失墜への道を歩き出した共産党主導の野党連携

失墜への道を歩き出した共産党主導の野党連携


市民連合と野党4党が政策合意し、次期衆院選へ連携を強化していくことになった。野党4党とは立憲民主、共産党、社民党、れいわ新選組である。共産党が悪の政党と敵対視した維新の会と国民民主党を除いた野党4党である。市民連合は共産党の政治と表裏一体といってもいい。というより、共産党の支部団体的存在である。


市民連合は2015年9月19日に国会で可決成立した安全保障関連法案に反対し、法案の廃止を目指して結成した5つの団体である。
・安全保障関連法に反対する学者の会
・立憲デモクラシーの会
・戦争させない、9条壊すな!総がかり行動実行委員会
・SEALDs
・安保関連法に反対するママの会 


 安全保障関連法案に徹底して反対したのが共産党である。安全保障は自衛隊が米軍などの外国の軍隊と訓練することができる。外国軍との連携できる安全保障を共産党は廃案にしたかった。だから、他の野党と積極的に連携していった。しかし、安倍首相の時に法案成立した。法案を廃棄するには国会で反対議員が過半数にならなければならない。共産党は法案を廃棄するために野党共闘を目指した。共産党が他の政党と連携するのは初めてだ。
 市民連合は安全保障関連法廃止を主張する5つの政治、市民団体によって結成された組織である。共産党と全く同じイデオロギーの団体である。
 市民連合が野党連携の政策の中心である。ということは安全保障廃止が4野党の政策の中心になるということになる。それはおかしい。


 維新の会を除外し、安保法制廃止に固執する4野党の連携は絶対に与党になるれない。むしろ、議席を減らしていくだろう。共産党に引きずられている4野党連携は失墜の道を歩み出している。
自民党は裏金問題で支持率ががた落ちしている。政権危機をマスコミは騒いでいる。しかし、裏金は政治問題ではない。スキャンダルだ。4野党連携のほうが深刻な問題である。

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内閣支持率最低、5閣僚裏金発覚 しかし自民党は安泰 共産党のお陰

内閣支持率最低、5閣僚裏金発覚 しかし自民党は安泰 共産党のお陰


 岸田内閣の支持率は5.3ポイント急落し、17.1%になり、内閣の「危険水域」と言われる3割を2カ月連続で割り込んだ。支持率が2割を下回るのは、民主党政権が誕生する直前の9年の麻生内閣(13.4%)以来。支持しないは、71.9%だった。

「危険水域」であるのに加えて自民党の派閥で政治資金パーティーの収入の一部が、収支報告書に記載されていない裏金問題が浮上した。安倍派では議員に1,000万円を超えるキックバックがあった。安倍派の閣僚、副大臣にも裏金が渡っていた。裏金を認め4閣僚・5副大臣含む安倍派の計12人が辞表を提出した。
自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐる問題で、東京地検特捜部は、早ければ14日にも安倍派への強制捜査に乗り出す。
支持率最低に加えて派閥の裏金騒ぎである。自民党支持率は下がり、自民党の危機状態である。マスコミでは政権交代の報道が出てきてもおかしくない状況であるのだが、政権交代を予想するニュースない。
どんなに自民党の支持率が落ちても、スキャンダルがあっても自民党は安泰なのである。自民党が野党になることはない。自民党は与党として安泰である。自民党を安泰させているのが共産党である。共産党のお陰で自民党は与党に居座ることができるのである。
共産党は自民・公明・維新・国民を「悪政四党連合」と呼んでいる。維新と国民は野党である。野党を分裂させているのが共産党であるのだ。


次の衆議院選挙に向けて市民連合が国会内で会合を開いた。立憲民主党の岡田幹事長や、共産党の小池書記局長、れいわ新選組の櫛渕共同代表、それに社民党の服部幹事長らが参加した。維新と国民は参加していない。「悪の政党」だからだ。
志位委員長は維新・国民両党は「健康保険証廃止、原発推進、難民・外国人の人権を侵害する入管法改悪など(与党の方針)に、ことごとく賛成し、改憲と戦争国家づくりをあおり、自民党、公明党とともに『悪政四党連合』をつくっている」と述べ、『悪政四党連合』は「あだ名ではなく事実だ」と述べている。市民連合も同じ考えである。だから、野党連合から除外している。
維新、国民を除外した、れいわ、社民党、立憲、共産党の4党が共産党が目指す野党連合である。野党を二つに分裂させたのが共産党である。過半数に届かない野党であるのに野党を二派に分裂させたらなおさら与党になれる可能性は低くなる。
維新と国民を除外したれいわ、社民党、立憲、共産党の4党だけで過半数取れるのは不可能である。


