29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

とある「博士号をもった司書」を偲んで

2016-11-21 22:18:01 | 図書館・情報学
  去る11月8日に気谷陽子先生が亡くなられた。享年64歳。僕は彼女の生前の最後の3年半ほどを仕事を通じて知っているだけで、このような話をネットで告知するようなかたちとなることには少々ためらいはあるのだが、彼女の講義を受けた人も多くいるはずであり、追悼の意味でここに記しておきたい。

  気谷先生は長らく筑波大学図書館に勤務し、その間に図書館情報学の博士号も得ている。実務経験と研究業績を兼ね備えた図書館の専門家だった。定年退職の前後から南関東のいくつかの大学で非常勤講師をはじめ、獨協大学、専修大学、聖学院大学など司書資格課程を置く大学で教鞭をとった。もっとも目立った仕事は、放送大学での講義「情報メディアの活用」の講師だろう。同タイトルの教科書では山本順一先生との共編著者として名を連ねている。放送大学での講義は今年7月末にも放映されており、それを見た知人は「おそらく撮影時期はずっと以前だろうが」と断ったうえで「お元気そうだった」と述べていた。このときはもうすでに体調を崩されていたのだ。

  文教大学では非常勤ながら2013年に司書資格課程を設置した時からの講師で、半期の授業を5コマ持って頂いていた。授業では大学図書館とコンピュータ教室を使ってベテラン司書のノウハウを学生に伝えていた。僕の母ほどの年齢だったが、受講生からは「かわいい」と評判だった。彼女も文教大の受講生の真面目な雰囲気を教えやすいと気に入ってくれていた。今年度初めの4月にガンで闘病中であることを僕に知らせてくれたが、投薬治療しながら日常生活を送り、前期は予定通り出講もするとのことだった。その際は血色もよく見え、いつもと変わりない印象だった。後期も1コマだけ出講していただいていたのだけれども、9月にお会いしたときは体調の悪い様子だった。そして10月に緊急入院した後に亡くなられた。

  文教大学でもうあと5—6年は一緒に働けると考えていただけに、とても残念である。始まったばかりで伝統も実績もこれからという本校の司書資格課程だったが、その船出に協力していただいたこともあって、僕としては感謝の言葉しかない。気谷先生、ご冥福をお祈り申し上げます。そして、ありがとうございます。
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ご当地ラーメンを求めて、ついでに日本図書館情報学会の集会に

2016-11-14 15:40:41 | 図書館・情報学
  先日、奈良にある宗教都市・天理市にご当地ラーメンがあると聞いたので、さいたま市からわざわざ食べに出かけた。ついでに天理大学で開催される日本図書館情報学会の研究集会にも顔を出した。

  さて、今回の日本図書館情報学会の研究集会は発表数こそ多かったものの、僕が見たかぎりでは質疑応答が低調で、議論が盛り上がっていなかった。会場から質問が出ないので、司会者が無理矢理尋ねたいことをひねりだす、というシーンをしばしば目撃した。これは、発表者が多くて会場が三つに分散してしまったため、一会場における聴講者数が少なくなったせいだと思う。やはり一会場にある程度の人数が集まるようしたほうがいいんじゃないかな。あと、巨大な研究テーマの一部分を切り取っての発表というのがけっこうあって、その切り取った範囲ではコンパクトにまとまった発表であるものの、発表者の全体的な研究計画やコンセプトがわからなくて、聴く方の関心に訴えてこないというケースも少々あった。「その研究にどういう意義があるんですか」(悪意なし)とわざわざ説明を求めるのも野暮に感じてしまうのだが、尋ねたほうがいいのかな。だが、そもそも発表者が発表の中できちんと説明すべきことだとも思う。

  以下、印象に残ったものをあげる(敬称略)。まず、長谷川哲也(静岡大学)と内田良(名古屋大学)の「国立大学図書館における図書資料費の変動に関する社会学的研究」。ミーハーなので、発表者の片方は組体操批判の茶髪の先生だ、と思いながら聴いた。教育社会学分野から越境してきての発表であり、資料費の経年変化を示すデータの解釈についてアドバイスを求めに来たというスタンスだった。国立大を3ランクに分け、ランクの高い大学の資料費は維持されているが、低い大学ではそうではなく、格差が広がっているという。うーむ、ここで格差か。文科省がよこす国立大学関連予算の総額ではなくて、大学間格差を問題とするとなると、高ランク大の予算を削って低ランク大に渡して平準化したほうが良いという話に向かうように思える(もちろん発表者はそんなことは言っていない)。危機感は伝わったので、大学間格差についての説明があればもっとよかっただろう。

