農を語る

自然にやさしい不耕起栽培

東京オリンピックの時代、環境汚染を肌で感じていた

2015-01-03 08:53:30 | 日本不耕起栽培普及会

東京教育大学農学部に在籍している頃駒場にいたが、朝起きるときれいなはずの空から油煙の粒が下りてくる。都会での生活はこれまでにしたい。自分の子供を育てていく環境として東京は選びたくない、地方へ行きたいという心境であった。本心としては千葉大の園芸学部の花キを選択し、教育大学で岡田正順先生を選んだのも、三河田原の伊良湖で電照菊の技師として働きたいという夢があったからである。しかし夢かなわず、マスターの院に1年残り受験の時期を伺っていた。そこに旭農業高校の、大学時代の同期生の梶谷正義先生から果樹の先生がいなくなり欠員が2つあいているので来てくれと誘いがあり、赴任することになり、それからローカルが良いと35年間居座ることになってしまった。1979年から現住所に居を構え、干潟町に100坪の菜園を1984年頃から所有している。しかしその菜園も現在は管理維持が大変になっている。主に小麦を育て、菜の花いっぱいの楽園を夢見ていたがコメ作りの時間、体力の衰えで難しくなっている。今年も正月休みぐらいと一日から刈り払いで篠だけを切り始めている。写真はつる性の草に覆われる菜園と百舌鳥のいる環境です。