立憲民主党の岡田幹事長は「市民連合の政策について各党が賛意を示し、お互いに連携して政権交代を目指していくきっかけになった」と言ったらしいが苦笑してしまう。共産党、社民党と組んで過半数の議席を確保するのは不可能だ。共産党の小池書記局長は記者会見で「衆議院選挙に向けて野党間の共通の旗印が確認でき、市民と野党の共闘を再構築していく1つの大きなステップになった。選挙に向け政党間でこれからしっかり協議していく」と述べた。小池書記局長には呆れてしまう。笑ってしまう。
共産党は2議席でである。社民党は1議席である。維新は41議席、国民は10議席である。共産、社民を合わせても維新の4分の1である。共産党は与党を目指すよりも左翼の結束を目指しいる。共産党と社民は左翼である。れいわは反自民に徹し共産党と親しい。立憲民主は保守と左翼が混ざっている。野党連合によって立憲を左翼に主導権を握らせたいのだ。与党になるよりも左翼の結集を目指したのが野党連合なのだ。野党連合は野党を分裂させた。
岸田内閣の支持率が最低になり、派閥の裏金問題で多くの閣僚が辞任追いやられて、自民党の指示率は下がったとしても自民党が与党であり続け、政権を握り続けることは確実である。自民党は共産党のお陰で与党であり続ける。共産党に感謝するべきである。


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慰安婦が性奴隷ではないことを証明しない日本の学者・評論家はひどい

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慰安婦が性奴隷ではないことを証明しない日本の学者・評論家はひどい


韓国高裁は元慰安婦への賠償を命じた判決を下した。元慰安婦らへの賠償を日本政府に命じた判決が、9日確定したのだ。日本政府は、国家が他国の裁判権に服さないとする「主権免除」の原則から裁判に関与しない姿勢を貫いており、上告しなかった。


慰安婦は性奴隷であるというのが日本で広まっていた。私は慰安婦が性奴隷ではないことに確信があった。江戸時代の封建制度を排して四民平等の社会をつくるのを目的にしていたのが明治維新だったからだ。それに法治主義の日本になった。四民平等、法治主義が戦前の軍国主義でも守られていたから慰安婦が性奴隷ではなかったという確信があった。
ネットで調べていくと慰安婦が性奴隷ではないという証拠が次々と出てきた。慰安婦が性奴隷ではないということは歴史、政治に素人である私でも簡単に証明することができた。ところが日本の学者や評論家は証明していない。韓国で慰安婦は性奴隷だと主張し、日本でもそれが真実であるかのように広まったのは日本の学者、評論家は沈黙し続けた。
慰安婦が性奴隷であると指摘したのは朝日新聞である。「慰安婦は性奴隷」が左翼によって韓国に渡った。そして、広まった。「慰安婦は性奴隷」は韓国ではなく日本で捏造されたものである。しかし、日本の学者や評論家はこの嘘を放置したのである。


日本にやって来た元慰安婦は少女の時に慰安婦にされたと言っていた。ということは彼女たちは日本軍の慰安婦ではなく民間の妓生であったということだ。日本は法律で18歳以上でなければ慰安婦になれなかった。慰安婦を募集するチラシに18歳以上を明記している。
韓国は13歳から娼婦になれた。18歳未満で慰安婦になった少女は日本兵を相手にする韓国の民間の娼婦だったのだ。慰安婦ではなくて妓生であったのだ。妓生は性奴隷である。


日本の学者や評論家が慰安婦のことを解明し、発表していれば「慰安婦は性奴隷」は誰も信じなかっただろう。今回の裁判もなかっただろう。


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性暴力を防ぐ目的で日本軍の慰安婦制度はあった あまりにもひどすぎるハマスの殺人・性暴力

性暴力を防ぐ目的で日本軍の慰安婦制度はあった あまりにもひどすぎるハマスの殺人・性暴力


 12月6日のネットニュースに10月7日にハマスがイスラエルを襲撃した時に集団レイプから遺体の性器切除があったことが載っていた。この記事を読んだ時に慰安婦のことが頭に浮かんだ。
 ハマスはイスラエル市民を急襲して一般市民を1200人を殺害した。市民殺害を目的にしたハマスの襲撃は許されないことである。戦争というより軍隊による市民への残虐である。そんなキマスなら性暴力はあると予想できたがニュースになることはなかった。襲撃から2カ月も経過してからハマスの性暴力がニュースになった。