  次に、宮本剛志(日本大学)の「国立国会図書館における資料利用制限措置」。発表者はかつて国会議員の秘書だったとのこと。その立場で国立国会図書館に通ううちに閲覧制限の存在を知ってしまったという。現在、児童ポルノに該当する「おそれ」のある本は、閲覧制限がかかっていて、一般利用はできない。さらに、そうした本の書誌も目録から抹消されており、存在自体を確認できないようになっている。発表者が情報公開の手続きを経て該当文献のリストを求めても、タイトルを特定できないよう黒塗りで書類がでてきたという。この児童ポルノに該当する「おそれ」の判断は館長の名の下、国立国会図書館内で行われている。この処置は妥当か、またこうした処置を判断する手続き自体が妥当なのかと、二つのレベルで問いを投げかけるものだった。国立国会図書館側にも言い分はあるだろう。しかし、そんなことがあったんだということを示してくれた点で興味深い内容だった。

  三つ目は手前味噌だが、安形輝(亜細亜大学)ほか「公立図書館における図書購入の実態」。焼肉図書館研究会案件である。全国の公立図書館中央館に、どこから資料を買っているか、割引率はいくらか、装備付きでの納入か、などについて尋ねたものである。結果、8割の図書館が、装備有定価、または割引のみ、装備有でかつ割引有など、なんらかの割引を受けていた。割引率はばらついており、20%を超えるところもある。割引率の高い図書館は、規模の大きい南関東圏の図書館であり、地方の小規模な図書館は装備無の定価で買わされている。こうしたシビアな現実が明らかになった。会場から、そんなの当たり前だというコメントも出た。そうかもしれない。公共図書館も資本主義の秩序にまきこまれており、出版社のある東京に近い地域の図書館は割引を受け、遠い地域の図書館は輸送コスト分を負担する。大口顧客は安く買える一方、小口の顧客は定価購入だ。しようがないね、というわけだ。その妥当性について判断するつもりはないのだけれども、図書館関係者はもう少し「金の話」をしてもいいのではないかと思う次第。

  あと、今回の旅のメインだった天理ラーメンの件。天理スタミナラーメン本店に行って食べてきた写真が下。チャーシューメンである。とんこつと鶏がらを出汁にした辛口のスープに、白菜とチャーシューという構成。同席した「ラーメン二郎派」の重鎮と、いったいどちらが健康的なラーメンかを巡って論争となった。


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2016年度の三田図書館・情報学会研究大会に参加して

2016-10-31 12:23:23 | 図書館・情報学
  先日29日、三田図書館・情報学会の研究大会のために慶應義塾大学に行ってきた。ただし、聴くだけの立場であり、お気楽な参加者にすぎない。今年の研究発表のうち、特に午後の最初のセッションの三つの発表はとても面白かったので、順に紹介しようと思う。

  まず薬袋秀樹先生の「公共図書館の貸出が図書の販売に与える影響に関する議論の特徴」。パワポなしの原稿読み上げによる発表だったが、予稿に十分な記述があったのでよくわかった。出版社側の図書館批判をよく検討してみると、その主張の範囲はエンターテイメント小説の貸出に限られているという。しかしながら、図書館関係者側──松岡要、常与田良、田井郁久雄の三人が俎上に載せられている──による反論は問題を書籍一般に拡大しており、回答にズレがある。そして、小説に限れば、諸調査は「図書館による売上への影響を小さく見積もってもよい」という考えを必ずしも肯定するものではないことを示唆している、と。なるほど、これについては僕も挙げられた三氏と似たような現状認識(処方箋は別として)だったので、提起された問題をきちんと受け止めたい。

  その次が安形輝先生ほかの「日本の公立図書館におけるマンガの所蔵状況」(これは焼肉図書館研究会案件ではない。念のため)。これはマンガは図書館に所蔵されているか、また所蔵されているのはどのようなマンガなのかについて、日本全国の図書館所蔵を調べた研究である。出版点数に比してマンガはあまり所蔵されていないという結果は予想できたことだが、「所蔵されているマンガは判型A5判の大人を対象としたものが多い」というのは意外だった。特に、ストーリーものではなく、小林よしのりや西原理恵子といったエッセイ系が相対的に多く所蔵されているとのこと。手塚治虫ではなかったのか。ちなみにもっとも多く所蔵されていた著者は"バラエティアートワークス"だという。知ってる?名著を漫画化した文庫版「まんがで読破シリーズ」のプロダクションといった方がよくわかるかもしれない。

