの地域では、水田の基盤整理が昭和40年代初頭であったから、水田と排水路の高さには100cmほどあるが、それでも暗きょは入っていない。

だからメダカやドジョウ、タニシなど一担水田に入れば土水路に近い環境なので、越冬できる。

ドジョウなどは、中村さんの水田と同じで、10a16,000匹とか増殖する。

また、そこから3km離れた所に圏央道の建設予定地が線引きされていて、昔のまま基盤整備をまぬがれた地帯があり、この松崎地区の水田を1枚借りたことがあり、水路にかこまれた1反歩であったが、2年ほど作付けしたが、6月下旬に水路は一杯になるほど水田へ水が入ったが、その時、コイやフナが流入し、産卵前だったので水田の中は大運動会であった。土水路の意味がわかった。

メダカは、水路から水田、水田から水路へと行き来が自由で、こうなると地域の人たちも生き物に気をつかうことになる。

生物多様性のある水田というのは、こういうことであり、そうした環境での田植え、稲刈りなら、生き物の観察も可能であるし、安心して子どもたちを水田にまねきいれることが可能となる。

岩澤さんの残した技術、4.55.5葉の成苗を植えれば、健康であるから固い耕さない水田でもちゃんと育つ、農薬は必要ない、トラクターの操業も1/3,1/4ですむ、環境にやさしい農法となる。こうした技術の財産を次の世代に残していくために、今後も努力していきたい。


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