・やぶの中に隠れていたところ、隣にいた女性が複数の男性にレイプされるのを見たと言っていた」と話した。
・遺体が同じパターンで切断されていた。この女性たちが処刑される前にレイプを受けたことは疑いようがなかった。
 イスラエルはハマスの性暴力を発表した。残酷な性暴力であるが、戦場ではそれが現実に起こる。現代はこのような性暴力を禁じている。しかし、ハマスはあまりにも卑劣な性暴力をイスラエル市民にやったのである。
ハマスの性暴力を防ぐために旧日本軍が設置したのが慰安所である。慰安所とは日本軍基地に設置した日本兵専用の売春宿である。慰安所を設置することによって日本兵による一般女性への性暴力を防いだのである。


日本は戦争で女性の性被害を防ぐ目的で慰安所を設置した。なぜ、日本は慰安所を設置するようになったのか。その原因を知るには戦国時代までさかのぼる。
 慰安婦の歴史を2017年に出版した「彼女は慰安婦ではない 違法少女売春婦だ 少女慰安婦像は韓国の恥である」に掲載した。


大坂夏の陣図屏風 (大阪城天守閣・国指定重要美術品)である。

各隻150.3x360.7㎝の大画面に、人物5071人、馬348頭、幟1387本、槍974本、弓119張、鉄砲158挺などが精緻に描き込まれている。右隻には1615年6月3日(慶長20年5月7日)大坂夏の陣最後の戦いの様子が、左隻には大坂落城間際、または後の大混乱する様を迫真的に描き出している。全体的な構図は大坂城を中心に、向かって右が南、左が北で、右から左へ合戦の推移が時系列順に自然に展開するよう工夫されている。それだけなら合戦の絵であるが、大坂夏の陣図屏風には合戦ではなく戦争から逃げようとする敗残兵や避難民が描かれていて、略奪・誘拐・首狩りしようとする徳川方の兵士や野盗も描かれている。このような生々しい描写は他の合戦図屏風には見られない。


制作時期は、生々しい描写から陣後まもなくだったと推測される。福岡藩の故実によれば合戦に参加した黒田長政が、この戦いを記録するために筆頭家老の黒田一成、または家臣の竹森貞幸に命じて作成したものとされる。ただ、長政は右隻第2扇目中央やや上に、あまり目立たない形で描かれている。異説として右隻第3扇目上部にこの戦いで討ち死にを遂げた本多忠朝が奮戦する様子を描いていることから本多家で作られ、それが婚礼の輿入れ調度の一つとして黒田家にもたらされたとする説もある。しかし、黒田吉之に本多家の姫が輿入しているが、光之が編纂させた黒田家の故実成立と時期が重なっているためにこの説の信憑性は薄い。


描いたのは「八郎兵衛」なる絵師が一人で描いたとする説や、土佐派を学んだ「久左衛門」、両者を折衷する説、右隻と左隻で保存状態が異なり(左隻のほうが状態が良い)、描写の微妙な差異が指摘されることから、左隻はやや後に別の絵師によって作られたとする説や、同一工房内で複数の絵師が手掛けたとする説がある。
大坂夏の陣図屏風は戦をテーマにした絵である。武将たちが勇ましく戦っている絵が多い。しかし、この屏風は他の戦の屏風とは違う絵がある。兵士たちが戦っている絵だけではなくて、戦乱から逃げようとする町民を兵士が襲っている絵もある。
そして。女性が兵士に襲われる衝撃的な絵がいくつもある。世界でもこんな絵は少ないと思う。
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戦場は無法地帯であることをこの屏風絵は如実に表している。殺人をしても強姦をしても逮捕する警官はいない。 兵士のやりたい放題である。
勝ったほうの兵士は農民・町民の財産を取り上げ、抵抗するものは殺し、女を強姦する。それが当たり前のように行われていたのが戦場である。
  