  三組めが上田修一先生の「大人も本をよまなくなったのか:1979年の2016年の調査の比較」。2016年のオリジナルの調査と、1979年の内閣府による調査を比較して、20歳以上の大人も読書しなくなっているのかについて検討している。読書冊数や読書の中身にはこだわらず、読者/不読者数をカウントして比較しているが、意外にも2016年において読者の割合は減っていないという結果となった。1979年の年齢階層別のデータは、年齢が上がるにつれて不読者となる傾向があることを示している。だが、2016年のデータでは50歳以下の各グループは軒並み読者率40%を示しており、以前にあった傾向は見られないという。「昔の大人がよく読んでいた」という一般に流布したそもそものイメージが幻想ではないか、という会場からの指摘も含めてなかなか啓発的だった。

  以上。なお、同じセッションの最後の発表、筑波大の大学院生・松山麻珠氏の「表示媒体とインタラクションの組み合わせが誤りを探す読みに与える影響」はベストプレゼンテーション賞に選ばれている。あと、西川和先生が論文「英米における西洋古典籍の総合目録の作成規則の変遷とその理由」を理由に学会賞を受賞しているのだが、所属大学の営業がてら彼の所属を「慶應義塾大学大学院」ではなく敢えて文教大学非常勤講師と記したい。
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岐阜で図書館員向け研修会講師を務めて

2016-06-04 21:30:51 | 図書館・情報学
  昨日、岐阜県図書館主催の県内図書館の研修会で講師を務めた。お題は「蔵書構成」。我らが焼肉図書館研究会の実証研究の紹介という発表内容をまず考えたが、依頼は『情報の評価とコレクション形成』(勉誠出版)の僕の担当部分を読んで決めたとのこと。あの本で29lib実証編を綴った大谷さんではなく、わざわざ僕に指名がきたわけだから、理論編でいくことにした。話のベースにしたのは前任校での紀要論文「図書館の公的供給:その理論的根拠」(CiNii)。あれを口頭でわかりやすく説明するのはとても難しい作業で、実際難しかったという感想をもらった。また明快な資料選択の方向性を与えたわけでもなく、聴講者にはどうにももどかしい話だったかもしれない。

  ただし、資料選択が図書館の目的と直結しており、現在その議論が空白状態になっている点については納得していただけたのではないかと思う。図書館関係者にはよく知られていることだが、1980年代から90年代は要求論の時代だった。「知る自由」を根拠として、利用者に図書請求権を認め、たとえ所蔵がなくても草の根を分けても資料を探し出すと主張された時代だった。それが今世紀になると、利用者に資料所蔵を請求する憲法上の権利は存在しないという認識がコンセンサスとなり、ただし所蔵された資料に対する図書館員の裁量は認めないという線にまで後退している(代表的なのは松井茂記)。図書館の目的を規定していたはずの権利アプローチが戦線縮小してしまい、資料選択は戦域から外れてしまったわけだ。ならばどういう目的で図書館に資金が与えらえるのか、またどういう原理で本を選ぶのか、これについて再び考えるべき時代となっている。

  雑談の中で知った話だが、リニュアルした岐阜市立中央図書館がマスメディアによく採りあげられる存在になってしまったがために、周囲の図書館がプレッシャーを受けるようになったとのこと。首長や地方議会の議員から、うちの図書館も何かやって目立てと言われるようになったそうだ。そのためには先立つものが必要なのだが…。
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「教養主義を克服して利用者志向の図書館を」という繰り返される話

2015-11-30 10:34:13 | 図書館・情報学
  山口浩「「TSUTAYA図書館」と「図書館論争」のゆくえ」(Synodos, 2015.11.27)という記事を読んだのでコメント。TSUTAYA図書館からはじまり近年まで図書館利用者の偏りまで多岐にわたって図書館問題を指摘する長い論考である。著者はH-Yamaguchi.netの方ようで。

  僕が専門家ぶるのも気が引けるが、少々補足したくなる点があった。著者は図書館について建設的な態度で提言してくれている。この点は評価したい。けれども、著者のアドバイスは特に目新しいものではなく、「そういう考えではまずいのではないか」と近年の図書館関係者が見直してきた考えそのものだ。記事中、要点の一つとして"19世紀の技術と社会を前提とした生まれた現代の図書館のあり方は、それらが大きく変化した21世紀の状況に合わせて変えていく必要がある"と掲げられている。これと似たような話は、図書館関係者ならばさんざん内輪で聴かされてきただろう。そもそも啓蒙・教養志向図書館観vs.現実のニーズという図式自体は、1990年前後に貸出サービス肯定論として一部の図書館員が掲げ、前者を克服して後者を止揚するために使用されたものだ。(なお図書館の選書の世界ではニーズと需要は別物だが、以下ではごっちゃにして記す)。

  著者によれば、サービス提供者である図書館員と住民が図書館に求めるニーズにミスマッチがあるという。この認識は正しい。ただ、こうした認識から誕生した初の図書館が武雄市図書館、というわけではなくて、貸出サービスを主に据えた全国各地にあるような今の公共図書館がそれにあたる。これらは1970年代以降に設置されており、「無料貸本屋」と批判された2000年前後を越えて現在までその基本的な方向性を維持している。啓蒙志向の古めかしい図書館の克服という話はつい最近登場したものではなくて、40年の歴史があるのである。図書館利用者層が特定の層に偏っているという話も、米国では1930年代末から繰り返されており(参考)、日本でも1980年代頃から確認されてきたことである。近年の調査でなおも利用者層が限定的であるということは、19世紀的な図書館の限界を表しているということではなくて、開館時間が拡大されかつ蔵書も大衆的になった現在の図書館でさえこの程度、というように解釈すべきものなのだ。(利用者層の偏りは近年流行の滞在型図書館でもおそらく克服できないだろう)。

  以上を踏まえた上で、現在満たしているニーズ以上の、さらなるニーズを満たすというのはどういうことかということを、納税者として図書館に関与する人には考えてほしいと思う。無料貸本屋論で懸念されたのは、貸出が図書館の業績評価の最大の指標となっていることだけではなくて、図書館サービスが民間サービスをクラウンディングアウトしているという点にもあった。その議論で直接問題視された新刊書籍市場に対する図書館の影響は明らかではないが、たぶん影響は大きくないけれども、ゼロだとは言えないだろう。また、図書館は本とは無関係なその他の余暇サービスとも競合する。無料でかつアメニティが高いならばなおさらだ。さらに多くの来館者を呼べる、すなわちより多数の住民のニーズを満たすという理由で、民間ビジネスと競合する領域に行政が参入するのを正当化していいものなのだろうか。

  民間委託されようが図書館は公営である。近所に本屋が無い、あるいはスターバックスがないからという理由で、どこまで行政がそれらを代替していいのか。10代男子が図書館に来ないからといって『少年ジャンプ』を図書館に置いてよいだろうか?あるいは将来、仮に法律が変わって有料サービスが可能になるかもしれないとして、ニーズがあるからという理由で、アダルトビデオやレンタカーを、民間サービスより少し安い値段で図書館が提供するというのは肯定できるだろうか。もしかたしたら住民の間で多数決を採れば上のようなことが支持されるかもしれない。けれども違和感は無いか?公と民の間にはどこかに一線があるはずだ。その一線を守ろうとすると、図書館はそんなに多様になれないかもしれない可能性がある。

  ただし、公と民の間の一線がどう決定されるかについては議論があるようだ。著者の言うように住民のニーズ(記事では利用者のニーズなのか有権者のニーズなのかが曖昧だが)によって、民主主義的に意思決定されるという立場もありうる。その場合は、支持さえあれば図書館はどんなサービスでも提供できるだろう。「足による投票」論もそういう発想にあり、地方自治体レベルではそれで問題がないのかもしれない。

  一方で、私的領域に民主的意思決定が侵入するのを制限しようとする立場(いわゆる「立憲主義」もそう)もあるわけで、この場合には公立図書館のやることは限界づけられなければならないということになる。このとき、公的供給される図書館がどうしても民間の領域を侵してしまうことを説明する必要が出てくる。そこで「民間では供給できないことを図書館がしている」という論理を展開することになる。そういうわけで教養だとか文化という理念は今でも重要なのだ。それらを高邁で不毛という理由で捨ててしまえば──すなわち世に存在する書籍の間に価値の違いはない(あるいはあらゆる余暇の間にもない)という価値相対主義的な立場をとるならば──、図書館はかつて貸本屋がやってたことを奪って大規模にやっているだけの、不効率な官製ビジネスにすぎなくなる。