 それは歴史的事実である。NHKの日曜大河の戦国時代ドラマの戦争の裏には農民・町民の惨劇が繰り返されていたのである。しかし、NHKは武将たちのかっこういいドラマを描くだけである。NHKだけでなく時代劇ドラマでは戦争の裏側で町民や農民が兵士に略奪され、殺され、強姦される凄惨な様子はほとんど描かない。描いてあるのが大坂夏の陣図屏風である。
大坂夏の陣図屏風は戦争をリアルに描いたというより、あってはいけない戦争の悲劇を描いたのだと考えられる。
 このような女性の性被害をなくすことを武将たちは考えていた。それが公娼制度の始まりである。
          少女慰安婦像は 韓国の恥である
 日本における公娼制度の歴史は、一一九三年(建久四年)に、遊女屋および遊女を取り締まるために、源頼朝が里見義成に遊女別当を命じたことが、関連する史実の文献初出であるらしい。
室町時代足利氏は、一五二八年(大永八年)に傾城局をもうけ、竹内新次郎を公事に任じ鑑札を与えて税金を取った。 売春業を公に認めたのである。
戦国時代には、続く戦乱によって奴隷売買も盛んになり、遊女も増えた。性暴力を減らす 方法として遊女を増やしたのだ。
 日本の武士は戦争で女子や農民が犠牲になるのを避けた。徳川家康が率いる東軍と、石田三成や毛利輝元が率いた西軍による1600年(慶長5年)の天下分け目の有名な合戦があったのは関ケ原である。面積は二四・五ヘクタールである。合戦は農民などの武士ではない人々を犠牲にしない場所で行われたのだ。
 慰安婦は日本独自のであり、他の国にはなかった。慰安婦所を管理することで日本兵の婦女暴行は減り、性病も押さえた。日本軍が強かったのには慰安婦の存在が強く影響している。


 慰安婦が性奴隷ではないことは明治維新は四民平等であったこと。帝国憲法を制定し、法治主義の日本になったことで日本軍が慰安婦を性奴隷にすることはあり得ないと考えていたが、まさか慰安婦の始まりが戦国時代にあったとは予想していなかった。日本の武士階級は戦争は武士と武士の戦いであり、農民や女子が戦争の犠牲になることを避けていたのだ。その思想が日本には深くあり、日本軍の慰安婦制度が生まれたのである。イスラエル人を無差別に殺害したハマスとは全然違う。ハマスの無差別殺人は絶対に許されないことである。


 ハマスはイスラエルの兵士ではなくコンサートなどの市民が集まっているいる場所を襲い、最初から市民の命を狙って襲撃したのである。ハマスの襲撃は戦争ではなく殺人、婦女暴行の犯罪行為である。軍隊が武器を持っていない市民を襲撃して殺害、婦女暴行したというのは前代未聞の残虐行為である。
 ハマスにとってイスラエル人は宗教が違うし民族も違う。ハマスにとってイスラエル人は人間ではないのだ。滅ぼすべき「魔の生き物」なのだ。だから、イスラエル人を殺害し、婦女暴行するのだ。


 イスラエル人を無差別に殺害したハマスにイスラエル政府は死刑判決を下した。イスラエル軍はハマスを処刑するためにガザに侵攻した。ハマスはイスラエル軍の攻撃を防ぐためにガザ市民を盾にした。ハマスはガザ市民を盾に利用すればイスラエル軍は市民を攻撃するのを避けてハマス攻撃が鈍ると予想していたはずである。ガザ市民を盾にすればイスラエル軍と五分五分の戦いができると予想していた。綿密な計画を立てた上でハマスはイスラエル襲撃をしたのだ。ところがハマスの予想に反してイスラエル軍は市民が犠牲になるのをかまわずに激しい攻撃をした。イスラエル軍はハマスの盾であるガザ市民を犠牲にしてでもハマス殲滅に徹したのだ。


 ガザ市民の死者は1万7000人以上である。死者はハマスがガザ市民を盾に利用したことと、イスラエルがハマス殲滅を優先してハマスの盾にさせられたガザ市民も攻撃したからである。ガザ市民の死の原因はハマスにある。しかし、連合やマスコミはガザ市を攻撃しているイスラエルを非難している。攻撃しているのはイスラエルであり、多くの市民が死んでいるのは事実であるが、そのようになるように仕組んだのはハマスである。


市民の被害を減らすにはハマスと市民を引き離さなければならない。引き離せばイスラエル軍はハマスだけを攻撃する。市民は攻撃しない。市民の死者は激減する。市民の被害が減ることを真剣に考えるならばハマスに市民から離れるように要求するべきである。連合が市民から離れるようにハマスに要求しないのは市民の被害をなくす方法を真剣に追求していないからである。


 イスラエル軍は11月までにガザ北部をほぼ掌握したという。北部の市民の死者数に注目するべきである。激減しているなら、イスラエル軍が制圧した地域は死者が激減するということである。北部を制圧したイスラエル軍は南部に侵攻している。南部のガザ市民の犠牲が増えている。もし、北部の市民の犠牲が激減しているなら南部でもイスラエル軍が制圧すれば市民の犠牲は確実に激減する。南部でもハマスが敗北するのは確実である。連合は一日も早く戦争を終わらすためにハマスに降伏することを要求するべきだ。


イスラエルの国家安全保障顧問は7000人以上の(イスラム主義組織)ハマス戦闘員を殺害した」と述べた。ハマス戦闘員は3万人いたとみられており、2割以上に相当する。
イスラエル軍は3日にガザ南部ハンユニスなど全域での地上侵攻を開始後、多数のパレスチナ人を拘束している。ネタニヤフ首相は10日の声明で「ハマスのテロリストよ、もう終わりだ」と宣言している。
 ガザ市民の死者激減は近づいていると思う。


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自民党にはがっかり 県議会でデニー知事を攻めきれない

自民党にはがっかり 県議会でデニー知事を攻めきれない

県議会の代表質問で沖縄自民党の中川京貴議員は普天間基地の移設先とされる名護市辺野古の埋め立てを巡り国が起こした代執行訴訟について知事の考えを質したという。自民党は与党ではない。野党である。それなのにデニー知事を後押しするような質問をした。がっかりである。
 代執行が実施されるのは沖縄政治の大恥である。沖縄は三権分立、法治主義を知らない無知な県であると思われるだろう。恥をかかないために自民党はデニー知事に設計変更を承認するように提案するべきである。提案しなければ自民党も三権分立、法治主義を知らない無知な政治家の集まりと思われるだろう。
 デニー知事は「国の代執行は地方公共団体の処分権限を国が奪うという地方自治に対する最終的な介入手段であって沖縄県の自主性及び自立性を侵害し」と答えている。自民党は納得するのだろうか。

 国に代執行をやりたくてやるのではない。国に代執行させる犯人はデニー知事である。国は法律を順守しているだけだ。国は代執行の権限を奪うのではない。政府と県に中立である裁判所が法律に則って政府に代執行を移動させるのである。
デニー知事が最高裁の判決に従わないのは沖縄県の自治体としての自主性及び自立性を飛び越えた身勝手な行為である。身勝手な行為を法律は許さない。

「国が代執行するのは沖縄政治の恥です」
「辺野古移設反対は普天間飛行場の固定化賛成ですか。固定化に反対なら辺野古以外の移設場所を示してください。国は辺野古が唯一と言っています。国と話し合いで別の場所を探すのはできないです。デニー知事が移設場所を見つけるしかありません」

 自民党には徹底してデニー知事を追い詰めてほしい。

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社会主義の次に民主主義、共産党の二段階革命論は間違っている

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社会主義の次に民主主義、共産党の二段階革命論は間違っている 


1991年にソ連は崩壊し議会制民主主義国家になった。共産党一党独裁の社会主義国家の次に議会制民主主義国家がやってくることが歴史の必然であることが実証されたのがソ連崩壊である。
<font size=3>
共産党一党独裁国家を倒した民主化運動</font>
共産党一党独裁国家を倒したのが民主化運動であった。冷静な目で歴史を見れば、共産党一党独裁国家の次にやって来るのが議会制民主主義国家であることが分かる。これは否定することができない歴史的事実であり、必然である。


共産党一党独裁国家はプロレタリア革命によって樹立され労働者を解放した国家と思われているが、実際は労働者を弾圧する国家であった。そもそもロシア革命は労働者が立ち上がった革命ではなかった。武力で国家打倒を主張する政治家を中心とした農民、労働者、軍隊による武力革命だった。中国は毛沢東などの政治家が農民中心の軍隊をつくって蒋介石軍と戦い、勝利して共産党一党独裁国家をつくった。
労働者が立ち上がり労働者のための国家をつくったのはロシアや中国の革命ではなく、東欧の共産党一党独裁国家を倒した民主化運動であった。これこそがプロレタリア革命であったのだ。民主化運動によってできた国家は議会制民主主義国家であり、三権分立・法治主義が確立している国家である。議会制民主主義国家は実質的にプロレタリア革命を成就している国家である。つまり、米国、日本などの議会制民主主義国家はプロレタリア革命を乗り越えた国家であるのだ。
 