  図書館の話の基本に据えるべきことは、民間が参入したくなるような価格で読書機会を供給しようとしても、需要はとても小さいという点である。ニーズや需要を根拠にできるならば、CCCは代官山蔦屋をモデルとした書店を自身の投資で武雄市や海老名市に建てただろう。しかし、図書館とは税金によって建設され、サービス価格を無料にまで押し下げてやっと利用者が出てくるという代物である。公立図書館がやっている共同書庫および資料閲覧と貸本サービスというのは、民間業者ならば採算が合わないからと手を出さないビジネスだ。けれども必要だからという理由でわざわざ公費が投入されているのである。なぜか?と問われて、「文化」「教養」あるいは「情報」「権利」という理念が出てくる。現実の図書館を知っていれば、そうした理念を馬鹿馬鹿しいと思う人もいるかもしれない。実際、達成されているかどうかも怪しい。もしそういう疑問を持つならば、民間委託を唱えるよりも公立図書館不要論を唱えたほうが潔いと思える。もはや図書館を公的供給する根拠が崩れているからだ。

  以上は僕の考えではあるが、現在の一部の図書館関係者の間になんとなく存在するコンセンサスを反映してみようと試みたものだ。図書館におけるニーズへの対応という話をするならば、やはり行政サービスでどこまで応えてよいかについて著者の考えを披瀝してほしいと感じる。一応、著者は記事の最後で図書館関係者が支持しそうな理念で議論をパッケージしている。だが、重視されるのは「利用者(または有権者)の選択」だ。そして、ニーズへの対応という話ならば、民間に任せたほうがよい、ということになるのではないだろうか。いや、個人的にはカフェや書店が併設されていても、個人情報が少々抜かれようと大きな問題ではないと考えるので、武雄市図書館に関する話に限れば著者と評価はそう変わらないのかもしれない(蔵書と分類を除く)。しかし、「利用者の選択」に同意しろというならば、それは図書館と利用者だけの問題ではなくて、さまざまな民間サービスも巻き込む問題であって、軽々しく「そうですね」と頷くことができないところなのだ。

  以上。でも上の記事は、これまでの図書館関係者の間で交されてきた議論を知らない人が見ると事態はこういう風に見えるということがよくわかって興味深かった。
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全国図書館大会と日本図書館情報学会と連続して

2015-10-19 08:03:15 | 図書館・情報学
  10月15日~16日に全国図書館大会があって、出版流通部会の委員として参加した。場所は代々木公演にある国立オリンピック記念青少年総合センター。割り当てられた教室には、天井からぶら下がったプロジェクタが備え付けられていたのだが、壊れていて映写できない。代わりに可動型のプロジェクタが貸与されたのだが、パワポを収めたパソコンを会場中央のプロジェクタ脇に置かなくてはならなくなり、登壇者と距離ができてしまった。主催者側の我々も遠隔操作用の装置を準備していなかったので、パワポ操作を別の人に頼むか、またはステージから降りて登壇者自身で操作しなければならなくなってしまった。このためページめくりがスムーズにゆかないことがあり、進行に時間がかかり、説明を端折らなくてならない場面がたびたび発生した。このためちょっとした事件が発生してしまったのだが、詳しくは書けない。とにかく、登壇者および参加聴衆に対しては非常に申し訳なかった。参加聴衆には意外にも若い人が多くて、この業界の代替わりを感じた。ただ昼食会場はそんなでもなくて、この印象はうちの部会だけなのだろうか。

  翌17~18日は日本図書館情報学会の研究大会。会場は学習院女子大学。初日に発表者として参加した。発表に対しては手厳しい批判を頂戴することになったのだが、うまく返せなかったのが心残りとなった。簡単に説明すると、図書館所蔵を説明する需要の指標を二種類用意し、それぞれを使った二つモデルでその影響を分析した。このうち一つの数学的処理の仕方がおかしいと批判されたのだが、この点は分かる。だが、これを理由にさらに結論は信用できないと彼はたたみかける。これについては理解できなかった。そうかな、処理法を訂正しても大きな変動が予想されるものではないし、それとは無関係にもう一つの需要の指標を使ったモデルは有効なままである。また、結論と言っても三点提示しており、上の話はうち一つに影響するだけ。主は調査結果の提示でありこれは頑健である。というわけで、研究全体を揺るがす問題とは考えていない。まあ、統計処理については精進しなければならないな。なお、学会のほうは参加者にあまり若そうな人がいなくて、よく見知った面子だらけだった。この分野は魅力ある研究テーマを提供できていないのかもしれない、という危惧も覚えたが、たまたまかもしれない。