 2015年に出版した「捻じ曲げられた辺野古の真実」に社会主義国家が崩壊して民主主義国家になることを掲載した。一部を紹介する。


東欧革命または東欧民主化革命または共産主義の崩壊は、1989年にソビエト連邦(ソ連)の衛星国であった東ヨーロッパ諸国で共産主義国が連続的に倒された革命である。1989年革命と呼ばれる事もある。
<font size=3>
ポーランド民主化運動</font>
ハンガリー人民共和国は1980年代初頭には既に経済の自由化や議会の複数候補制などの改革を進めていたが、1988年5月に社会主義労働者党(共産党)のカーダール・ヤーノシュ書記長が引退すると、社会主義労働者党内ではより急進的な改革を主張する勢力が実権を掌握するようになった。1989年2月に急進改革派は事実上の複数政党制を導入し、5月にはネーメト内閣がハンガリーとオーストリア間の国境を開放し、鉄のカーテンに穴を開けた。
1989年10月には、社会主義労働者党は社会民主主義政党のハンガリー社会党へと改組、さらに10月23日には新憲法「ハンガリー共和国憲法」が施行され、ハンガリー人民共和国は終焉した。
<font size=3>
ベルリンの壁崩壊 </font>
クレンツ政権のスポークスマン役を担っていたシャボウスキーは、規制緩和策の内容をよく把握しないまま定例記者会見で「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」と発表し、いつから発効するのかという記者の質問に「私の認識では『ただちに、遅滞なく』です」と答えてしまった。この発表は、東ドイツ政権内部での事務的な手違いによるものだとされる。この記者会見を観た東ベルリン市民がベルリンの壁の検問所に殺到し、殺到した市民への対応に困った国境警備隊の現場指揮官は11月9日の深夜に独断で検問所を開放した。11月10日に日付が変わると、どこからともなく持ち出された重機などでベルリンの壁は破壊され、その影響は世界的に広まった。
<font size=3>
ブルガリアの民主化</font>
ジフコフ長期政権が崩壊し、後任となったムラデノフらはあくまでも一党独裁制の枠内での自由化を進めようとしたがこれをきっかけに市民側のデモが活発化し、12月には党の指導性を放棄することや自由選挙の実施などを決定せざるを得なくなった。1990年の自由選挙ではブルガリア社会党(共産党が改名)が過半数を制して政権を維持し、ムラデノフが大統領となった。しかし、 1990年6月になると前年にデモの武力鎮圧を示唆したとされるムラデノフの発言が問題視され、ムラデノフは大統領を辞任し、翌1991年に行われた2回目の自由選挙で社会党は下野した。
<font size=3>
ビロード民主化革命</font>
ベルリンの壁崩壊を受けて、東欧の共産党国家の連鎖的な崩壊が始まった。チェコスロバキア社会主義共和国では、ポーランドやハンガリーのような予告された民主化の約束はなかった。しかし、ベルリンの壁崩壊に勇気付けられたチェコスロバキアでは、1989年11月17日に至り、民主化勢力を中心にデモやストライキ・ゼネストを度重なって行った。それらの事態を収拾できなくなった共産党政府はなし崩し的に民主化勢力との話し合いによる解決を模索することとなり、結果、両者は共産党による一党独裁体制の放棄と複数政党制の導入を妥結した。この「革命」では後のルーマニアのような流血の事態には陥らなかった。これを指してビロード革命と言う
<font size=3>
ルーマニア民主化革命</font>
ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、チェコスロバキアでは国内の政権移譲が穏健に済んだのに対して、当初から国内の改革に全く否定的で共産党が政権の座に固執し続けたルーマニア社会主義共和国では、1989年12月16日に民主化革命が勃発し、治安維持部隊と市民の間で、衝突が起こり多数が犠牲となった上、12月25日にはルーマニア共産党の最高指導者であったニコラエ・チャウシェスクが処刑されて終結した。チャウシェスクの死体はテレビを通じて世界中に晒され、チャウシェスクの死によってルーマニア社会主義共和国は崩壊し、民主政体を敷くルーマニア共和国が成立した。
 <font size=3>
コマネチの亡命</font>
チャウセスク独裁政権下のルーマニアでは個人の自由は認められず、警察も含め、誰もチャウセスク一家に逆らう事は出来なかった。
ナディア・エレーナ・コマネチは1976年に行われたモントリオールオリンピックで3個の金メダルを獲得し、オリンピックの舞台で初めて10点満点を獲得した選手であった。1984年から1989年まで彼女はルーマニア体操協会のコーチとしてジュニア選手の育成にあたったが、ニコラエ・チャウシェスク大統領の次男ニクが毎晩のように夜の街へ付き合うように求められ、愛人関係となることを強いられた。身も心もボロボロになった  
コマネチは、1989年11月28日、命がけでルーマニア脱出を敢行、6時間歩いて地雷が埋められた国境を越えハンガリーに逃れた。しかし、ハンガリー国境警察に逮捕されてしまう。ここでも彼女は決死の脱走を計り、オーストリアに脱出しアメリカ大使館に駆け込む。12月1日彼女はアメリカに渡り、自由を得た。
コマネチの亡命はルーマニア国民を奮い立たせた。12月22日、チャウシェスクの演説中群集はチャウシャスク打倒デモ隊と化した。大統領夫妻はブカレストを脱出したものの近郊のトゥルゴビシュティで逮捕、25日に特別軍事法廷で死刑判決を受け即刻処刑された。


1991年にソ連は崩壊し議会制民主主義国家になる。共産党一党独裁の社会主義国家の次に議会制民主主義国家がやってくることが歴史の必然であることが実証されたのがソ連崩壊である。
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共産党一党独裁国家を倒した民主化運動</font>
共産党一党独裁国家を倒したのが民主化運動であった。冷静な目で歴史を見れば、共産党一党独裁国家の次にやって来るのが議会制民主主義国家であることが分かる。これは否定することができない歴史的事実であり、必然である。


共産党一党独裁国家はプロレタリア革命によって樹立され労働者を解放した国家と思われているが、実際は労働者を弾圧する国家であった。そもそもロシア革命は労働者が立ち上がった革命ではなかった。武力で国家打倒を主張する政治家を中心とした農民、労働者、軍隊による武力革命だった。中国は毛沢東などの政治家が農民中心の軍隊をつくって蒋介石軍と戦い、勝利して共産党一党独裁国家をつくった。
労働者が立ち上がり労働者のための国家をつくったのはロシアや中国の革命ではなく、東欧の共産党一党独裁国家を倒した民主化運動であった。これこそがプロレタリア革命であったのだ。民主化運動によってできた国家は議会制民主主義国家であり、三権分立・法治主義が確立している国家である。議会制民主主義国家は実質的にプロレタリア革命を成就している国家である。つまり、米国、日本などの議会制民主主義国家はプロレタリア革命を乗り越えた国家であるのだ。
         「捻じ曲げられた辺野古の真実」
 二段階革命論に固執している共産党は民主主義革命の次に社会主義革命があると考えている。しかし、ソ連が崩壊してからソ連に加盟していた社会主義国家が次々と民主主義国家になった。歴史は逆だったのだ。二段階革命論は間違っている。二段階革命論が沖縄の政治をおかしくしている。


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デニー知事よ 普天間飛行場の移設先を示さなければ辺野古移設反対する資格なし

デニー知事よ 普天間飛行場の移設先を示さなければ辺野古移設反対する資格なし


 デニー知事は普天間飛行場の辺野古移設に反対である。
辺野古以外に移設する場所がない。移設場所がなければ普天間飛行場は固定してしまう。辺野古移設反対は普天間飛行場固定容認を主張することと同じである。
 デニー知事は「新基地反対の民意こそ公益」と主張するだけで普天間飛行場を固定するのかそれとも辺野古以外の場所に移設したいのかを言わない。問題は辺野古移設するかしないかではない。普天間飛行場を移設するかしないかである。デニー知事が第一に決断しなけれはならないのは普天間飛行場を移設するかしないかである。普天間飛行場を移設しないのなら辺野古移設に反対するのは筋が通る。しかし、普天間飛行場を移設したいのなら辺野古移設に反対するのは筋が通らない。辺野古移設に反対なら辺野古以外の移設候補の場所をデニー知事は指摘しなければならない。政府は辺野古移設が唯一であると言っている。政府は辺野古に移設できないのなら普天間飛行場を固定化する。政府は辺野古か普天間の二者択一なのだ。しかし、デニー知事は普天間飛行場をそのまま維持するのか移設するのかについてはなにも言わない。辺野古移設に反対するだけである。