  学会では不可解なことがあった。学会懇親会で見知らぬ年配女性が僕に声をかけてきたのだが、何か批判をしたかったらしい。憎々しげに「あなたの発表でジュンク堂とあったのはおかしいわよ。今は丸善ジュンク堂が正しいの。はっきり言って安易だわ」と言われた。しかし、僕は一言もジュンク堂に言及した覚えはない。「へ?それって僕の発表ではありませんよ。別の人のでしょう」と訂正したところ、謝られた。発表者の顔とスライドって一致しないものなのだろうか。と、いぶかしんでいた翌日、会場のトイレで今度は知人男性から「大場さんが質問したあの発表者は~」と話しかけられた。よくよく聞いてみると、僕が昼食に行ってしまって聴講していない発表だった。一体誰と混同しているのか。ドッペルゲンガーでもいるのだろうか。そうだとしたら、学会に顔を出さないほうが安全だな。遭遇したら死んじゃうんでしょ。
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CCCによる海老名市立図書館のための選書リストを見て

2015-09-23 11:57:01 | 図書館・情報学
  このブログで7月始めに新小牧市立図書館計画に対するお気楽な記事を書いた。その直後の8月に武雄市図書館での選書問題(参考 1 / 2)が持ち上がり、小牧の新図書館にも関わるCCCの姿勢が疑われた。そういうわけで、故郷の図書館の動向を注視していたが、反対派が計画白紙化を訴え、これを争点に住民投票が実施されることになったようだ1)。それでも「TRCも噛んでいるのだし、武雄のようなことにはならないのではないか」と僕は楽天的に考えていたのだが、甘かった。

  小牧市と同じくTRCとCCCの共同事業体による海老名市立図書館について報告した数日前のハフポの記事2)によると、“海老名市議会で明らかとなったCCCの選書リストは約8300冊におよぶが、現在は流通していない古い雑誌や通常では選書基準の対象外となる書籍が一部含まれていた”という。CCCだけで中央館向けの選書をしたわけね。で、武雄と同じようにネットオフ経由で売れ残りの中古本を掴ませようとしているのに市議会が気づいて、選書のやり直しを求めている、と。

  市会議員によって海老名の選書リストも公開されている3)。その議員曰く“ほとんどが料理法(グルメ紹介)、旅行本、おしゃれの本ばかりです。子供たちやお年寄りが楽しみにしていた児童書(絵本・おとぎ話)や文学書(小説・歴史書)などは見当たりません”。加えると、生活・趣味系の本も多い。数冊ばかり「記号論」系の本も入っているが、今さらだな。全体として「古書店でプレミア価格が付かない本が大量にある」という印象。古さよりも偏りの方に驚くが、既存の蔵書に少ない領域の穴埋めというスタンスなのだろうか。とはいえ、リニュアル時にわざわざ買い足したのがこれらか、という失望感を感じる人がいるのはわかる。あと、本表中の「本体価格」とはこれら中古本購入の際の評価額なのか?だとしたら高すぎるだろう。

  こうした惨状から指定管理者悪玉論みたいな論調も見られる。気持ちはわかるが、常に指定管理者が酷いわけでもないだろう。TRCだって「不要な本を押し付けてくる」という批判がないわけではないが、一応「適正な公費の使用の範囲内である」と言い訳できるレベルの本を納入してくるようである(ただし要検証)。一方、CCCはもっと基本的な面で問題がある。まず、選書能力に欠ける(ビッグデータはあれど分析能力がない)ように見えること。次に、一見さん相手の搾取ビジネスのように振る舞い、長期的な信頼関係を構築するつもりがないように見えること。これは公共図書館の目的とか、公的機関の取引相手としての適性云々以前の段階の話であって、通常のビジネスにおいても警戒すべき取引相手ということである。そういうわけでCCCには短期にも長期にも選書に関与させないほうがよいと今は考えている。

  また、自治体の直営館に過大な幻想を持つのも禁物である。貴重な資料を捨ててしまう可能性があるというのは、日本の図書館一般にある危険である。また、公共図書館にあまり知的な本が無いように見えるというのも同様。これらは1960年代の図書館思想に遡る問題で、CCCが引き起こした一連の騒動を扱うには問題のサイズが大きすぎる。もちろん、図書館思想に関心を持ってもらう機会として歓迎したいところだが。

-----------------

1) 小牧市 / 新図書館建設計画を白紙にすることに関する住民投票条例制定請求について
  http://www.city.komaki.aichi.jp/14544/014545.html

2) Chika Igaya / 海老名市立図書館、選書やり直しへ 武雄市図書館問題が「飛び火」
  http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/18/ebinashi-library_n_8157396.html