 デニー知事は県民の民意が公益であるといい、民意は辺野古移設反対だから、移設しないことが公益であると主張する。デニー知事は辺野古移設については多く述べているが普天間飛行場を移設するかしないかについては全然話さない。民意を理由に辺野古移設に反対するだけである。
 普天間飛行場を移設しないのなら辺野古移設反対は堂々と主張できる。しかし、移設したいのならはっきりと「移設」を主張し、辺野古とは別の場所を指摘しなければならない。指摘するだけでない。移設実現も確保しなければならない。しかし、デニー知事は普天間飛行場問題の解決方法を発表したことはない。政府が選択した辺野古移設に反対するだけである。政府が辺野古移設を中止すれば辺野古問題は解決する。しかし、は普天飛行場間問題は解決しない。普天間問題解決を提示しないデニー知事に辺野古移設反対する資格はない。

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全国のマルクス主義の左翼学者、弁護士たちが沖縄に介入

全国のマルクス主義の左翼学者、弁護士たちが沖縄に介入


戦後はマルクス学者が増えた。原因は太平洋戦争で米国に敗北したことで日本が米国に反発し、ソ連の社会主義が理想社会と考えるような若者が増えたことである。彼らはマルクスやレーニンの理論を学び、社会主義こそが労働者を開放し自由にすると信じた。


マルクスは資本家が労働者を搾取していることを理論的に説明した哲学者である。マルクスが搾取を詳しく説明したのが剰余価値学説である。マルクスの剰余価値学説を学生の時に読んだが驚いた。当然と思い、なんの疑問もなかったことにマルクスは矛盾を見つけ出し批判したのである。それが資本家による労働者の搾取である。  
私たちは会社で労働をして給料をもらう。経営者は利益を上げて儲ける。マルクスはこの利益を剰余価値ととして取り上げ、それは資本家による労働者の搾取であると説明した。


剰余価値の説明
労働者が1日8時間労働することによって50ポンドの糸を生産するものとし、これに要する生産手段の価値が1万円、労働力の日価値が4000円、そして平均的1時間労働が1000円の価値を生むものと仮定しよう。この場合、消費された生産手段の価値は、生産過程で価値の大きさを変えることなく生産物である糸の価値に移転されていく。これに対して労働力の場合には、これが消費されることによって新しい価値を付加する。平均的1時間労働が1000円の価値を生み、労働者は8時間労働すると仮定されているから、生産物に新たに付加される価値は8000円となり、糸50ポンドの価値は合計1万8000円となる。資本家はこれを価値どおりに販売することによって、投下資本1万4000円を回収すると同時に、それを上回る価値部分4000円の剰余価値を実現する。これから明らかなように、剰余価値の発生根拠は労働力商品にある。労働力商品は、それを消費することが価値の創造であり、しかもそれ自身の価値よりも大きな価値を創造するという独自な使用価値をもっている。この例では労働力の日価値は4000円であるから、それを再生産するためには労働者は4時間労働すればよいが、このことはそれを上回って労働することを妨げるものではなく、この剰余労働によって剰余価値が生産されるのである。


ややこしい理屈である。要するに資本家は労働をしないのに4000円の収入を得る。それをマルクスは剰余価値であり、搾取であると定義したのだ。米国も日本も資本家が利益を追求するのを認めている。労働者を搾取するのを認めているのが米国であり日本であるのだ。搾取する資本家を倒し労働者を開放するというマルクス主義が学生に広まり学生運動が盛んになった。左翼学生は卒業すると公務員、学者、弁護士などの公的な職業に就職した。彼らは左翼活動家でもあるのだ。日本学術会議は左翼系である。左翼系の学者はマルクス主義活動家でもある。


日本の左翼系の学者、弁護士、行政書士たちが辺野古移設反対、軟弱地盤埋め立て設計変更反対、代執行訴訟はす国の沖縄差別を宣言した。本土の権威ある学者や弁護士たちに応援されていると思い込んでいるデニー知事は国の沖縄差別と闘っていると思い込んで、ますます違法行為の世界にはまっていくだろう。


住宅密集地のど真ん中にある普天間飛行場を県民の住宅のないキャンプ・シュワブの沿岸に移設する県民の安全を守るための辺野古移設である。県民の安全のための移設なのに共産党などの左翼がでっち上げた嘘に振り回されているデニー知事である。デニー知事は裁判すべて敗北し、政府は代執行の権利を制覇きんく穂し、辺野古移設工事は着実に進むだろう。辺野古移設は確実に実現する。沖縄の行政のトップであるデニー知事は沖縄の行政に全然役に立たない、県民の税金をドブに捨てる政治をしている。


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