3) 海老名市議会議員 山口良樹 / 議会リポート
  http://www.yoshiki-yamaguchi.com/report7sokuho.html
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武雄市図書館リニュアル時の選書問題についての雑感・補足

2015-09-07 14:23:22 | 図書館・情報学
  前回のエントリの補足。武雄市図書館の選書の件で、疑問をもったのはこれまでCCCが集めてきたデータの扱いである。CCCはビッグデータビジネスの企業として、Tカードだけでなく全国に書店を抱えてPOSデータも集めているのだから、地方小都市の図書館を(知的かどうかは別にして)十分に受け狙いの軟派な品揃えに変えることもできたはず。しかし、リニュアル時の選書はそういう水準にも達していない。いったいビッグデータはどう活用されていたのか。もしかして、CCCは分析能力があまり高くないのではないか、という疑いを持った。

  ネットで記事を探したところ、以下のようなジャーナリスト西田宗千佳のコメントが見つかった。
"Tポイント運営におけるツタヤは、本質的には"ポイント屋さん"です。彼らがやっているのは、ポイントやクーポンと引き換えに利用者の属性データを集めるシステムを多くの小売業者に提供しているだけ。収集データ量としては確かに膨大ですが、ビッグデータ処理といえるほど分析の成果が出ているように見受けられません"1)
  印象論で根拠は示されていないのだが、武雄市図書館の件を見ればさもありなんである。

  第二の可能性として、CCCの指定管理を請け負うチームはそもそもビッグデータなんか扱っていなかったということも考えられる。依頼した武雄市側は当然CCCの情報分析力を期待しただろうけれども、CCC側は図書館運営をもっと気軽に考えていたのかもしれない。そうすると、CCCは「常にデータを見てプロジェクトを進めるわけではない」企業ということになり、顧客になる企業・自治体はきちんとデータに基づいた運用をしてくれるのか契約時に確認したほうがいいだろう。

  第三に「アメニティの向上だけで客は入る、蔵書なんかどうでもいい」というのがデータ分析の末の結論となった可能性もある。そうすると武雄市図書館は、近年流行りの「滞在型図書館」とか「サードプレイス」型図書館の方向性を極端に推し進めた帰結と見ることもできる。実際リニュアル初年度は、アメニティ目当てに利用者が来たわけだ。こうした結論に基づいてやっているのならば、居直って反論してくれてもいい。「ノルマとなっている入館者数に大半の蔵書は影響しません」と。もちろんそこで話が終わるわけではなくて、武雄市にとどまらない公立図書館論として議論が続くこととなる。でも、指定管理者となる前にそんなデータが得られるわけはないのでこれはないか。

  というわけで、ろくな分析ができなかったか、またはデータなど見なかったのどっちかだろう。ビッグデータをウリにしながらこういう商売のやり方で、長期的に売上に影響がでないのだろうか。

  
1) サイゾーpremium "ツタヤはただのポイントシステム屋さん!? ビッグデータ活用の本当の難しさとは?"
  http://www.premiumcyzo.com/modules/member/2014/01/post_4859/
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武雄市図書館リニュアル時の選書問題についての雑感

2015-09-02 16:27:32 | 図書館・情報学
  『週刊朝日』9月11日号の記事“武雄市TSUTAYA図書館 関連会社から"疑惑"の選書”を見た。武雄市は、市の図書館の指定管理者としてTSUTAYAの商標を持つCCCを選定し、13年度にリニュアル開館する際に、CCCの子会社のネットオフから1万冊ほどを蔵書として購入していた。ところがその選書リストには、「Windows98」や「2001年の公認会計士試験」を主題にする古すぎる本や、『ラーメンマップ埼玉』のような地域的需要が乏しいと思われる本が含まれていた。記者がリストから100冊を選んで、ネットオフでの価格を計算したところ、大半が108円の本で、平均価格272円だったという。ネットオフの売れ残り本を公費で引き取らされたのではないか、というわけだ。一方で、同じタイミングで貴重な郷土資料が廃棄されていたという。

  選書リストは8月中からインターネットに出回って騒ぎになっていたので、僕も見たことがある。大半は小説類で僕にはその価値がわからなかったが、上記のようなパッと見で賞味期限切れであることや場違いであることが明らかなタイトルもけっこうな頻度で含まれていた。僕が読みたくなるような本は無かった。いらない本を買わせたという疑惑はたぶんそうなんだろう。武雄市図書館に対しては、売れる本は販売して、保存向きの資料は図書館が持つという役割分担への期待をかつて抱いたことがあった(参考)。だが、どうやらCCCにはそうしたコンセプトがないということがよくわかった。当初の、既存の図書館のコンセプトの延長(参考)という見方に戻すことにする。

  ただし、書籍の納入業者が図書館購入で儲けようとするのはそんなに珍しい話ではない。条例や慣習のため、自治体域内の小売書籍店を納入業者としている公立図書館はわりとある。そうした業者が図書館との競合を避けるために、「売れている本の納入を意図的に遅らせる」とか「売れ残り本を選書用にサンプルとして送ってくる」というのは昔からある話だ。とある新興大学では、新設の学科設置のために指定管理までを請け負う大手の新刊書店に図書館用の本の選書を依頼したのだが、2001年以降の新刊で取扱可能な書籍だけでできたリストが出てきて、教員らが頭を抱えていた。新刊書店に頼めば当然そうなる。学部新設の時は神田の古本屋に頼むのが常識だと、その昔恩師に教えてもらった。

  民間業者は利益を追求するもので、図書館が選書の権限まで彼らに譲ってしまうならば、こういう問題は起こりうる。だが、武雄市図書館のケースは目立って特殊で、指定管理者一般にあるような問題でもないように感じる。「在庫処分」感が露骨すぎるのだ。前段の他の業者のケースは、少なくとも図書館に相応しくない本を購入させようとしていたわけではない(ように見えるけれども、実態はどうなんでしょうかね?図書館員の皆様)。通常の業者は、「書店と図書館の役割は違う」という棲み分け論にのっかって、需要の劣る本を巧妙に図書館に買わせてきた。ところがCCCの場合、業者にとってだけでなく図書館にとっても不要な本を押し付けているわけで、その選書を信頼できないものにしている。今回の件が指定管理業への進出に影響するならば、その私利の追求の仕方は下手くそだったということになるだろう。CCCが学習してくれるといいが。
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JSLISには「論文」以外の投稿区分もあってですね

2015-06-01 14:11:47 | 図書館・情報学
  『日本図書館情報学会誌』の編集委員をやっているのだが、先日投稿規定を検討する機会があった。「論文」と「書評」たまに「研究ノート」という3つの原稿区分の記事が載るというのが最近の掲載状況である。しかし、規定上の原稿区分は実際は8種あって、他に「文献展望」「文献紹介」「資料紹介」「資料」「会員の声」がある1)。これらはあまり使用されていない区分ながら、今後もっと掲載をすすめてゆきたいというのが編集委員会のコンセンサスとなっている。

  「論文」と「研究ノート」以外の原稿区分は、編集委員会が内容をチェックするのが基本で、必要に応じて外部の人にチェックを依頼するということになっている(手続規定ではこれらチェックに対しても「査読」という語彙が使われている)。したがって、これら区分は相対的に掲載のハードルが低い。編集委員は基本「載せたがり」であるのだ。このうち「文献展望」は気軽に書けるものではないが。一方、「書評」や「文献紹介」「資料紹介」などは比較的書きやすいと思う。書評は今のところ依頼原稿がほとんどだが、投稿も受け付けている(実際ごくたまにある)。同一書籍に複数の原稿が寄せられた場合の規定は特にないので、そのときは複数本掲載することになるだろう。

  区分のうち一番書きやすそうなのが「会員の声」である。「会員の声」は、他誌では「編集長への手紙」あるいは「レター」に相当するものだ。規定に従えば“図書館界のあり方、研究のあり方、学会誌の編集、学会誌掲載論文・記事、学会発表、学会主催シンポジウム等に関する補足、質問、意見、批評などする”もので、分量は学会誌2ページ以内ということになる。「以内」なので1ページでもいいはず。他誌でもこの種の記事がしょっちゅう載るというわけではないけれども、掲載論文に対する反論などに使用されたりすることが主のようだ。ワトソンとクリックによるDNA二重螺旋構造発見の最初の記事も、論文ではなくレターだったはず。

  というわけで、会員の皆さま、誰か「会員の声」を書いてみませんか? 手始めに先日の春季研究集会に対する感想や、学会誌掲載論文に対するコメントあるいは補足などでも。業績にはならないのだけれども、学会や学会誌掲載記事に何事が言いたくなることってあるでしょ。前例がないので編集委員会も手探り。中身を見て決めるので必ず載せると保障はできないけれども、できるだけ採りあげたいという方向にあるのは確かです。

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1) 『日本図書館情報学会誌』投稿規程 http://www.jslis.jp/journal/c_reg_130831.pdf
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